加賀美ハヤトのスマートフォンは、星がこぼれ落ちることがある。比喩ではなく、本当にその通りである。彼がこつこつとその四方を振ると、隅からころんころんと小さく黒い星を落とすのである。
それを初めて目撃したのは不破であった。休憩室の扉を開けると、加賀美が小さな袋に向かってスマホを振っているのを見てしまったのである。おおよそ通常ではあり得ないような量のころころとした謎の塊に、流石の不破もぽかんと口を開けて佇んでしまっていると、それに気付いた加賀美は少しばかり驚いた後にすみませんと苦笑を漏らして不破へと笑いかけた。
「変な光景をお見せしましたね」
「や、構わんけど……社長、何それ?」
「……なんでしょうね?」
「えっ、何なん」
「私もよく分かってはいないんですけど……どうしてか出るんですよね、これ」
袋の中に散らばった金平糖のような姿を指先で掬いつつ、加賀美もゆるやかに首を傾げる。いや、社長が分からんかったら俺も分からんて、と零した不破へ、加賀美はやはり苦笑のまま、そうですよねえと間延びするような返事をした。そこで不破はようやく、彼が意図的に何かを隠していることに気付いたのである。
おそらく、これが何かを加賀美は知っている。けれど、何か理由があって言いたくないのだろうと。そう咄嗟に判断した不破は、結局加賀美と同じような間延びする声色で「ほおん、不思議やね」とぼんやり濁すことにしたのである。加賀美の言動から、それが現時点では彼に何か悪影響を及ぼすものではないと判断することにした。もし仮に今後そうなるのであれば、その時は甲斐田や剣持も巻き込んでやろうと。
ただそんな不破の思惑を汲んだのか、加賀美もゆるやかに視線を細めてから指先の塊を袋に戻してから、ぽつんと呟いた。
「美味しくはないんですよね」
「……それ、食いもんなん?」
「食べられなくもない、という感じではあるらしいんですよ」
「明らかにゲテモノん類で言うてん? 俺らちょっとハードル下がりすぎよ?」
「ああいやいや、そういう方向性ではなくて。なんでしょう、こう……」
そこで不意に言葉を区切った加賀美は、ふいと視線を空虚に向けた。
「──やけに胸がざわつくような、そんな心地になるんですよね。これ」
「……美味くないから?」
「うーん、そうかもしれません」
そんな、曖昧に不破へ笑いかけた加賀美はやはりいつも通りの表情である。ただ、彼の言うそれは妙にぼけている表現であったが故に、不破は首を傾げつつもただ「ふうん、なるほど」と返事をするだけに留めることにした。
それが、何かは結局分からぬまま。不破の頭の隅に引っかかることになった加賀美の言動は、その後やってきた甲斐田たちとの合流でいつしか有耶無耶になり、帰宅する頃にはすっかり風化して忘れ去られていったのだった。
◇
机の上に乳白色の皿を一枚置き、加賀美はその上に袋の中身を傾ける。ざらざらとこぼれ落ちるそれは、真っ黒の金平糖にも似た星。──否、星などという輝きなんてものではない。どちらかと言えば、棘を孕んだ塊に近しいものだ。小山になるほどに降り積もった黒を眺めながら、加賀美は無表情で袋の中身をひっくり返す。気付けば皿の上はいっぱいになっていた。
そうして皿は一度加賀美の手によって宙に浮いた後、ことりと食卓に置き直した。椅子に座る影は、部屋の明かりに照らされてぼうとその縁を濃くした後に、ひどく嬉しげに笑みを傾けた。
「もう、食べても良いですか?」
「どうぞ」
促したその視線の先。加賀美によく似た姿のそれは、十字の双眸の光を細めては、握り締めた銀のスプーンを器用に扱って、丁寧に塊を掬い、口に運ぶ。さながらまるであたたかなスープを飲むように、さらさらと薄い唇の中へと滑り込ませる。もぐもぐと咀嚼した後に、それは嬉しそうに口端を上げて微笑んだ。
「──ああ、ニンゲンの悪意は本当に美味しい!」
加賀美ハヤトのスマートフォンの画面に映る、彼や彼の仲間や、その他大勢の誰かに向けた悪意、悪意、悪意の数々。下らない戯言から、ナイフのような刃を以てして振り翳されたものまで、それらすべてが加賀美のスマホからは黒い塊となってこぼれ落ちるのである。加賀美の元にいる、この加賀美の姿を模しておきながら少しばかりズレているこれは、天使を自称しながらも何故か人間の悪意を食べるのだ。それ曰く、人間の悪意というものはこの世で一番美味であるらしい。加賀美にはよく分からない感覚ではあったが。
ただ、加賀美はその立場上幾らでも悪意に晒されている。当の本人はあまり気にしてはいないが、それでも悪意というものは勝手に飛び交い、傍らで口を開け喚いているものだ。が故に、加賀美はこの天使に好かれ、付きまとわれ、あまつさえ自宅に居座られるようになってしまったわけだ。特段加賀美にとってはあってないような喋る置物なので、受け答えが出来るペットのような認識を抱いていた。
そうして今日も、天使を模したそれは人間の悪意を食べる。黒い塊たちをぺろりと平らげて、幸せそうに微笑む。
「ワタクシ、今日も極上の悪意を有難う御座います」
「別に私が抱いている悪意でもないですけれどね、それ……」
「いつか、悪意の塊のニンゲンそのものを戴きたいんですが」
「……ここを殺人現場にするのはやめてくれます?」
「流石にワタクシの目の届くところではしませんよ」
「届かないところでもやめて欲しいんだけどなあ……」
如何せんこのペット、自我と我儘がすぎるのが欠点ではあるが。善良ではないが害悪でもないので、加賀美としては良しであるらしい。