Recent Search
    You can send more Emoji when you create an account.
    Sign Up, Sign In

    775

    @775_sd

    🏀🦔⸒⸒

    ☆quiet follow Send AirSkeb request Yell with Emoji 💙 🏀 🎣 💙
    POIPOI 7

    775

    ☆quiet follow

    2024.3.10 pixiv
    友達から告白まで
    ひらブー用SSでした

    #仙越

    あいもかわらず一年生、水無月

    本日快晴。
    高校へ進学した仙道彰が住まうのは、越境入学の為に三年契約で借上げたアパートから高校まで徒歩約十分の好条件の好物件。の、はずなのだが。毎日毎日小学生よろしく道草食って歩いているので十分以内に辿り着いたことは入学して二ヶ月経つが未だ無い。二度寝の誘惑にどうにかこうにか打ち勝った仙道は、寝ぼけ眼で通学路を彩る木々や花々を眺めつつ、ふと、支流に掛かる橋のガードに屯する雀たちに目を向けた。チュンチュンと、賑やかに囀っていたところへ不届き者の介入者の気配を察し大半が飛び立った。
    が、一羽だけ。
    その場から離れずに、まるで仙道に挑むかのように差し向かう雀がいた。
    「おまえ、根性あるなぁ」
    可愛い顔して負けん気だけはいっちょまえ。
    (なんか似てるな)
    目の奥に浮かんだ姿につい吹き出した。面白がって顔を寄せてみると、驚いたのか雀は小さな羽をばたつかせ外敵とみなした仙道の顔面をはたき落とし、そう離れていない電線からこちらを見守っていた仲間の元に飛び立っていってしまった。
    すこ〜し、ちょっかいをかけただけでこの仕打ち。

    なにもこんなところまで似なくても。

    すっと通った鼻梁を軽く擦り、まいったなぁ、などと少しも困った様子の無い仙道に、勇敢な雀は早く行ってしまえとばかりにチュンチュン鳴いた。

    一年生、師走

    鎌倉は関東一の神社仏閣を有する観光地だ。
    大晦日の夜、有名どころは地元民や観光客でごった返す盛況ぶり。除夜の鐘で一年溜め込んだ煩悩を振り払い今年も一年いい感じにヨロシクと五円玉で神頼み。カミサマだって一年に一度だけ詣でる人間のねがいごとなぞ聞いてくれるのかよ。なんて斜に構えるつもりは無いが、毎年家族に連れられて行く明治神宮は中学に上がった年でバスケを理由に断りやすくなった。神奈川に越境入学したおかげで今年もあの人だかりの一員にならずに済む、と思っていたのだが、大晦日までこっちいるならみんなで八幡様へ初詣に行こうぜと越野に誘われれば行くと即答する自分がいた。正直、祭神サマだろうが八幡サマだろうがどちらにも興味も感心も信心もないのであるが、年越しの瞬間を、気の置けない仲間と過ごすのは悪くないと思ったのだ。
    『オカンが初詣行く前にうちで晩飯食ってけって、だって』
    『え、いいのか』
    『いいんじゃねーの、おまえうちの親に相当気に入られてるから』
    困ったように越野が笑った。
    『駅で待ち合わせでもいいけど、めっちゃ混んでるからカフェまで来てくれた方がいいかも』
    『カフェ?』
    越野は仙道の耳に顔を寄せた。
    『バイト、してるんだ』
    初耳だ。
    『みんなには内緒な』
    そう言って立てた人差し指から、目が離せなかった。

    越野が働いているカフェは自宅最寄りの長谷駅から徒歩圏内の場所にあるという。観光客がひしめく長谷寺や高徳院付近ではなく、反対側の海沿いの路地裏で一見わかりずらい。スマホの地図に目印を付けてもらったので、駅から導き出されたルート通りに歩くだけ。
    仙道は、ひとつ手前の極楽寺で降車した。
    以前、越野が言っていた。
    日没前の切通し、ちょっといいんだよな、と。
    鬱蒼とした雰囲気もあるが、喧騒から離れた薄暗い通りは心を落ち着かせるには十分だった。どんな時に彼は遠回りしてまでここを通るのだろうか。
    想像する。
    例えば、何かうまくいかないことがあった時、シュートがなかなか決まらない時、試合に負けた時。
    それとも、高揚とした気持ちを抑えたい時。
    考え出したらキリがない。
    星ノ井あたりで海に出る路地を曲がった。民家と民家の狭間を縫うように進み、ぶつかりはしないがわりとギリギリで、まるで江ノ電にでもなった気分だ。国道に出ると太陽がだいぶ傾いてきていた。そろそろマジックアワーが始まる頃。この時期だけは、由比ヶ浜の夕日も海に沈む。遠景の三浦半島もぽつぽつと灯りだしていた。

    越野のご近所さんが道楽半分で営んでいるという海沿いのカフェ。長期休暇の一日二日程度なので雇用契約など結んでおらず、あくまで家の手伝いの延長だ、と簡単に宣った。
    『俺は出来上がったコーヒーやケーキを運んで片付けて皿洗いしてるだけ』
    な、家の手伝いと変わらないだろ?
    なんてことなく越野は言った。世の母親が聞いたら泣いて喜びそうだ。
    『大晦日は毎年決まった団体さんの年忘れ会なんだよ』
    昼過ぎに始まり暗くなる前にお開きだ。上質な豆を挽いた珈琲を店主特製のケーキと焼き菓子をつまみに頂いて、今年も一年無事に過ごせましたと報告し合う。
    『どんな集まりなんだ』
    『……お茶とお花が好きな綺麗なオネーサマたちの集まりだよ』
    含みのある笑いになにかが引っかかる。
    『中学の頃から毎年手伝ってるんだけど、モテモテだぜ』
    『…へー』
    素っ気ない仙道の反応に、越野はくすくす笑っていた。

    おもしろくない

    以前は知らないが、今年は俺というものがいることをそのオネーサマ方とやらにわかってもらわねば。

    わかってもらって、それで

    『それで?』
    心の中の越野が問いかける。

    さぁ。わからん。

    ステンドグラスが嵌めこまれた扉を開け背を屈めて潜り込むと、帰り支度をしていたご婦人方の視線が一斉に集まった。
    「あらぁ、まぁまぁ」
    「大きい子ねぇ、カヨさんとこのお孫さんよりも大きいんじゃないかしら。ほら、サッカーやってる」
    「サッカーじゃなくてバレーボールよ」
    「似たようなものじゃない、ねぇ」
    「ひろちゃん、ほら、おともだち」
    「あ、仙道!」
    陵南カラーのような鮮やかな青いエプロン姿の越野がいた。
    「もう片付けるだけだからさ、座って待ってて」
    淹れたての珈琲をカウンターに置いて越野はすぐに厨房に下がってしまった。
    「ひろちゃんと同じバスケ部の子なんですって」
    「そうなのねぇ、ひろちゃん、いい子でしょう?」
    「せんどうくん、ね。ひろちゃんと、これからも仲良くしてあげてね」
    「はい、もちろん」
    自分の祖母くらいのオネーサマ方に囲まれて、仙道は一本取られたとばかりに頭を掻いた。

    越野はよく気が利く男だ。
    クラスでもバスケ部でも、人の動きに目ざとく反応して助けを出していた。一度でも越野の優しさに触れれば、怒りっぽい短所など可愛いものだと誰もが思う。
    (なんか嫌だな)
    心の奥底に、またひとつ。
    暗くて重い澱みが溜まる。

    「待たせてわりぃ」
    孫のように可愛がられてやっと解放された仙道と越野は互いを見合って苦笑いを浮かべた。
    「いや、なかなか楽しかったよ」
    「モテモテだったな」
    「モテモテだったよ」
    肩をぶつけ合って笑った。

    日が完全に落ちた海岸沿いを二人で歩く。
    あと数時間で年が明ける。

    「明日何時に出る?」
    「昼前には帰って来いって言われたから十時前ってとこか」
    「わかった」
    しっかり起こしてやるからな、と笑う越野の頭に角が生えたように見えた。
    「越野、四日ひま?」
    「四日?たぶんひま」
    「うち来いよ、だらだらしよーぜ」
    「実家でだらだらしてこいよ」
    「盆に帰った時に思ったけどもう自分ちって感じしねぇわ」
    「まだ一年も経ってないのに」
    「越野といる方がまだ落ち着く」
    「なんだそりゃ」
    嫌そうに笑うな。

    「あー、腹減った」
    「晩飯なんだろな。越野の母さん料理上手だから楽しみだ」
    「蕎麦の前に生しらすの食べ納めだな」
    「食べ納め?」
    「年明けから春まで禁漁なんだ」
    「へぇ」
    春になったらまた食えるから。

    春になったら
    二年になったら

    越野とは、進路別でクラスが別れてしまう。

    この曖昧な、ひどく心地好い関係も変わってしまうのだろうか。 

    このままが良い
    このままは嫌だ

    『どっちなんだよ!』
    心の中の越野が怒っている。

    「除夜の鐘、付きてえな」
    「え?!」
    「無理?」
    「無理だよあれ事前申し込み制だし」
    「そっか」
    何やら考え始めた横顔を見上げ、越野は宥めるように来年は申請しとくからと提案した。
    「来年?」
    「そ、十一月になったら申し込んでおくからさ、今年はがまんしろ」
    図らずも、来年の年越しも一緒にいる約束を取り付けた。
    「だから機嫌直せ」
    まるで子供扱いだ。

    このままが良い
    このままは嫌だ

    でも、何も無いのはもっと嫌だ

    「越野」
    「なに」
    「来年もよろしくな」
    「…おぅ!」

    どさくさに紛れて越野の手を取る。
    びっくりしたように見上げられるが、ゆるく指を絡められたので。
    (五円玉じゃ足んねーな)
    そうだ、出世払いにしてもらおう。
    神様相手にツケて貰おうとするまさに神をも恐れぬ仙道彰は、手の中の温もりをしっかりと握り返した。

    一年生、如月

    「一人暮らしは自由でいいよな」と、言われることが多い。
    確かに自由だ。
    仙道は頷いた。
    高校一年生という多感な年頃に親元を離れてのんびり気ままに過ごせるのだ。代償に家事は全て己の力で熟さなければならないが。入学当初はどうなることかと思ったが、いやいや果たして案外自分に向いているでは無いかと、仙道は思っている。だが家事が板に付いてきた仙道でもたまにやらかす時はあるのだった。
    「あ」
    傘が無い。
    玄関に大抵一本や二本はいつの間にか貯まっているコンビニ産のビニール傘が、無い。
    「あれぇ〜」
    前回使った日を思い出す。そう、確か今日のように朝からどんよりとした雨模様で、こりゃひと雨くるかと予想し持って行ったが帰りは夜空に星が瞬き朝の雨雲はどこ消えたのか嘘のように晴れていた。そうだ、越野と部活終わりに由比ヶ浜までラーメン食いに行った日だ。荷物になるから傘は部室に置いていったのだ。先程まで降るか降らないかどっちつかずだった天候が、今まさに本降りになってしまった。高校まで徒歩十分と言えど傘無しではタダではすまない雨足だ。
    さてどうしたものか。
    考えること数秒、閃きと共にスマホを取り出しメッセージを打つ。我ながらなかなか良いアイデアだ。間も無く着信が入りスピーカーをオンにしてゆる〜く挨拶すると案の定電話の相手は怒っている。
    『傘がねぇってどうゆうことなんだ!』
    「そのまんまだろ」
    『普通1本くらいあんだろ!』
    「それがねぇんだわ」
    『折りたたみは?!』
    「元々持ってねえ」
    『それくらい買っとけ!』
    (怒ってる怒ってる)
    「このまま行ったら雨に打たれて風邪ひくだろ」
    『知らねーわ!』
    「あーあ、コシノ君の大好きな陵南のエースが風邪でダウンしてバスケが出来なくなってかわいそう〜」
    『好きじゃねーわばーか!』
    「じゃあ待ってるから」
    『あっ!ちょ、ばか!』
    一方的に通話を打ち切り終了ボタンを押した。
    よしよし、迎えに来るまでひと眠り。仙道は、ふたたびベッドに寝転がり目を閉じた。

    「ばかセンドー!!」
    「わぁ!」
    「てめーなに寝てやがる!」
    「え、もう来たの?早くね?」
    時計を見れば五分ほど経っていた。
    「たまたまこっちまで来てたんだよ」
    手に持っていた紙袋が入ったレジ袋に印刷された店名を見て、なるほどと納得した。仙道が住まうアパートの最寄り駅の目の前に位置する越野家お気に入りのパンの店。越野の母親が特に気に入っているので夕食時に招かれる際に手土産に持って行くといたく喜ばれる。部屋に焼きたてのパンの匂いが漂う中、寝ぼけ眼で見上げる越野の姿がひどく朧気だ。
    美味そうな匂い。
    「ドアの鍵かかってなかったぞ。不用心だなあ」
    「越野が来る時はかけてないよ」
    「ピンポンするから、ちゃんとかけろよ」
    「じゃあ合鍵もらって」
    「いらねって言ってんだろ」
    「俺に彼女が出来るまででもいいから」
    「…っ」
    傷付いたような顔。
    (なんでだよ)
    「越野」
    仙道はベッドに腰をかけ直し、越野の手を引いた。
    「いいぜ、彼女が出来るまでな」
    ぶっきらぼうに手を振りほどかれる。
    「俺に女できてもいいのか」
    「知らねーよ。つーか今までいなかったのが不思議なくらいだ」
    「決めたやつならもういる」
    「ならそいつにやれよ!」
    「だからもらってくれって何度も言ってんだろ」
    越野の顔が苦しげに歪む。
    「なあ、越野」
    越野は黙って首を振る。
    「なあ、って」
    尚も言い募るが、越野は唇を噛み締め、首を振る。
    仙道は小さく息をこぼし、立ち上がった。
    「わりぃ、行こうか」
    越野は、小さく頷くだけだった。

    「あれ、傘は?」
    「あ、ここにあんだろ」
    それは越野がさしてきた大型の、進学祝いに実姉から贈られたという高級感と品のある傘だった。甲州織の鮮やかな藍色が陵南と越野に合っていて、贈物のセンスの良さに感心したことを覚えている。
    「姉ちゃんからもらった傘、でかいけどおまえと二人で入ると肩が濡れちまうかも。でも無いよりマシだろ?」
    「え」
    てっきり途中のコンビニでビニール傘でも買ってくるものかと思っていたのに。
    まさか相傘か?
    下校時ならともかく、登校時に?
    「なんだよ、迎えに来させておいて不満かよ」
    「いーや、滅相も無い」
    合鍵はダメでもこれは良いらしい。ますます越野のボーダーラインがわからない。
    「越野さぁ」
    「なんだよ早く行くぞ」
    腕時計に目をやれば、刻々と朝練の時間が迫っていた。
    「誕生日、傘くれ」
    「え?」
    「ビニール傘じゃえねぞ、お姉さんにもらったやつと、同じくらいの、いいやつ」
    「何言ってんだよこれ高いの知ってんだろ、そ、それにお前の誕生日って…」
    「だからさ」
    越野の耳に顔を寄せる。
    「来月返すから、三倍にして」
    (そろそろ腹を括ってくれ)
    耳元で囁くと、息を飲んで距離を取られた。

    「もうおまえ置いてく」
    ひとりで罰練でもなんでもしてろ。
    耳まで赤くし、そう言い捨て越野は出て行った。
    ゆっくりと、少しキツくなってきた通学シューズをはき、階下で待つ越野を想う。ひどく曖昧で心地好い関係を築き上げ守ってきた越野には悪いが、そろそろはっきりさせたいのが本音だった。

    大きく息を吸い込み、ゆっくりと吐き出した。
    「よし、行くか」
    階段を降り、軒下で待つ越野の後ろ姿を見下ろしながら、お返し何がいいかなぁなんて早計すぎるだろうか。
    「おせぇぞ」
    「わりぃわりぃ」
    藍色の傘を取り上げ、越野の肩が濡れないように傾ける。それに気付いたのか越野は仙道をひとにらみし、傘を押し返して身体を密着させた。
    ひとつの狭い傘の中で身を寄せ合う。
    「越野、腕組んで。歩きにくい」
    「ばーか」
    可愛くない返答。
    まあいいか。
    二週間後、少しは甘い返事を期待して、仙道は徒歩十分間のデートを楽しむことに集中した。

    一年生、如月

    浮かれた世間から隔絶されたような男臭い部室棟の一室で、本日の主役、とばかりに騒ぎ立てられる仙道はひとり微睡んでいた。
    朝練の無い貴重な一日の始まりを、見事に寝坊して二限遅れで登校した仙道は、こんな日に重役出勤しやがって、と、自席に着くなり越野に噛み付かれる。仙道不在の間どれだけ彼が疲弊したのか両手に抱えたラッピング包装の数が物語っていた。ほれ、と、さらに差し出された大型サイズの紙袋は鳩のマークが目印の鎌倉銘菓のそれだった。越野の家でよく見かけたその紙袋。イラナイ、と視線を逸らせば目を釣りあげて怒られた。

    理不尽だ。
    受け取るなんて言ってねえ。
    俺が欲しいのはおまえだけ。

    言い終える前に顔面に紙袋を叩き付けられ話は終わった。

    デカい図体しておきながら、どういうわけか周囲に気付かれないように行方を晦ますのは仙道の特技のひとつだった。授業の合間の小休憩、移動教室の間の僅かな時間、そして昼休憩の今現在。仙道不在は越野の責任、とでも言うように、今日の越野はトイレも昼飯もままならないに違いない。戻れば今朝のようにつっけんどんと紙袋を差し出されるのは目に見える。部活開始までここで過ごそうか、仙道にやや荒み気味な思考が過ぎった矢先に部室の扉を殴るように叩きつける者がいる。返事をする前に開かれ現れたのはまあまあ予想通りの人物だった。
    「先輩まで巻き込みやがって!」
    両手に提げていた紙袋は朝と同じ鳩のマークのそれだ。いったいいくつ用意してきたんだと、あさっての方向で腹が立つ。部室の机に朝の分も合わせて三つの紙袋を置いたところで五限目の予鈴が鳴り響いた。
    「ほら、戻るぞ」
    「いやだ」
    「はーっ?!」
    机に突っ伏した仙道を、越野がムキになって剥がしにかかる。
    「このばか!魚住さんに部室の鍵返さねえ気か!」
    「おまえこそ」
    「えっ」
    いつもより低い声で返せば、一瞬怯んだ不意を付いて越野の背を机に倒した。その勢いで三つの紙袋の中身が雪崩のように机から滑り落ちていく。場違いのように部室の床を彩る包みに越野の視線が落とされる。気に食わなくて、頤をつかみ強引に目線を合わせる。
    「言ったよな、おまえのが欲しいって」
    「…っ」
    月の初めに勝手に取り付けられた約束事を持ち出され、越野は小さく息を飲んだ。
    「こんなもんまで用意して、そんなに受け取って欲しかったかのか」
    「これは!母さんが、おまえにって」
    何事も用意周到な越野の母親らしい。いつ見てもぼんやりしている息子の親友の為にわざわざ持たせたと言うのだからどこまでも人が良い。
    「越野の分は?」
    「おれは片手で足りるだろうからエコバッグで十分だって」
    「ふうん」
    母親だからよく分かってるよ!越野は不貞腐れたように言葉を投げた。
    脱線したが話は終わっていない。
    だが少し気が落ち着いたのか、先程まで仙道が放っていた剣呑な雰囲気は無くなり、ごめん、と言葉を落として越野を抱き上げると、「ばか」と、小さく詰られその背に両手が回された。

    越野は床からひとつ、綺麗な藍色の不織布に包まれた箱を手に取ると躊躇いなく紐を解き中の箱を取り出した。蓋を外せば真四角の青いチョコレートが並んでいる。
    「糖分足りてねえからそんなにカリカリしてるんだ」
    指先でつまみ上げると、パッケージと同じ綺麗な青い包装から取り出して、そのまま越野の動向を注視する仙道の唇に押し当てた。仙道は唇を薄く開き青いそれを中に招くと触れた指先をひと舐めした。越野は、今度は怯まなかった。
    「俺は、今のままが、いい」
    複雑な色を浮かべた顔をみて、仙道は、深く深く息を吐いた。

    本鈴が鳴り終わるまでに魚住に部室の鍵を返し教室へ戻ればもぬけの殻だった。数学の移動教室でやたらと遠い理科室まで行かねばならない。別の意味でため息吐きたくなるというものだ。もういっそこのままサボった方がマシではないのか。
    「なにやってんだ早く準備しろー!」
    「へいへい」
    遅刻確定が分かっているだけに教科書や参考書を取り出す動作が普段の三倍鈍くなる。億劫すぎる道のりは、だがひとつの閃きで仙道にとってこれ以上ないほどの明るい道程となる。
    「越野」
    「なんだよ早くしろよ」
    イライラした口調の可愛くない唇に、ポケットにひとつ忍ばせていた青い長方形のチョコレートの包装を破りねじ込んだ。
    「イライラしたら食うんだろ?」
    「〜〜〜〜〜!!」
    赤い顔して舌は真っ青なつれない男の手を握りしめ、仙道は、誰もいない廊下を堂々と歩き出した。

    二年生、神無月

    「くぁ……」
    夕飯と風呂を済ませてあとは歯を磨いてねむるだけ。
    広いベッドに大の字になりながら見上げた天井は自宅の薄汚れた白いそれでは無い。

    国体二日目の夜だった。

    第二試合を危なげなく勝利し明日はいよいよ準々決勝。これに勝てばベスト4進出となるが、夕食前に行ったミーティングでとうとう田岡の雷が仙道に落とされた。

    少し気まぐれな陵南のエース。
    今は神奈川選抜のぼんやりエース。

    やる気が無いわけでもなく、気合いが入っていないわけでもない。夏の県大会決勝リーグではライバルだった牧や藤真、そして新進気鋭の湘北桜木とエース流川。名だたる名選手たちと肩を並べてやるバスケは新鮮で刺激も受た。対戦相手も各ブロック大会を勝ち抜いたオールスターの集まりだ。

    熱くならないわけがない。

    だが、自分でも分析出来ない何かが仙道の中にある。
    (風呂に入ればすっきりするかなぁ~)
    国体本戦ということもありなかなかグレードの高い宿泊先を用意されたがあいにく大浴場は付いていなかった。近場に銭湯があることを知り、陵南から同じく選抜メンバー入りした福田を誘って行くことにした。日頃から家風呂の狭さに嘆く者同士、足を伸ばせる大浴場は大男たちにとっていたく魅力のあるものだった。

    『風呂上がりにはコーヒー牛乳!』
    越野はいつもそう言った。
    仙道の部屋で。

    越野か。
    早寝早起きの超が付くほどの健康優良児な彼はすでに寝床に就いている頃だろう。越野がコーヒー牛乳をごくごくと飲む姿は目に焼き付いていた。
    美味そうだった。
    コーヒー牛乳も。
    ここの自販機にあるだろうか。
    ふと思い立ちベンダースペースへ向かうちょうどその時、仙道のスマホにメッセージが入る。

    <明日行くから!>

    ホーム画面に表示された文字に目をしばたたせた。

    尚も通知がやまないスマホのロックを解いてビデオ通話のボタンを押す。よくよく考えたら相手の状況を顧みない行動に若干詫びる気持ちはあれどあとのまつり。

    『え、仙道?』
    「おう」
    『疲れてるのにごめん、もう寝るよな』
    「いや、まだ全然」
    うそだ。
    わりとすぐそこまで睡魔が迫っている。
    越野は自室のようで、何度か訪れた見覚えのある勉強机が背後にちらちら映っていた。
    『ほんとかよ、五限目起きてたためしの無いセンドー君』
    いじわるく笑う越野に目を細めた。
    「明日、来るの?」
    『そ!オカン説き伏せるの骨が折れたけど』
    「そっか」
    必死に母親に頼み込む姿が目に浮かんでつい笑った。
    それからしばらく話して、宿泊施設の部屋の様子などをスマホで映してやるとびっくりしたような声をあげた。
    『めちゃくちゃ良い部屋じゃん!夏合宿の畳部屋とは大違いだな!』
    「ははは」
    最新型コインランドリーも朝晩のバイキングも何もかも陵南名物地獄の夏合宿とは程遠い世界だ。
    恵まれた環境だ。
    それは十二分に理解している。

    でも、ここには越野がいないのだ。

    『じゃあそろそろ、』
    「おう、サンキューな」
    『そうそう、植草と彦一の三人で行くから。陵南名物応援ダンス踊ってやんぜ』
    「おお、頼もしい!」
    『だから福田にもしっかりやれって発破かけといて』
    そんなことを言えばあの仏頂面に拍車が掛るのは目に見えているが存外この二人は気が合うことを知っている。
    『じゃあな、宮城に迷惑かけんなよ。ちゃんと一人で起きろよ』
    「あー、うん」
    『返事!』
    「わかったわかった」
    もー、大丈夫かよ。
    越野はまだぶつぶつ言っていたが最後は笑って通話を切った。

    (越野が来るのか)

    関東圏内とはいえ鎌倉から来るにはだいぶ遠い。下手したら新幹線を使う距離だ。それでも越野は行くと言った。この日のために部活後のコンビニのアイスも肉まんも我慢したり、それでも予算オーバーな分は小遣い前借りするなど工面して。

    『センドーくーん』
    小顔に比例した小さな口を大きく開いて仙道のアイスをひと口ねだる姿は親鳥に向ける雛鳥のようだった。自分で買えよな〜と言いつつ毎回ひと口授けると、福田にお前も大概にしろと言われてしまった。

    (来て、くれるのだ)

    ドアホンが鳴り、同室の宮城が戻ってきた。どうやらコーチ陣とポイントガードのみのミーティングが終わったようだ。

    「お、わりぃ、電話してた?」
    「いや、いま終わったとこ」
    「へー」
    「なんだよ」
    「いやさ、なんか機嫌良さそーじゃん。彼女?」
    「越野だよ。明日こっち来るって」
    「なんだよ色気ねぇな〜」

    宮城は笑ったが、何となく国体本戦に入ってから今の仙道の表情が一番柔らかく思えたのだ。
    気の抜けたプレイをしているわけでも無いのに田岡は仙道に雷を落とした。キャプテンの牧や藤真にもしばしば発破を掛けられていた。
    (藤真には何度かケツも引っ叩かれてたな)
    そのうちあの美脚からタイキックばりの蹴りが繰り出されそうだった。

    「明日さぁ」
    「ん」
    「俺が出たらお前にボール集めてやるよ」
    まあもちろん試合展開によるので確定は出来ないが。

    「良いとこ見せてやれよ」
    トン、と拳で仙道の胸を叩いた。
    「………!」
    仙道の目が丸くなる。

    案外かわいーとこあんじゃん。

    宮城はまた笑って、明日の朝、どうやって首脳陣を説得するか策を練りはじめた。

    二年生、霜月

    海岸へ目を向ければサンセットサーフィンを楽しむサーファーたちの姿がある。深まりゆく秋、とは言え日中は季節はずれの二十度を超える日もあり近所を出かけるのに半袖短パン姿も珍しくない。そしてここに、半袖短パン姿の大男は通学路でもありトレーニングコースでもある坂道を全力で登っていた。

    ピーヒョロロロ

    七里ヶ浜の鳶が大男を見下ろしている。
    先日、腰越の海岸でのんきに直売所のアジフライを食べていた男だ。仲間たちは久しぶりの大物を狙っていたが男のそばにいたもうひとりの小さい人間に阻まれてしまっていた。

    どうやら今は、ひとりのようだ。


    「お、重役出勤」
    「重役でも昼前には来るだろ」
    植草と福田が呆れたように言った。あたりを見渡し真っ先に駆けつけて来るはずの怒りん坊を探すも姿は無い。
    「越野は?」
    「帰ったよ、なんか急いでたようだけど」
    「あー、そうなのか」
    どっと疲れが出た。
    「………なぁ、飯でも行かねーか」
    仙道は、あまり人を誘わない。
    植草と福田はちらと互いを見合った。
    なにかあったな
    国体も終わり残すは冬の選抜本戦のみとなった陵南にとって、この時期の主将と副主将の揉め事は歓迎しない。やれやれと、植草は主将たちの代わりに書いた日誌を指で弾いた。

    鯵の開きに鯵の塩焼き、アジのフライにまご茶漬け。
    「お、これなんだ」
    「アジの蒲焼だ」
    「へぇ、ごはんにめちゃくちゃ合う」
    本猫脚に裏桟を入れた丁寧なつくりの、欅の一枚板の座卓にずらりと並べられたのは鯵を使った割烹料理。植草と福田が仙道に連れて来られたのは、なんと魚住の実家【割烹処 うお角】だった。状況を読めない二人の間におさまり鯵のつみれ汁をずずとすすり、めちゃくちゃうめえ〜とはしゃぐ仙道にやや疲労の色がみえる。
    「それで、越野はどうした」
    福田のおかわりをお櫃からついでやりながら魚住が言った。三人の視線を集めた仙道はムスッとしている。
    「越野に売られました」
    「何を」
    「俺を」
    「誰に」
    「双璧コンビに」
    あぁそれで。
    植草が納得したように頷いた。
    「おまえを呼びに行ったはずの越野がすぐに戻ってきて『今日は来ねえ』って言ったきりダンマリだったから」
    「……」

    正に釣り日和な朝だった。
    三度目の正直とばかりにいつになく真剣に腰を据えて集中した甲斐あってかクーラーボックスの中が満員御礼になった頃に神奈川の双璧は現れた。
    『おい牧、ほんとにいたぜ』
    『なにやってんだおまえは』

    これにはさすがの仙道も驚いた。

    聞けば国体で世話になった宿泊先に置き去りにされたタオルや洗面道具一式が忘れ物として代表監督の元へ送られたことが始まりだった。宮城と仙道の部屋のものだったので牧は赤木に連絡しそれから宮城へと繋がったが答えはノー。ならば仙道か、となったところでたまたま推薦関連で海南大付属に訪れていた藤真がせっかくだから陣中見舞いに行ってやろうぜと悪戯を思いついたような顔で笑って言った。陵南高校バスケ部の練習場はグラウンドを大きく横切ってやっと辿り着ける第二体育館だった。校舎から体育館へ続く雨避けの通路を渡ったところで越野に出くわした二人は仙道の不在と居場所を教えられ今に至る。
    『部長が率先してサボってどうする』
    『最終的にちゃんと行ってますよ…』
    『三連休全部遅刻してってんだって』
    こりゃあ魚住説教コースだなぁ、と藤真はカラカラと笑う。
    『まぁいいや。越野からの伝言。今日はもう来んなだってさ』
    『え』
    『お前、前に流川とワンオンワンやったんだって?そこ連れてけ』
    『え、え』
    『「国体終わってから仙道がどうにも腑抜けで困ってるから気合い入れ直してほしい」って』
    『……それ、越野が?』
    『他に誰がいんだよ!』
    ツンツン頭に藤真の鉄拳が落とされた。

    コートには先客がいたのでこれを好機とばかりに逃げようとしたが、彼らが仙道たちに気付くと驚いたような歓声があがった。バスケ雑誌に国体本戦の特集が掲載された時期が良かったのか悪かったのか、場は沸きいつの間にか増えていたギャラリーたちに囲まれてはもう逃げ出しようもなかった。そして大慌てで部室に駆け込み越野を探すももぬけの殻だった───。

    「で、これが今日の釣果か」
    「狙ったようにアジしか無いな」
    「アジ以外はリリースしたんだ」
    「なんでまた」
    「越野が食いてーって言ったんだ」
    越野。
    国体に来てくれた越野。
    なぜか、あれ以来まともに話をしていない。

    国体から帰ってきた仙道と福田に部員が代わる代わる賞賛の声をかけ、仙道は遠くからこちらを眺めていた越野に駆け寄った。
    『おかえり』
    『おう。試合、来てくれてありがとな』
    仙道が言うと、越野は息を飲んでごめん、と、俯いた。
    『俺、最後まで観れなくて、』
    言い訳のように言葉を繋ぐ越野にやや違和感をおぼえるが、急用があったのであれば仕方が無い。
    (本当は、すごく残念だったけど)
    同点で迎えた第四クォーター残り十秒、 相手ディフェンスのファールを誘い手にしたエンドワン。入れるか外すか、緻密な駆け引きが要求される場面に、越野ならなんて言うかな、なんて、秒にも満たない思考が過ぎった。試合後メディアへの応対を終えすぐに越野へ電話をかけるも繋がらず、メッセージを送ればすでに帰路についていた。

    それから、何となくすれ違っている。

    「理由は?」
    仙道が首を振る。
    「それで、飯でも食いながら話を聞き出そうとしたってわけか」
    それにも首を振った。
    「そんなんじゃなくて、俺は、ただ」
    「ただ?」

    『なー、アジ釣って、アジ』
    『んー』
    『豆アジじゃなくてー、そこそこの』
    『んー』
    『そんでさー、たくさん釣って魚住さんちに持ってってフライにしてもらおーぜ』
    『おー、いいな、それ』
    『だろー?』

    いつかの日の、たわいもない口約束。
    ぼんやりと海に向かう仙道に越野が珍しくねだるような口ぶりで言った。越野はとっくに忘れていることでも、仙道はずっと覚えていた。

    そう。
    小ぶりでもいいから鯵をたくさん釣り、それを魚住さんの店に持ち込んでフライにしてもらうのだ。

    最近どこか元気の無い越野のために。

    好物のアジフライを食べてもらい、少しでも笑顔になって欲しいだけ。

    三日間連続の遅刻の理由は、たったそれだけの、恋しい者への切ない男心だったのだ。


    ピーヒョロロロ

    腰越の海岸を鳶が旋回する。
    見下ろす先には、あの大男のそばにいた小さい人間。

    鳶は辺りを見渡し大男を探した。
    いない。
    なんだ、つがいではなかったのか。
    いささか拍子抜けした。

    鳶は大きく下降する。

    小さい人間は、落日に目を奪われているかと思いきや、その瞳をとじている。

    無防備、だった。

    連休最終日の国道一三四号線、数珠並びの赤いテールランプの灯りは強さを増してゆく。灯台の役割を持つ湘南のシンボルタワーは、じきに眩い光を放ち闇夜の海を照らすだろう。

    つがいのいない人間に、鳶が羽音を立てて攫おうとしていた。

    卒業式、前日

    陵南高校から徒歩十分。
    最寄り駅から徒歩九分。
    築年数こそ親の齢の半分くらいだが漁港からも近く堤防釣りにはもってこいの日当り良好の好物件。六畳一間のワンルームは、越野が高校生活を語るに欠かせない場所のひとつとなった。

    卒業式を翌日に控えた今日、越野はこの部屋の主と共にあった。心臓が、ばくばくとひどくうるさい。それでもスマートフォンを片手にできるだけ心を落ち着かせる。
    正午まで、あと数十秒。
    予め開いていた大学のホームページに表示された指示に従い、受験番号と生年月日を慎重に入力する。僅かに震えていたもう片方の手が同じ大きなそれに包まれる。
    温かい。
    心拍数がさらに上がった。
    あぶない。スマートウォッチを付けていたらアラームが鳴るところだった。顔を向けると優しく頷く頼もしい男がいる。
    うん。
    大丈夫。
    そう、いつだって、頼もしいおまえがいたから、俺はなんにでもなれる気がしたんだ。

    ──仙道。


    照会ボタンに触れ、しばし待つ。
    サーバーが混みあっているのか、少し焦れる。まだかまだか、と心が騒ぐ。が、唐突に、画面が切り替わった。越野の目が大きく見開かれた。そうして、大きく息を吸い込んで、ゆっくりと吐き出した。隣で見守る仙道に結果が表示された画面を向けると、おめでとう、と言葉を添えられ、越野は力いっぱい抱き締められた。

    「母さん?俺、うん、受かってた」
    越野が母親に報告する時も、仙道は手を離さなかった。握りしめられた手に目を向け通話を続ける。
    「うん、母さんも、今までありがとう」
    支えてくれて。
    素直に母親に感謝を伝える越野に仙道は小さく頷いた。
    「そう、仙道と一緒にいる。うん、うん?わかった、式の予行が終わったら連れて帰るから」
    寄り道しないで帰って来なさい、とお馴染みの台詞を残され、越野は母との通話を切った。
    「なんて言ってた?」
    「おめでとう、がんばったねって…あと、今夜はおまえ連れて帰ってこいって。ご馳走つくるってはりきってる」
    おまえの予定も確認しないで、と越野は笑った。
    「合格祝いは親子水入らずじゃないのか」
    「うちの親の中ではもうおまえも家族みたいなもんだし、それに、俺たちまとめて進学祝いするんだって」
    「ははは、そりゃありがてえや」
    いつものように笑う仙道に、越野はなぜだかほっとした。
    「学校戻ったら田岡先生にも報告しなきゃ」
    クラス担任と、進路指導と、あとは校長か。卒業式の予行練習は十三時からだとすると、そろそろ出ないと間に合わない。越野が立ち上がると、繋がれていた手が仙道に引き寄せられた。
    「仙道?」
    「ここで待ってるから」
    「…予行も出ないのか」
    「本番出る代わりに予行出なくて済むように便宜図ってもらったんだ」
    ほら、と視線を投げた先にあるのは、これから行われる予行練習後にクラスで配布されるはずの卒業アルバムと卒業証明書。
    「推薦決めた時に担任と交渉してさ、」
    インカレ上位校から複数のスカウトを受けた仙道は、国体を終え、秋の終わりに進学先を決めてからはほとんど登校していなかった。聞けばすでに大学の練習に参加しているようで、たまに会う日は常に学校外だったことを思い出した。
    「でも、今日くらい、」
    「明日で高校生活が終わるんだ。おまえやバスケ部のやつらならともかく、知らねえやつに割く時間は無い」
    「……」
    仙道は、一年の頃からよく告白されていた。二年の夏にインターハイこそ逃したものの、その翌月に発売されたバスケの月刊誌に仙道は大きく取り上げられた。それからは、学校内外問わずに一方的に想いを寄せられ告げられては、わりぃと断る姿は日常だった。仙道への窓口は越野を通せ、なんて当人にとっては酷く勝手な約束事が陵南内での暗黙の了解ではあった。が、さすがに越野が受験に集中する時期に差し掛かるとまったく登校しない仙道との橋渡しをして欲しい、などと気軽に声をかけることは出来なくなったようで、そのまま卒業式前日を迎えることになったのだ。きっと誰もが思っていることだろう。今日くらいは、と。
    「越野、早く帰ってこいよ」
    越野の母さんの料理、久しぶりだ。そう言って、仙道は笑った。
    「…おまえのこと、待ってるやつがたくさんいるのに?」

    「俺が待ってるのはおまえだけだ」

    仙道は、越野に想いを隠したことが無い。
    いつもいつも、躊躇いなく、淀みなく、心を見せて差し出した。

    あとはもう、越野が心を決めるだけ。

    「仙道」
    「おう」
    越野はスマホを置いて、もう片方の手で仙道の手を握りしめた。
    「好きだ」
    仙道が息を飲む。
    構わず越野は続けた。
    「一年の頃から、ずっと、ずっと好きだった」
    心臓が、破裂しそうなほどにばくばくと早鐘を撞く。
    「ずっと友だちでいたかった。でも、それだけじゃ物足りないと思う自分に気付いて、それじゃダメだって思い直してみたりしても、ぜんぜんだめで、」
    心の奥の、いちばん深いところから、引き摺り出すように言葉を吐いた。どろどろで、きたなくて、でもこれが紛れもなく本心だった。
    「去年の国体で、全国の舞台にいるおまえを観て、誇らしくて、あぁ、こいつのいるべき場所はここなんだなって思ったら、」
    越野は、仙道に覆い被さるように抱きついた。

    「早く離れなきゃって、ずっと思ってた」

    落とされた言葉に、仙道の身体が強ばるのが分かる。
    「…卒業しても、元気でな」
    「え?」
    「おまえ、どこに進学決めたのか全然言わねえから、俺も色んなやつらに聞かれて困ってさ」
    「それは、わるい」
    「いいんだよ、それは」
    どんな顔をしているのか、仙道は越野の顔が見たかった。
    「俺は、三年間、本当に楽しかった。おまえを好きになって、苦しくて、でも嬉しくて、毎日幸せだった」
    「そんなの、俺も」
    「だから!」
    越野が顔を向けた。
    泣いてはいなかった。
    「だから、おまえへの想いも全部ここに置いていく」
    「越野、」
    「おれ、遠距離無理だから」
    困ったように笑う越野は、泣いているようにも見えた。
    「…なぁ、越野、」
    仙道は、冷えた越野の手を暖めるように握りしめた。
    「この部屋見てさ、何も思わねえ?」
    「……?」
    促されるように部屋を見渡したが、そうは言っても六畳一間の狭い間取りにキングサイズのベッドを置いたほぼ寝るために用意された部屋だ。部屋の隅には乱雑に積み重ねされたバスケ雑誌や釣り雑誌。押しのけられたローテーブルには最後にいつ使ったのかわからないノートとペンケースが置かれている。
    いつもと変わらない。
    そう、何も、変わらない…?
    「…荷造りとか、これからなんだよな…?」
    「しないよ」
    「なんで…」
    「だって大学もここから通うし」
    「は?!」
    「越野は自宅から通うんだろ?」
    そうだ。
    仲の良いチームメイトには話していたのだ。自宅から通える国立狙いの越野は、三年の夏の高校総体本戦を最後に卒部した。国体に選出されていたが、ただでさえ受験戦争に遅れをとっていることから申し訳なく思いつつも田岡に断りの旨を話したら、越野の担任からも受験に集中させてくれと懇願されていたという。それだけ心配されていたと思うと改めて担任にも申し訳なさが募る。
    「でもおまえ、留学するって」
    「誰がそんなこと」
    「誰って」
    誰でもない。
    ただの噂だった。
    でも、頑なに仙道が口を噤むのでいつの間にかまことしやかに囁かれていたのだった。
    「バスケだけかと思ってたら、おまえ勉強もしっかり成績キープしてたから、てっきり」
    「まぁそれは、追追ね」
    仙道は越野の両手を中心にまとめ、その上から包み込んだ。
    「遠距離じゃないなら、問題ないよな」
    挑むような表情の仙道に、身体がカッと熱くなる。
    「あ、や、でも、」
    「これ、今度こそ貰ってくれるよな」
    越野の手を広げさせ、手のひらに鍵を乗せた。
    「いつでも使って。そんでさ、たまにでいいから、灯り付けて、帰ってくんの待ってて」
    破顔一笑。
    仙道が、ひどく甘ったれたことを言って、あんまりにも幸せそうに笑うから。

    越野も、思わず笑ったのだ。



    三月初めの長谷駅は、夕方近くになると寺院帰りの観光客で賑わっていた。
    長谷寺の梅もそろそろ見頃を終える頃。あと数日間、人々の目を楽しませる枝垂れ梅と早咲きの河津桜が目的なのだろう。
    「うち行く前に梅もらおうぜ」
    去年も訪れたこの寺で今年も二人揃って甘い梅割りを飲み、閉門間際の境内でゆっくりと花見を堪能してから帰路に着く。
    何度も招かれた越野の家。
    手には腰越の駅前で購入した食パン一斤が入ったレジ袋を下げている。今日も越野の母は嬉しそうに仙道の手土産を貰ってくれることだろう。
    「おまえさ、まさかと思うけど海南大に決めたのって俺のせいとかじゃねえよな」
    「ははは」
    「おいっ」
    「いやいや、それはまあ利害が一致したというか」
    「利害」
    「ウィンウィンの関係ってやつだから」
    「…俺に振られることとか考え無かったのか」
    「それならそれで俺は大学で牧さんや藤真さんに越野にフラれた男としてイジられるだけだから」
    まあそれでも諦めるなんてことは無かったけど、なんて仙道は笑っている。
    どこまでも逞しい。
    「越野」
    「おう」
    仙道は越野の手を取り、しっかりと握りしめた。

    「これからもよろしくな」
    「…おぅ!」


    二年前、長谷の道を手を繋いで歩いた記憶がよみがえった。あの頃から、きっとずっと好きだった。気付かぬふりして、ただただぬるま湯のような温かさに浸って、ずっとこのままでいたいと子どものような想いを抱えて。
    明日、二人は共に育った学び舎を卒業する。
    まだまだ甘ったれの小僧同士、きっとたくさん泣いて怒ってお互いを傷つけることもあるだろう。越野は仙道を見上げ、それでも、と思う。

    仙道を諦めることからも、越野は明日、卒業するのだ!

    end

    (お読みいただきありがとうございました!)
    Tap to full screen .Repost is prohibited
    💘💒💘💗😍❤❤❤💒
    Let's send reactions!
    Replies from the creator

    775

    DOODLE高校三年生の仙にょ越です。
    『それは、クラゲだけが知っていた』の続きです。
    ⚠️越野くんが女の子になっていますがあんまり女の子らしくないので普通に読めると思います。
    診断メーカー【あなたに書いてほしい物語】
    ななこさんには「海に向かって叫ぶ夢を見た」で始まり、「どうかお幸せに」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば3ツイート(420字)以上でお願いします。
    いぬもくわない海に向かって叫ぶ夢を見た。
    「ばかセンドー!!」
    あれ、こんなに高かったかな、声。


    遊泳禁止の七里ヶ浜は波が高く泳ぎには適さないが、サーフィンやヨットといったマリンスポーツを楽しむ者たちには隠れた名所として人気がある。右手にはライトアップされた江ノ島のシンボルタワー、左手には三浦半島。マジックアワーの幻想的な空。そんな絶好のロケーションにそぐわない罵倒の叫び。
    「浮気者ー!!今度こそ別れてやるー!!」
    これは夢だ。そして先程から叫んでいるのは自分であると越野は理解していた。だが、それにしては声が高い。そして何よりも、
    『なんでスカートはいてんだ』
    スカートどころかセーラー服なのだが。
    「はっ?!」
    海面に浮上したかのように唐突に意識が戻った。
    1912

    775

    DOODLE高校一年生の仙越未満です。
    ⚠️仙道さんに適当に遊んでいる女性がいます(説明だけで出てきません)
    診断メーカー【あなたに書いてほしい物語】
    ななこさんには「小さな嘘をついた」で始まり、「本当は知っていた」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば7ツイート(980字)以上でお願いします。
    それは、クラゲだけが知っていた小さな嘘をついた。
    ほんの出来心。
    引き止めたくて出た、咄嗟の苦し紛れのそれ。

    「事故物件?!」
    作文用紙に走らせたシャーペンの先がボキリと折れた。夏休みも終盤を迎える八月下旬、越野が仙道の部屋で課題の読書感想文を終わらせるべく奮闘していた時だった。あらすじと結末部分しか読んでいない本の感想を捻り出すのは容易では無く、うんうん唸っている時にそういえばさぁ、とひどくのんきに仙道が話し始めた。
    「うわ、ほんとだ…」
    越野はスマホで事故物件を集めたサイトを開き、少し緊張しつつ住所を入力して検索をかけると見事にこのアパートが引っ掛かった。
    「よく決めたな」
    「母さんにも言われたよ」
    田岡の熱心なアプローチのおかげで陵南へ進学を決めた仙道は、物件探しに父親と鎌倉へ訪れた。そこで案内された曰く付きのアパートは、築年数はそこそこ経っているがこの部屋だけはリフォーム仕立ての新築同然の内装で、しかも賃料は他の部屋に比べて驚きの格安物件だった。高校からも最寄り駅からも近く何より安い、おまけにリフォーム仕立てとくれば特段に断る理由は無かった。その場で諸々の契約書を交わし、東京へ帰る前に海岸沿いの定食屋で湘南名物のしらす丼を食べながら「掘り出し物件だったなぁ。母さんも喜ぶぞ」と笑っていた父だったが詳細を聞いて角を生やした母に雷を落とされていた。
    1985

    775

    MAIKING書きかけ仙越未満のお話。
    じわじわと続きを書いている…
    せめて、あらしのなかでは嵐の前の静けさ、なのだろうか。
    午前八時の陵南高校前駅は、陵南高校生、通称南高(ナンコー)生が一番多い時間帯だ。早朝からの雨が通学時間に本降りとなり、改札を通り億劫そうに傘を差す生徒達。住宅街の急な坂を上る塊の中に、ひときわ目立つ長身の男子生徒を目が良い植草は難なく見つけた。
    「福田、おはよ」
    「はよ」
    相変わらずの仏頂面だが、一年半と同じチームメイトとして過ごしただけあって決して機嫌が悪いわけではないことは分かる。だが機嫌が良いわけでは無さそうだ。
    雨のせいか?
    「どした。なんかあった?」
    「………」
    植草たち二年生は、夏の県大会後に魚住ら三年生が卒部したことで部内の最高学年になった。冬の選抜予選まで一人も残らなかったことは、戦力ダウンだけではない、何ともやり切れない思いだった。チーム内の精神的中枢、それは間違い無くエース仙道だ。だが、仙道にとっての精神的中枢は確かに魚住だった。言葉にこそしたことは終ぞ無かったが、植草は、夏の県大会最終試合に痛感させられた。だからという訳では無いが、植草はチームメイトの機微に少しばかり敏感になっている。特に福田のように、口数少なくストレスを溜め込んでしまうようなやつには。とにかく吐き出させて、少しでも心を軽くさせる。主将クラスには話しにくいことでも、植草なら話せることがある。自分の役割りだと、植草は密かに自負していた。
    3564

    related works

    775

    DOODLE高校一年生の仙越未満です。
    ⚠️仙道さんに適当に遊んでいる女性がいます(説明だけで出てきません)
    診断メーカー【あなたに書いてほしい物語】
    ななこさんには「小さな嘘をついた」で始まり、「本当は知っていた」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば7ツイート(980字)以上でお願いします。
    それは、クラゲだけが知っていた小さな嘘をついた。
    ほんの出来心。
    引き止めたくて出た、咄嗟の苦し紛れのそれ。

    「事故物件?!」
    作文用紙に走らせたシャーペンの先がボキリと折れた。夏休みも終盤を迎える八月下旬、越野が仙道の部屋で課題の読書感想文を終わらせるべく奮闘していた時だった。あらすじと結末部分しか読んでいない本の感想を捻り出すのは容易では無く、うんうん唸っている時にそういえばさぁ、とひどくのんきに仙道が話し始めた。
    「うわ、ほんとだ…」
    越野はスマホで事故物件を集めたサイトを開き、少し緊張しつつ住所を入力して検索をかけると見事にこのアパートが引っ掛かった。
    「よく決めたな」
    「母さんにも言われたよ」
    田岡の熱心なアプローチのおかげで陵南へ進学を決めた仙道は、物件探しに父親と鎌倉へ訪れた。そこで案内された曰く付きのアパートは、築年数はそこそこ経っているがこの部屋だけはリフォーム仕立ての新築同然の内装で、しかも賃料は他の部屋に比べて驚きの格安物件だった。高校からも最寄り駅からも近く何より安い、おまけにリフォーム仕立てとくれば特段に断る理由は無かった。その場で諸々の契約書を交わし、東京へ帰る前に海岸沿いの定食屋で湘南名物のしらす丼を食べながら「掘り出し物件だったなぁ。母さんも喜ぶぞ」と笑っていた父だったが詳細を聞いて角を生やした母に雷を落とされていた。
    1985

    775

    MAIKING書きかけ仙越未満のお話。
    じわじわと続きを書いている…
    せめて、あらしのなかでは嵐の前の静けさ、なのだろうか。
    午前八時の陵南高校前駅は、陵南高校生、通称南高(ナンコー)生が一番多い時間帯だ。早朝からの雨が通学時間に本降りとなり、改札を通り億劫そうに傘を差す生徒達。住宅街の急な坂を上る塊の中に、ひときわ目立つ長身の男子生徒を目が良い植草は難なく見つけた。
    「福田、おはよ」
    「はよ」
    相変わらずの仏頂面だが、一年半と同じチームメイトとして過ごしただけあって決して機嫌が悪いわけではないことは分かる。だが機嫌が良いわけでは無さそうだ。
    雨のせいか?
    「どした。なんかあった?」
    「………」
    植草たち二年生は、夏の県大会後に魚住ら三年生が卒部したことで部内の最高学年になった。冬の選抜予選まで一人も残らなかったことは、戦力ダウンだけではない、何ともやり切れない思いだった。チーム内の精神的中枢、それは間違い無くエース仙道だ。だが、仙道にとっての精神的中枢は確かに魚住だった。言葉にこそしたことは終ぞ無かったが、植草は、夏の県大会最終試合に痛感させられた。だからという訳では無いが、植草はチームメイトの機微に少しばかり敏感になっている。特に福田のように、口数少なくストレスを溜め込んでしまうようなやつには。とにかく吐き出させて、少しでも心を軽くさせる。主将クラスには話しにくいことでも、植草なら話せることがある。自分の役割りだと、植草は密かに自負していた。
    3564

    775

    DOODLE高校三年生の仙にょ越です。
    『それは、クラゲだけが知っていた』の続きです。
    ⚠️越野くんが女の子になっていますがあんまり女の子らしくないので普通に読めると思います。
    診断メーカー【あなたに書いてほしい物語】
    ななこさんには「海に向かって叫ぶ夢を見た」で始まり、「どうかお幸せに」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば3ツイート(420字)以上でお願いします。
    いぬもくわない海に向かって叫ぶ夢を見た。
    「ばかセンドー!!」
    あれ、こんなに高かったかな、声。


    遊泳禁止の七里ヶ浜は波が高く泳ぎには適さないが、サーフィンやヨットといったマリンスポーツを楽しむ者たちには隠れた名所として人気がある。右手にはライトアップされた江ノ島のシンボルタワー、左手には三浦半島。マジックアワーの幻想的な空。そんな絶好のロケーションにそぐわない罵倒の叫び。
    「浮気者ー!!今度こそ別れてやるー!!」
    これは夢だ。そして先程から叫んでいるのは自分であると越野は理解していた。だが、それにしては声が高い。そして何よりも、
    『なんでスカートはいてんだ』
    スカートどころかセーラー服なのだが。
    「はっ?!」
    海面に浮上したかのように唐突に意識が戻った。
    1912

    recommended works