発端いつもの平日、いつもの昼過ぎ。
私はいつも通り茶屋……ではなく突然呼び出されて隣町の雑貨屋、一輪堂で仕事に追われていた。
とは言っても「付喪神の宿った商品」を扱う特殊なこの店が大盛況になんてなる訳もなく、なんなら超優秀な店員ことシェイムさんがいるのだから本来仕事に追われるどころか私の手伝いなんて要らないはずだ。
…私の目の前で仕事を量産して行く店主が居なければ、だけど。
「もーーラギさん!私とシェイムさんがいるからってポンポン物散らかさないで!」
「おや済まない。ほら、そんなに拗ねないでおくれ?」
そう言ってやけに機嫌の良さそうな店主、柊 弥琴 ─私はラギさんと呼んでいる─ はニコニコとしたまま引き出しを開けて瓶から金平糖を1つ摘むと私の口の前に持ってきた。
…確かに私は甘党だけども甘いものを食べさせておけば機嫌が治ると思ったら大間違いだ。というかシェイムさんの前でこれは良いの…?
軽くラギさんにジト目を向けてから、チラッとシェイムさんの方を振り向く。けれどシェイムさんは素知らぬ顔で淡々と商品の手入れをしていた。つまりまぁ、私がこうして食べさせて貰うのはシェイムさん的にOKらしい。とは言え、だ。
「…子供じゃないんですけど」
一応これでも私だって人間歴18年+妖歴5年の大人だ。
そりゃまぁ…年齢不詳、でも少なくとも500年以上前からこの店を開いておりそれ以前は名の知れた大儺として国中を旅していたらしいラギさんからすれば子供も子供だろうけれど……
「いやいや、私は姉として妹を甘やかそうとしているのだよ?」
私の考えを見透かしたように、ラギさんは笑いながらそう言った。
…当然、私とラギさんに血縁関係なんてない。なんなら私は大儺としての弟子であって、姉妹関係には程遠い……はずだったのだけど、前に私がラギさんをうっかり「姉みたい」なんて言ってからずっとこうして妹扱いしてくるようになった。…嫌では無いけども。
「……はぁ」
大きく溜息を吐いて、それからパクリと金平糖を咥えて口の中で転がし、思わず頬が緩みそうになるのを我慢しつつ広がる上品な甘さを堪能する。これは絶対良い所の物だ。たった1粒だけれどそう確信出来た。となれば…。
「…シェイムさん、ありがとうございます」
振り向いてそう言うと、シェイムさんは手を動かしたまま少しだけこちらに顔を向け、けれど特に何も聞くことはなく「構わない」と言うとまた作業に戻った。一方ラギさんは…ちょっと不貞腐れてたけど。
「私にお礼は無いのかい?」
「だってこれ買ってきたのシェイムさんでしょ?」
「ふふふ、それはシェイムが買ってきたのではなくて、作ってくれたのだよ」
「……えっ金平糖を?」
「そうだよ」
「準備さえ整えば問題無い」
「わぁ…流石……」
金平糖が好きな嫁の為に金平糖を自作する旦那が一体何人いるだろうか。まぁシェイムさんなら案外造作もないことなのかもしれないけれど、それにしたってこの2人の夫婦愛の深さは…なんていうか凄い。
そう思いつつ机周りの片付けを再開すると、ラギさんは「お茶を淹れてくるよ」なんて言って土間に向かった。出来ることならお茶を淹れるより先に帳簿の整理を終わらせて欲しかったのだけど、シェイムさんは気にせず今のうちにとラギさんの座椅子周辺を片付け始めたので、私もそれを隣で手伝いながら少しシェイムさんを見上げた。
「…ラギさん、前はもう少し散らかし癖がマシだった気がするんですけど」
「今でもいつもはもう少し真面目だ。目を離すと散らかすのは変わらないが…今日は君がいる」
「…ん?私がいると散らかすの?」
「正しくは、散らかすと君が来る…の方だろう」
「えっ」
思わず素っ頓狂な声が出る。だってまさかそんな理由で散らかしているとは思わないだろう。
つまりラギさんは私に来て欲しいからって…いやいやこんな子供みたいなやり方あります?!
「納得出来ないのなら弥琴に直接聞いてみると良い」
あっさりシェイムさんにはそう言われたけど…多分ラギさんは認めない気がする。嘘は下手だけど変な所で素直じゃないし。別に来て欲しいなら普通に予定立ててシェイムさんに許可貰った上で呼んでくれたら一緒にお出かけとかだってするのに…とそこまで思ったけど考えてみればシェイムさんはそれが分かっていて付き合わされているってこと…?
「で、でもあの、シェイムさんはラギさん止めなくて良いんです?大変でしょ?」
「弥琴が好きでしていることだ、止める理由がない。君は疲れたのなら先に休むといい。後は私がやろう」
「…うーん、この激甘加減」
つい「心配する必要なかったな…」としみじみしてボソッとそんなことを言ったけれど、本の山を軽々抱え棚に向かったシェイムさんは振り返ることも文句を言うこともなかった。…尻尾が少しだけ揺れていたから「満更でもない」らしいけど。
「…じゃぁちょっと休憩」
小さく言ってラギさんの座椅子に腰掛ける。
正直ずっと畳に膝をついて片付けをしていたから膝が痛い。まぁ少しすれば治る程度だけど…と、そこまで思ってふと昨日の会話を思い出し、膝を撫でる手を止めた。
「そういえばシェイムさん。匂いが少なくて液体じゃなくて、でも咄嗟の時にすぐ使えるような形状の傷薬って作れたりします?」
「…ふむ。それはリアの提案かい?」
突然の話題だったにも関わらず聞いてすぐにシェイムさんは作業の手を止めてこちらを振り返り、小さく首を傾げながらそう言った。うーん、流石はシェイムさん。
「よく分かりましたね…」
「君が自ら傷薬を携帯するとは思えない」
純粋に凄いなぁと思っていた所でピシャリと言いきられて思わず固まる。それから当然のように反論出来なくてスーッと目を逸らして苦笑いしたけれど、まぁ…うん。今持ってるのもリアに持たされてる物だしなぁ…。
「そ、それはー…でもほら、ハルさんの可能性だって…」
「確かにハウル君は傷薬を作ることに対して積極的だが、一般人だ。戦闘慣れしていない彼が薬液の音や匂いに気を配る配慮があるとは思えない」
「う…はい。リアに何か欲しい薬があるか聞いてさっきのを言われて最初は頭にハテナ浮かべてました…」
「だろうね」
そう言ってシェイムさんは小さくクスッと笑った。やはり私達姉弟のことはお見通しらしい。けれど別に今更悪い気はしないし、それよりも気になるのは薬のことだ。
「それで、作れるんです?」
「あぁ、手間は掛かるが問題無い」
「無いんだ…。流石…」
「しかし、明日教えるのなら少し材料を揃えに行く必要がある」
「明日…?あっ、ハルさんに薬学教える日か…」
3ヶ月程前、ラギさんに自衛しないことをこっぴどく怒られたハルさんは自分に出来ることをしようと改心し、ある程度持っていた薬学の知識を伸ばす為シェイムさんに教えて貰うことになった。つまり今はシェイムさんの弟子である。そして丁度明日は何度目かの勉強会の日だったことを思い出し納得していると、シェイムさんはコクリと頷いた。
「恐らく明日同じ質問をされるだろう。それなら先に用意しておいた方が効率がいい」
「確かに…そうですね」
元はと言えばハルさんがシェイムさんに教えて貰う為にしていたであろう質問なのだし、リアからの要望とあればそれはもう全力で教わろうとするだろう。なら前もって教える準備を整えておく方が…とは思うけれど。
「……え、いや、今から行く気です?」
気づくとシェイムさんは持っていた掃除道具をきちんと置き場に戻してから襷掛けにしていた紐を解いて煙霧の中に放り込んでいた。完全に行く気満々である。そりゃ確かにまだ夕方にもなっていない時間だし、行先によっては店が閉まってしまうから急いだ方が良いのかもだけど…。
「そうでないと弥琴の食事の時間に間に合わなくなってしまうだろ」
前言撤回。やはりシェイムさんが最優先にするのは嫁の事だった。
まぁ(シェイムさんは「それが良い」とも言っていたが)ラギさんはお世辞にも料理が上手いとは言えないしなぁ…。
そう思って少し苦笑いしていると、用意が終わったらしいシェイムさんが私…いや、私の後ろの扉の方を見ていた。
「勿論、弥琴の許可が出ればの話だが…」
「構わないよ」
間髪入れずに後ろから声が聞こえて驚きつつ振り向くと、いつの間にかラギさんがお盆に湯呑みを3つ乗せて戻って来ており何食わぬ顔で机の上に盆ごと置くと、シェイムさんはすぐに湯呑みを1つ手に取り一気に飲み干してから盆に戻した。…熱くないのかな。
「店は閉めて行く。私が戻るまで休むといい」
「あぁ、そうさせて貰うよ」
私も1つ湯呑みを手に取り、程良い温度だったお茶を1口飲みながら目の前で繰り広げられるアツアツな光景を眺める。この際「いや数年前までずっと1人で営業してたんだし店主いるのに店閉める必要は無いでしょ…」と思ったのは黙っておこう。
けれど、よくよく考えてみれば店を閉めるのなら私がここにいる理由も無い気がする。どうせシェイムさんが居ない時にラギさんが残っている仕事をするとは思えないし、お客さんが来ないのなら私が必死に片付けをする必要も無い。それなら…。
「……あの、シェイムさん。私も行って…良いですか?」
イチャつく2人に少し申し訳ないと思いつつそっと声を掛けると、2人同時にこっちを向いた。そして再び顔を見合わせていた。どういう反応なんですか、それ。
「も、勿論迷惑になりそうだったら断って貰って大丈夫なので!」
慌ててそう付け足しはしたけど、一応興味だけでお願いした訳でもない。ハルさんの姉として弟がお世話になる分お手伝いがしたかったのと、シェイムさんの義妹として役に立ちたかった。…シェイムさんの役に立つという点なら店の片付けを続けていた方が良いかもだけども。
でもいずれハルさんが薬学を学び終えたら流石に毎回シェイムさんに素材集めをお願いする訳には行かないだろう。とは言えハルさんはハルさんだし、正直1人で異世界に行かせるのはあまりにも不安だ。ハルさんだし。となれば私が代わりに行けるのが1番良い。勿論シェイムさんの許可が出ればだけど…という心配を他所に、シェイムさんはラギさんがコクリと頷くのを見てから私の方に顔を向けた。
「…いや、問題ない。今から行く世界は安全とまでは言えないが、効率よく素材を回収出来る場所を知っている。…一緒に行くかい?」
「…!はい!」
「なら」
そう言われてすぐに私もお茶を飲み干し、ウエストポーチを取りに行ってブーツを履いた。シェイムさんはどうやら袴のまま行くようだけどまぁ何も言われないということは私もこの格好で問題無いのだろう。
「お待たせしました!えっと、よろしくお願いします」
「あぁ」
「行ってらっしゃい。気をつけるんだよ」
「はい、行ってきます」
「行ってくる」
そうして私はシェイムさんと2人で異世界に出掛けた。
─勿論行先がお店…ではなく、お城だなんて知る由もなく。
(補足)
大儺
→アヤの本職。邪鬼(=悪い妖の総称)祓いの専門家。妖のみが就ける。アヤは「警備員のような」と軽く言うが実際は普通に危険な戦闘職(事実アヤは何度か死にかけている)
どう考えても戦闘関連能力を持たない覚であるアヤは大儺に向いていないが、親友(結望)を守る為だけに弥琴に弟子入りして大儺になった。多分国内唯一の覚の大儺。
尚、本来大儺は自分の能力と弓を使うがアヤは「矢で刺した方が早そう…」なんて言ったので弥琴に槍を渡されている。