あなたはどんな名前をつけるの「これ貸してくーださい」
「あ、三ツ谷くん」
隣のクラスの三ツ谷君は、よく図書室にやって来る。それは大体放課後で、いつも洋服とか装飾の本、色の辞典なんかを一冊だけ貸し出しカウンターに持って来るのだ。
「はい。再来週までね」
「ありがと。今日は部活が休みなんだよ」
「そうなんだ。手芸部だよね? 器用で良いなぁ」
「■■は不器用なのか?」
三ツ谷くんはそう返しながら近くにある椅子を引きずってきて、私たちはカウンターを挟んで向かい合うかたちになった。図書室を出ていく様子がないから、話し相手になってくれるのかな? と少し期待して会話を続ける。
「んー器用では無いかなぁ。家庭科の裁縫でも、微妙な物ばっかり出来るんだよね」
普段は放課後でも数人の利用者がいるけれど、テストが終わったばかりだからか、今日は図書委員の私だけ。声のボリュームを気にする必要もない。
「へー、意外。裁縫に慣れてないだけなんじゃね?」
「そうなのかなぁ」
確かにそれはあるかも。針も糸も授業でしか使わないし。
「ちょっと手相見せてよ」
「手相?」
「ん。俺、手相見れば器用か不器用か分かるんだよね」
「えーほんと?」
半信半疑のまま右手を差し出すと、三ツ谷くんは私の手にゆっくりと触れた後、そっと両手で包み込んだ。三ツ谷君の手。指が長くて、爪は短くて、あとは喧嘩で作ったであろう傷が見える。
私とは違う温度を感じる。いまいち状況が掴めなくて、瞬きをひとつ。大きな窓から西日が射して、図書室にオレンジ色が流れ込んだ。
「これ、手の平見えないじゃん……」
「うん。嘘だからね。手相なんて分かんねぇ」
「な、なんで、」
「■■の手に触りたかったの。ダメだった?」
ずるい、ずるい、ずるい!
三ツ谷くんの手があまりにも優しくあたたかいから、ダメだとかダメじゃないとか、何も分かんなくなる。思考が溶けていく。
「顔真っ赤」
「誰のせいで……」
「俺のせいだろ? かわいい」
私を掴んだ両手にぎゅっと力が込められて、キャパシティはいよいよオーバーしそうだ。
下を向いてると二人の手ばかりが見えて恥ずかしいし、だからといって目線を合わせる勇気は無くて、上目遣いでそっと三ツ谷君の表情を盗み見る。
「……顔、真っ赤」
「まぁ、好きな子に触れてるからなぁ」
人のこと言えないじゃんって揶揄う前にトドメを刺されて何も返せなくなった。
それって告白? って聞きたいけど、三ツ谷君の顔が本当に赤かったから、意地悪を言っちゃいけない気がした。私、人を気遣う余裕なんて無いくせに。
自分の心臓の音ばかりがうるさい図書室に、下校を促すチャイムが響く。いつの間にか辺りは薄暗くなっていて、何だか悪い事をしている気分だった。やけに大音量だったチャイムの残響が放課後に溶けていく。放送が途切れる、ブツリという音がスピーカーから聞こえた。
「三ツ谷君」
「うん」
右手を包む三ツ谷くんの両手の上に、そっと左手を乗せる。これが答えっていう訳じゃないけど、でも、ここで「じゃあまた明日」なんてのもなんだか嫌だった。
「外、暗いから……送ってってくれる?」
三ツ谷君は目を大きく開いて、それからすごく嬉しそうな顔で「うん」って頷いた。
私、胸の苦しみに幸せを感じる事があるなんて知らなかった。