未成年飲酒「もう、飲み過ぎだよ」
呂律の怪しい口調で「全然だわ」と答えた少年をエレベーターに押し込んで、入口で選んだ一番安い部屋を目指す。
ヘラヘラと笑いながら大きな体で私に凭れ掛かる少年は、まるでモデルみたいなスタイルで、顔の造形も完璧だった。長い三つ編みが私の首元をくすぐる。お酒と強い香水の匂い。彼は未成年だった。
エレベーターを降りて、安っぽい絨毯が敷かれた廊下を歩く。足取りの覚束ない少年に肩を貸せば容赦無く体重を預けてくるから潰されそうになった。少年の身体を引きずって、漸く探していたルームナンバーのプレートを見つける。
値段相応の、ちょっとレイアウトのダサい部屋。中央に大きなベッドがひとつあり、取り敢えずそこに少年を座らせた。
「わーおねーさんのエッチー」
ガキの癖に生意気だなぁ、と少し腹が立ったが、私は大人なのでぐっと飲み込んだ。
「ランくん、だったよね? 名前」
「そー。気軽に呼んで良いよ、許してあげる」
「生意気な酔っ払いだなぁ」
六本木にある行きつけのバーで飲んでいた私の隣に、少年は当たり前のように座って「こんばんは」と笑った。
「お姉さん、ご一緒してもいー?」
人好きのしそうな笑顔も含め、どう見ても未成年の風貌で戸惑ったが、こちらを見たマスターが表情を変えずにアルコールを出したので何も言えなかった。
「三杯までね」
「それで足りんの?」
「アンタが三杯。私はその間好きなだけ飲むから」
少年は最初こそ不服そうな顔をしていたが、度数の強いものを選んでゆっくりグラスを空けていった。彼はとても聞き上手で、私は仕事の愚痴や元彼の話などを赤裸々に話したように思う。
それなのに私からの質問には殆ど真面目に答えないものだから、彼については弟が居るという事しか分からなかった。
そうやってくだらない世間話を交わしているうちに、少年はきっちり三杯飲み干していた。そろそろ出ようかと率先して席を立つと、それに倣った彼の三つ編みがふわりと揺れるのに気付き、私は慌てて大きな身体を支えた。
「ちょっと、大丈夫?」
「ぜーんぜん無理!」
アハハと笑いながら猫みたいに擦り寄ってくる少年に困っていると、此方を伺っていたマスターと目が合って、慌てたように逸らされた。
まぁ、未成年を酔わせて放置するなんて、大人として、人としてアウトだろう。アルコールを飲ませた時点でアウトだけれど。でも、だってマスターは彼について何も言わなかったもん。何かあっても私は知らなかった事にする。全部マスターのせいにする。
バーから出ると、都会の冷たい風に酔いが醒まされていくようだった。
「家まで送るから住所教えて」
「二軒目?」
「行きません。家ここら辺?」
「あー寒いから鍋食いたいかも」
「行かないってば……」
何度同じやり取りをしても少年は住所を教えてくれなくて、それならとタクシー代を渡すと露骨に機嫌を悪くした。何とも面倒な酔っ払いである。
自分の部屋に連れて帰るのは近所の目が気になるし、幾ら未成年でも一緒の部屋で寝るのは不味い。未成年だからこそ、だ。
「あーもう……あそこで良い?」
そう言って一番近くにあったホテルを指差すと、彼は今日一番の良い返事をした。
背中を丸めてベッドサイドに座った少年の、窮屈そうな三つ編みを解いてやる。私の手元をじっと見つめる瞳は酔っ払いのそれとは違う、妙な冷静さがあるような気がした。未成年だと一目見て分かる少年は、それでもどこか大人びているのだ。
黒と金の不思議なカラーで染まった長髪は少しウェーブがかっていて、少年を一層美しく見せた。早くこの部屋から出て行かなければと、妙な焦燥感が浮かんだ。
「シャワー浴びれる?」
「一人じゃ無理」
「じゃあ起きてから浴びなさい」
私もう帰るからね、と扉の方へ爪先を向けると、背中に子供みたいなブーイングが飛んできた。
「俺まだお姉さんの連絡先聞いてないけど」
「子供には教えません」
「えーじゃあ名刺は? あるでしょ?」
名刺? と頭にクエスチョンマークを浮かべる。思い出にするからさ、と少年が言った。
まぁ、個人の連絡先が載ってる訳でもないし、それくらいなら良いか。
「はい、めいし──」
名刺を差し出した右手を勢いよく引っ張られ、何がなんだか分からないままベッドにダイブ。硬いマットレスに額をぶつけた。
「ちょっと!」
「ダメじゃん、簡単に個人情報見せるの」
私の手から離れた名刺を拾い上げ、少年それをひらひらと振ってみせる。私は鈍く痛む額をさすりながら、その生意気な様を睨め上げる。
「アンタが欲しいって言ったんじゃない」
「欲しいって言ったら誰にでもあげるの?」
そりゃあ、名刺ってそういう物でしょう。何を責められているのか分からずにいると、少年はベッドに寝転んだままの私に覆い被さった。長髪に囲われて視界が暗くなる。
「ねぇ、退いてよ」
「俺さぁ、この紙切れ一枚あれば、例えばお姉さんのコト狙ってる同僚とか、虐めてる女とか、セクハラ上司とか、そういうのぜーんぶ調べられるよ」
「え、なに言って……」
「んで、そいつら全員ぶっ殺す事も出来るよ?」
良い加減にしなさいと、声を荒げてでも怒らなければいけなかった。冗談でも言って良い事と悪い事があるし、これは完全に後者だ。それなのに、少年の瞳が私の発言を許さない。
「お姉さんが望んでも、望まなくても。俺が、殺しちゃおうかなーって思ったら、出来るよ」
ぞわりと全身に鳥肌が立つ。目の前の少年が怖い。自分を押し倒しているこの少年が、本当に言った通りの事を出来てしまうのなら。きっと、無様に押し倒されている私の命なんて、蟻を潰すみたいに簡単に奪ってしまえる。
……ダメだ。流されるな。
「酔っ払いの戯言を間に受けたりしないよ」
「でも、震えてんじゃん。かわいーね」
言われた通りで、本当はいっそ泣いてしまいたかった。子供みたいに、泣いたら許してもらえる気がした。だけど、私は大人だし、この子は子供だから。そんなつまらない虚栄心だけが私を支えていた。
「なぁ、もう分かってんだろ? 酔っ払ってねーよ。最初から」
「ねぇちょっと、お願いだから一旦離れて」
自分でも分かるくらい声が震えている。少年はそれに楽しそうな顔をした。
「蘭、でしょ?」
ぐっと距離が縮まって、お酒と強い香水の匂いがする。
「ね、気軽に呼んでよ。許すから」
「ら、らん……」
「そー。じゃあさ、お姉さんも許してね?」
彼の舌が唇を割って口内に侵入してくる。快楽に身を委ねられずにいると、舌先に強い痛みを感じた。口内に鉄の味が広がって、視界が滲む。ランは笑っていた。