どこからか流れてきた強い血の匂いに、ジャンヌは足を止めた。付近にモンスターがいることは確実だが、悲鳴や助けを呼ぶ声などは聞こえない。
手遅れ、という言葉が頭に浮かんだ。嫌な想像を振り払い、急いで匂いの元を探す。
やがて、とある路地に辿り着いた。息を殺し奥へと進んだジャンヌは、目の前に現れた血の海に思わず息を飲む。
だが、幸いにもその血はバース7の人々のものではなかった。地面に転がっているのはガルムやトロールといったモンスターの死体のみ。つまりは、既に他の契約者の手によって倒された後だいうことだ。
一体誰が、と彷徨わせた視線の先にフードを被った男の姿を捉える。
その足元には血まみれの人物がうつ伏せに倒れていた。恐らくモンスターを率いていた兵士だろう。鎧は砕け、片腕は見当たらない。その背には槍が突き刺さっており、標本箱の昆虫のように地面に縫いとめられていた。
ジャンヌはわずかに目を見開く。
もしも彼が日頃から契約主の目の届かぬところで必要以上の殺戮を繰り返していたとしたら、やがてそれは契約主の耳にも入ることになるだろう。心優しい契約主のことだ、たとえ命を落としたのが敵側の人間であったとしても責任を感じるに違いない。
犠牲のない戦争などない。それでも、その犠牲を最小限にしたいという思いはジャンヌも同じだ。
それに、今は敵へと向いているその殺意の矛先が、何かの拍子にバース7の人々に向くともわからない。見過ごすわけにはいかなかった。
こちらの存在に気づき振り返った男ーージル・ド・レに向け、ジャンヌは問う。
「人間は殺すなと、契約主に言われたはずだが」
「知ってるよ。何度も釘を刺されたからね」
「ならばお前はそれを無視したということか」
「えー……言いつけはちゃんと守ってるんだけど」
意外にも、返ってきたのは不服そうな声だった。
ジルは背後に浮かぶ槍の一本を操ると、ジャンヌが止める間も無く兵士の太腿に突き立てた。「ぐ…」と微かに呻き声が漏れるのを聞き、満足気に笑う。
「ほら、死んでない」
「お前……相手が死ななければ何をしてもいいと思ってるのか……?」
「だって、殺しちゃダメってそういうことだよね」
自身の行動の正当性を微塵も疑っていない表情だった。
否、間違ってはいないのだ。決して正解ではあり得ないというだけで。
確かに相手は死んではいない。だが--
「ねぇ、キミ。なんで怒ってるの?」
何もかも変わってしまったかつての戦友に、ジャンヌは歯噛みした。