魅了ってネタとしてはいいよねって話犬神が何かを唱えると、落雁の動きが止まった。
「どうしたの!?」
異変に気づいた水無月が声をかけた瞬間、緑色の髪が飜る。
「うわっ!」
落雁の霊力を込めた拳が水無月の顔を掠めた。
直撃していたらタダでは済まなかっただろう。出会ったときに食らった一撃とは比べ物にならない力の気配に、彼女は本気なのだと悟る。
そして、なぜそうなっているのかも。
落雁の瞳は虚だった。まるで自我を失っているかのように。
「魅了か…」
水無月は落雁と距離を取り、彼女の背後から迫る化け狸に攻撃を飛ばす。
「…っ、落雁ちゃんしっかりして!」
援軍を望めない状態でのこの状況に、水無月もさすがに焦りが隠せなかった。
なおも続く落雁からの猛攻。加えて、化け狸たちも攻撃のタイミングを窺っている。
万事休すだった。たまたま訪れた村の外れでまさか堕神の群れと鉢合わせてしまうとは。
ここは退却するしかない。
落雁が霊力で作り上げた和菓子を爆弾のように投擲してくる。攻撃を当てて軌道を逸らしなんとか隙をつくろうとする水無月だっが、魅了によって動きに一切のためらいがなくなった落雁は手強かった。
「…クソっ」
思わず悪態が口をつく。
こうなったら力ずくで我に返らせるしかない。水無月は覚悟を決めた。
何も映さない翠緑の双眸がこちらを見ている。その周囲には再び霊力が集いはじめていた。
急がなければ。水無月は狙いを定めると、落雁の足元、地面に向けて力をぶつけた。
たちまち巻き上がる砂埃により、落雁の攻撃が不発に終わる。その一瞬をつき、水無月は彼女の懐へと潜り込んだ。
「逃げるよ落雁ちゃん!」
そのまま体を担ぎ上げる。
落雁は案の定しばらく暴れていたが、やがて抵抗がやんだかと思えば「あれ?」と間の抜けた声が聞こえてくる。
「よかった!気がついた?!」
「あ、ああああの水無月さん、いったい何がどうなって」
「話は後!」
追撃しようと追り来る堕神たちを牽制しながら水無月は走り出す。途端、落雁が慌てた。
「わ、私、自分で走れ……」
「いいから今はじっとしてて。また魅了でもされたら堪らないし」
「み、魅了……?」
「……なんでもないよ。あと舌を噛まないように気をつけて」
不可抗力とはいえ、仲間を攻撃してしまったと知れば、落雁は酷く狼狽しながら必死に謝ってくるに違いない。本人に自覚がないのなら無理に説明する必要はないだろう、と水無月は判断する。
一方の落雁は状況を全く飲み込めずにいた。堕神と相対していたはずが、気づけば仲間に担がれていたのだから無理もないことである。
頭の中を困惑と羞恥が埋め尽くす。今すぐ逃げ出して箱に隠れてしまいたい。だがそれが叶わないとあれば、今は水無月の言葉に従うしかなかった。
落雁は口を噤み、身を硬くする。だが、水無月が深く足を踏み込んだ際に体勢を崩し、咄嗟にその首元にしがみついてしまった。
「うわっ」
「ご、ごごごめんなさい!」
「僕こそごめん!大丈夫だった?」
「私はなんとも……あ、あの、私、やっぱり自分で走りますから」
そう言って落雁は足をばたつかせる。これ以上は耐えられそうになかった。
「ちょ、ちょっと落雁ちゃん、落ちちゃうって」
「お、降ろしてください〜」
絞り出すような声で懇願されては解放しないわけにはいかず、水無月は苦笑する。幸い堕神たちは追ってきていないようであるし、もう大丈夫だろう。
地面に降りた落雁はそのまま数歩後退り、やっと人心地つけたというように息を吐いた。
「さてと、堕神もここまでは来ないだろうけど、ひとまず村までもどろうか」
「そう、ですね……」
「ここからはお姫様抱っこにする?」
「じ、じじじ自分で歩きますから!」
「そっか残念、じゃあまた今度ね」