「甲斐田ァ」
「はあい、どうしたんですか不破さ……うお!? 何!?」
「にゃははっ、お前にプレゼント~」
ゆうるりとくだる雲の流れと共に傾いた午後二時の昼時。別件の会議の後に塾の収録のため合流した甲斐田が休憩室で他のメンバーの到着を待ちつつぽちぽちとスマホを弄っていると、ふと休憩室の扉が開いた。挨拶をしようと振り向きかけた直前に、何より先に呼ばれたことで咄嗟に反応すると、ぽふんと顔間近に何かを押し付けられる感覚がする。思わず仰け反れば、鼻腔を擽る良い香り。なに、と声を上げた甲斐田へ、不破はどこか悪戯が成功したかのように笑んだ。ひとつの花束を、甲斐田へと手渡して。
数度硬直にも似た驚きにぱちくりと目を瞬かせながらも、甲斐田はつい差し出された花束を受け取った。え、だかあ、だか、その挙動は意図も組めずに不破を見上げることしか出来ていない。しかし当の本人はまるでさも気にしていなさそうに笑うばかりで、やはり甲斐田は何も解らぬままで「ありがとうございます……?」と呟いた。まずい、何も分からない。完全に甲斐田の表情には困惑が浮かんでいた。
「おん」
「どうしたんですか、これ」
「買ってきた」
「わざわざ!?」
「エナドリ買うついでになー。ワゴンカーの花屋がコンビニ前に来とったんよ」
「は、あ……?」
この人頭でも打ったんじゃないかとすぐに思ったのは、甲斐田の知る不破という人物は唐突に花束を贈るような人ではないということを知っていたからだった。これが加賀美とかであればまあそんなこともするかと思ったが、間違いなく今までの言動から鑑みるに不破はしない。百歩譲って食品をくれることはあっても、花なんて渡しやしないだろうと思い込んでいた。
甲斐田は思わず、手渡され自分の腕の中に納まっているそれをまじまじと見つめる。色とりどりの花々は美しく咲き誇っていて、思わず顔を埋めたくなるほどの匂いが漂っていた。綺麗だなあと過ぎった言葉はうっかり口をついて出て、それを聞いた不破はにぱっとまた嬉しそうに笑った。
「そうやろ。花屋のお姉さんにな、お前に似合うもん見繕ってくださいっつったんよ」
「僕に似合う……」
「そ。元からお前にあげるつもりやったしな」
やはり悪戯っ子のように口角を上げるその素振りは、甲斐田の良く知っている彼だ。相変わらず唐突に何かを仕出かして、突き進んでいくさま。コブンである甲斐田はいっつもそれに振り回されているが、それはひどく楽しいのだ。だから大いに振り回して欲しいと思っていたし、いくらでも一緒にそれを楽しんでいたいと思っていた。多分今回のこれも、そういうものの類なのかもしれない。
ふわ、と花弁の先端が甲斐田の頬を擽る。それと同時に、ふつりと沸き起こった嬉しさがようやく込み上げるように熱を帯びた。ああ、不破さんから見て僕ってこんなにきらきらしているもので溢れているんだ。そう過ぎった途端、どこか気恥ずかしささえ抱き始める。
ただ、ああ、これは間違いなく。
「……不破さん」
「んあ?」
「有難う、御座います」
あまりにもあたたかい。やさしくて、涙が出てしまいそうなほどの嬉しさが寄り添う。
ぎゅっと両手に握り込めた花束を揺らして笑んだ甲斐田を見てか、不破は傾けたエナドリの缶の中身を少し飲み込むと、空いていたもう片方の手で彼の頭をくしゃくしゃに撫でまわした。
「わっ!? ふ、不破さん」
「……俺さあ、やっぱホストだから。花束とかもらうんよ、姫から」
「……はい……?」
「もらえるんなら何でも嬉しいからいつも嬉しいんやけど。でも、こういう感覚なんやなあ」
「どう……?」
「んや、あげる方も嬉しいんやなって。選んでる時とか楽しかったしなあ」
そうしてまた、いつものように不破は楽しげに声を上げて笑う。未だ甲斐田は頭をぐちゃぐちゃになるまで撫でつけられて、そこそこに悲鳴を上げているというのに不破は止めやしない。なんだこの人やっぱり、なんて思った甲斐田ではあったが、ただこの手の中に鎮座している花束の存在のせいか──今日はいつもより、喚くことも怒ることもできやしなかったのだった。