氷獄の外へと 3ここ暫くで一番スッキリとした目覚めだったと思う。
チルットにつつかれ、ジュカインの手が頬を滑って意識が戻る。いつもの叩き起こされるのとも違う、労わるように起床を促されて、ゆっくり目を開いた。
「…………おはよぉ」
目を細めてポケモン達を順に撫でたら、撫で返される。優しい手つきと窓から差し込む太陽の光が気持ちいい。
キングドラが擦り寄って心配そうな眼差しを向けてくるので、「だいじょうぶ」と呟きながら起き上がった。
ちょっと頭は回らないが多分寝起きな所為だ。ふわふわ身軽な心地で、いつものように笑って見せる。
……皆凄い顔をしていたから、恐らく上手く笑えてなかったのだろう。なんかごめん。
「大丈夫なつもりだったんだけどねぃ」
自分の両頬を引っ張って揉み解す。幼少期から染み付いた作り笑いを忘れてしまうとは。やっぱ大分限界だったんだなあ……
どうしたもんかボーッと考えていたら、控えめなノックの音が響いた。続けてガチャガチャと鍵を開けられる。
「あ!おはようカキツバタくん」
「おはよぉー」
「うわかわいっ」
「へ?」
現れたのは少し見慣れてきた顔だった。彼はこちらの顔を見るなり妙なことを口走って顔を覆った。
なに?おれのなにが可愛いって?
彼の足元に居たドーブルが呆れたように首を振っていた。
「ご、ごめんなさい。取り乱しそうに……キモいですよね、落ち着きます」
「いやあ全然いーけど。おれの何処が『可愛い』って?」
単純に不思議で尋ねたら、彼は悶絶する。
あー、よく考えたら好いてるヤツに直接そういうポイントを話すのはキツいか。おれも普通に気まずいし、付き合ってるわけでもないんだし、やらかしたかも。
やっぱり言わなくていいと制止しようとしたが、彼はその前に答えた。
「…………目が、見たことないくらい、ふにゃふにゃ、してて……」
やっぱ聞かなきゃよかった。
「あと……久しぶりに、顔色良くなったなって、つい……」
「………………」
遠い目になりそうだったが、続いた言葉に何度目か申し訳なくなる。
ポケモン達だけでなく、彼も随分心配してくれていたようだ。本当に安心したと言いたげに、瞳を潤ませながら歩み寄ってくる。
そのままこの間したようにおれの目の下をなぞった。
「よかった。ちょっとはマシになったみたいで。……ボクのしたことは間違いだったんじゃないかって、思わなかったわけじゃないから……」
「…………そっか……」
そりゃそうだ。おれと同じで、コイツだって普通の人間で、まだ学生で。覚悟を決めたからって後悔が一切過ぎらないとは言い切れない。
感謝すべきか、謝るべきか。こんな真似をさせてしまった身で迷って、結局マトモに応えられず俯いた。
おれ、酷いヤツだなあ。
「でもまだ全快じゃないみたいだね。熱はもう出なくなったかな?ご飯は食べられそう?」
「……へーき。たべる」
ともあれ元気だし食欲もあることを伝えれば、彼はニコニコ顔を明るくしてドーブルに食事を運んでもらった。
「今日の朝ご飯はうどんだよ」
「食堂にもあるアレ?」
「そう。でも具材は控えめにして麺も食べやすいように短く切ったし、味付けも薄めにしたから」
今度は割と馴染みのある物だったが、あの学園定食のような重たい唐揚げは盛られていない。まだガッツリ系は喉を通る気がしないので有難かった。
「自分で食べられそう?」と問われたので頷き、器とフォークを受け取る。
「……あの」
「ん?」
「ボクも、ここで、食べていい、ですか?」
見た目がなんとなく新鮮で観察して匂いを嗅いでいたら、モジモジ妙な質問をされてキョトンとしてしまった。
「好きにしなよ。ここアンタの家なんだし……おれは気にしないよ」
「ほ、本当!?じゃあお邪魔します!」
「いやだからここアンタの家………」
「ここはボクの家だけど、この部屋はキミの部屋だから」
置いてあった椅子を運んでご機嫌そうに座るその言い分は、ちょっと腑に落ちなかったけど。
一応プライバシーは守れる範囲で守りたいということだろうか。
「じゃあいただきます!……うん、我ながら良い出来栄え」
「……いただきます」
兎にも角にも、二人で朝食を食べ始めた。
一口含んでから『そういえばブリジュラス達の飯』と今更ハッとして振り向いたが、手持ち達はおれの荷物から勝手にポケモンフーズを取り出していた。
驚いていると目が合って、『しまったとうとう気付かれた』なんて顔をされる。
「大丈夫ですよ。あの子達、キミとここに来た日からああしてちゃんとご飯食べてるから。賢い子達だね」
「え、ぁ、でも………」
「……毎回律儀に鞄に戻して、散らかさないようにもしてくれてる。食べ過ぎてることも遠慮してることも無さそうだから安心して。無くなったらボクが似た味のやつ探して買って来るから」
本当、おれ、ダメなトレーナーだなあ。心配掛けさせて、不自由もさせて、世話の一つも出来ないとか……
「ごめんなあ、皆」
妥当な謝罪だったと思う。ちゃんと謝るべきだから謝った。
だけど皆は青褪めて、オロオロとおれを撫でたり抱き寄せたりしてくる。まるで『気にしないで』と言うように、悲しそうな鳴き声を出していた。
「皆。カキツバタくんも食事中だから落ち着いて。ひっくり返しちゃう」
よく分からないままおれも離れるよう伝える。ポケモン達は何故か酷く落ち込んだ様子だった。
「カキツバタくんも。気持ちは分かるけど、あんまり気に病まないで。ずっと起き上がるのも大変なくらい具合悪かったんだから仕方ないよ」
「…………でも」
「無理したってポケモン達も辛いだけだから。これからまたちょっとずつ、前に出来たことを出来るようにしよう。今のカキツバタくんはゆっくり気楽なくらいが丁度いいと思うんだ」
そうは言っても、トレーナーはポケモンを大事にしなくちゃいけなくて、面倒見る責任があって。
「皆が心配してるのは分かってるんでしょ?大切なご主人に苦しみながらお世話されたって、この子達も苦しいだけだよ」
「………………」
「ボクも手伝うから大丈夫。大丈夫ですよ。少しずつ立ち上がろうね」
……納得は、しづらいというか、したくなかったけど。
当のポケモン達が彼の言葉全てにうんうん頷いて泣きそうになっていたから、本当にそうなのかもしれないと。なんとか小さく頷いた。
「ほら!うどん伸びちゃう!早く食べよう!」
「あ、うん……」
ドーム部員は直ぐ様切り替えて、そう食事を再開した。おれはビックリしながら同じようにウドンを口に運ぶ。
柔らかくてしょっぱい。少し冷めてしまっていたが、でもあったかい。
ポケモン達も各々なにやら会話しながら食事を摂っている。
ひとりじゃないんだなあ。そう漠然と感じた。
「ごちそうさまでしたー」
「ご、ちそうさま、でした」
そのうち皆で朝食を終えた。
まだあまり歩ける気がせず片付けも出来ないことが後ろめたかったが、空になった食器を渡すと彼はむしろ嬉しそうに笑った。
「全部食べれたんですね!よかった!」
「まあ、流石に、お腹空いてたし……量も多くなかったし」
「お腹空いてたの!?もっと食べます!?」
「いや、もういい……」
「そっかあ」
それにしても、ちょっと食べただけでこんなに喜んで褒めるなんてまるで子供扱いだ。おれの方が年上な筈なんだけどなあ……
今更プライドとかあるわけじゃないけど。やっぱりムズムズするし恥ずかしい。そのうち普通に食べれるようになったらこれも無くなるのだろうか。
……それもそれでちょっと寂しい気もする。そんなに愛情に飢えてたのかなあ、おれ。
「なにか温かい飲み物でも淹れるね」
「あ……いや……だりぃしねみーからあとで……」
「そっか。分かりました」
なんか本当寝てばっかだけど、久しぶりに腹が膨れて一層眠い。
もうちょっとだけ……そうさっきもしたような言い訳をしながら横たわった。
「じゃあボク片付けしてくるので、また後で……」
「あー……あの、この部屋風呂あんだっけ……?」
「? ありますよ。あんまり広くはないけど」
「じゃあ、あとではいる……たぶん何日かサボってるよな……?」
「まあ学園出てから二日は経ってますけど」
二日。二日も寝て起きてばっかしてたのか。怖。
「でもお風呂なんていつでも入れますよ。まだあんまり無理しない方が……また熱出しちゃうかも」
「んん………でも流石にきもちわりーもん……」
その熱で汗も出たし。着替えたいし。確かに自分は物臭な方だが不潔でもいいと思ってるわけではない。
今にも寝そうになりながら、でもこれ以上止めてくるなら諦めようか悩んでいると、彼は考え込んで。
「そ、それじゃあボクが手伝っていいなら入ってもいいよ!」
「じゃあそれで」
「えっ」
嫌がると踏んでの提案だったのかもしれないが、別に嫌でもなかったので頷いた。
彼は目を見開いて固まる。
「どーせまだあんま歩けないし、ぜひともおねがいしまーす。ふぁあ……」
「ま、待って待って。あの、ボクの話聞いてた?ボク、その、カキツバタくんに気があるんだよ?ただの男同士ともちょっと違うわけで」
「アンタはおれのことおそったりしないじゃん」
「しないけど!!ちょっ、本気!?」
「もう散々痴態はさらしてっから、今更はだか見られるくらいべつに………」
「自己愛!!全然『くらい』じゃないですよ!!」
「いいからもうねかせてくれーい………げんかい………ねむい………」
「う、うぅ……わ、分かったよぉ……ボクから言い出したことだもんね……」
本当に好かれてるということへの現実味が無かったのもあるが。もし貞操を狙われても死ぬわけじゃないしいいかな、くらいの感覚だった。
彼には沢山迷惑掛けてるし、それで満足するなら、とも。
「じゃ、じゃあ、片付けして、お風呂沸かすんで……あ、う、い、一時間後くらいに、お、起こすね……」
スゲー挙動不審。ドーブルとチルットは呆れ果てていた。
扉まで歩く彼にちょっと愉快になりながら、片手を振って了承の意を示した。
人の気配が消え、扉と鍵の閉まる音が響く。
……そういえばいちいちちゃんと施錠してんだな?まあ誘拐だもんなあ。もしフラッと出て行かれたら困るもんな。いやどんだけ扉ガチガチにしても窓から全然出られるけど……ポケモンも居るし……
半分は所謂監禁状態に思えるが、別にここから出るつもりも理由も無いのでどうでもよかった。そんなことより眠い。寝たい。
その睡眠欲に最早一切抗わず、視界を閉ざした。
そういえば、ここに来てから夢を見ないな。不意にそう気付きながら眠りに落ちた。