松は見た 確か昼頃だったようなと「昼子」と幽が呼び掛けると横にいた男がその名前は縁起が悪いと言った。昼美、昼、普通に昼でどうだと幽は男に提案するが幽と被るのではと返すと幽はそれでもいいがと呟き、黙った。子供はなんの話ですかという顔で幽をじっと見ている。そういえば男だったと思い出した幽は「昼助、昼太郎、昼彦」と順番に呼びかけ、「昼彦。呼びやすいからこれにしよう」と決定し、男はかわいそうにと呟き、当の子供は「わーい」と喜んでいたのでなんでもいいらしい。
男は松の盆栽をいじりながら髪も切った方がいいなと思った事を零した。幽はそこにあった姿見に昼彦を向かせ、「鬱陶しいな」と言いながら縦横無尽に伸びた髪の隙間に手を入れ、灰桜色の髪を指で弄ぶ。乾いた方が明るい色になり、差し込む陽に当たって美しい。
男が「俺の馴染みの」と言う前に幽は「ではやろう」とすぐハサミを手にし、「目を瞑れ」と命じた。素直に目を閉じ、少し下を向いた姿は屠殺されるために頭を差し出す家畜のようだった。余計な事を言ってしまったと男は焦る。あとそれは盆栽用の鋏だがと言う前に昼彦の前髪は眉上に揃えられていた。
「あちゃ〜」
「いいな」
「風呂場でやりなよ」
「濡れてるだろう」
「なんか敷きなよ」
「長いからいいだろう」
良くないし長いからなんだと言うのだろう。幽は男の話を何も聞いてくれない。盆栽を触るなという言いつけも守ってくれない。盆栽のバランスに口を出すのもやめてくれない。服を床に撒き散らすなと何度言っても聞いてくれない。きっと今、脱衣所は事件現場のようになっているのだろう。
「幽は自分の前髪も切れないだろう」
「できるが?」
できないから三つに分けるようになったんだろうがと反論するのを諦めた男は黙り、松を撫でた。松はちくちくした。
幽は「動くなよ」と言い次にサイドの髪を適当に束にして掴みざっくりと横に切った。髪に対する切り方じゃないと男ははらはらするが、無駄に手早くもう片方のサイドも同じようにざっこりと切られてしまった。あまりの無体に男は思わず自分の立派な三つ編みを握る。「めをあけてもいいですか」とずっとじっとしていた昼彦が聞き、幽が了承し、「見ろ」と姿見を指した。
「わー!」
「俺の馴染みの」
「かわいい!」
「そうだな」
じゃあ後ろを切るからなと幽は一掴みにした後ろ髪を腰あたりでごりごりと切った。そこは何だか知らんがロングを維持するらしい。瞬く間に出来上がったピンク色姫カットの子供に、統領ともなると人の髪に四回鋏を入れるだけで完成させるのだと男は妙に感心し、とうとう「いいね」と言った。降参だ。
「かわいい!」
「そうだな」
同じ会話を何度も繰り返す満足げな二人を横目に、男は松をそっと仕舞った。