せめて、あらしのなかでは嵐の前の静けさ、なのだろうか。
午前八時の陵南高校前駅は、陵南高校生、通称南高(ナンコー)生が一番多い時間帯だ。早朝からの雨が通学時間に本降りとなり、改札を通り億劫そうに傘を差す生徒達。住宅街の急な坂を上る塊の中に、ひときわ目立つ長身の男子生徒を目が良い植草は難なく見つけた。
「福田、おはよ」
「はよ」
相変わらずの仏頂面だが、一年半と同じチームメイトとして過ごしただけあって決して機嫌が悪いわけではないことは分かる。だが機嫌が良いわけでは無さそうだ。
雨のせいか?
「どした。なんかあった?」
「………」
植草たち二年生は、夏の県大会後に魚住ら三年生が卒部したことで部内の最高学年になった。冬の選抜予選まで一人も残らなかったことは、戦力ダウンだけではない、何ともやり切れない思いだった。チーム内の精神的中枢、それは間違い無くエース仙道だ。だが、仙道にとっての精神的中枢は確かに魚住だった。言葉にこそしたことは終ぞ無かったが、植草は、夏の県大会最終試合に痛感させられた。だからという訳では無いが、植草はチームメイトの機微に少しばかり敏感になっている。特に福田のように、口数少なくストレスを溜め込んでしまうようなやつには。とにかく吐き出させて、少しでも心を軽くさせる。主将クラスには話しにくいことでも、植草なら話せることがある。自分の役割りだと、植草は密かに自負していた。
「…謹慎中に知り合いになった他校の友人がいるんだが」
福田は訥々と語り出す。
国体本戦を終え、しばらく経った休みの日だった。県内でも数少ないバスケットボールのリングがある公園で、福田は恩人とも言うべき友人たちとストリートバスケで遊んでいた。休憩中に友人たちが発売されたばかりのバスケ雑誌を取り出し、国体の特集が組まれたページにダンクシュートをきめる福田の姿が載っていると場がどっと湧いた。
『フクちゃんかっこいい!』
『国体でダンクきめられるとかどんだけだよ!』
『これアシストはセンドー君?』
「国体か…」
そうだ。
国体本戦の何試合目かに、植草は越野と現地まで駆けつけたのだった。監督田岡と主将仙道の不在を預かる副主将の越野と二人で部をまとめ、ようやく仙道と福田の全国での晴れ舞台が観れた日だった。近くはないが関東圏内ということもあって、どうにか親を説き伏せて行った試合は白熱したし興奮もした。越野なんかは試合が終わってもしきりに神奈川オールスターの健闘ぶりに興奮冷めやらぬといった感じでチームに合流してしまったので、仙道の姿をみとめると走って抱き付きにいったほどだった。仙道も仙道で振りほどけばいいものをそのままぎゅうぎゅうと抱き返すものだから隣にいた福田のしょっぱい顔を植草は今も覚えていた。
すごかったすごかった!
みんなすごかった!
けど仙道がいちばんかっこよかった!
まあこれが部活内での話ならいつもの事なので植草や福田も別段なにも思わないのだが、ここは公共の場でありしかも神奈川選抜メンバーがこれから宿泊先のホテルへ戻る為のバスを待っている時でなければ特に止めはしなかった。
おい越野、みんな見てるぞ、と言っても時すでに遅し。
すっかり二人の世界を作り出していたが、名残惜しそうに降ろされた越野の首を後ろから絞める男がいた。
『おいこらチョロ野、誰が一番カッコよかったって?』
『小僧!この天才の華麗なるリバウンドをだなあ』
『あー、わりぃな越野、こいつら誰にもカッコイイって言われてないから拗ねてんだ』
湘北の三井、桜木、宮城であった。
三人合わせて通称三バカに絡まれてしまい越野はすっかり臨戦モードだ。それを止める間もなく仙道はいつの間にか合流していた流川と山王工業の沢北にワンオンワンのストバスを申し込まれこちらはこちらで四苦八苦しているようだった。
そして植草は、「イチノ、こんなところにおまえの生き別れの弟がいたピョン」「大きくなったなぁ、ずいぶんと探したんだぞ」「さぁ、一緒に秋田へ帰るピョン」などと言われて絡まれていた。
閑話休題
福田も越野と仙道のことを思い出しているようで何となくしょっぱい顔をしていた。
気を取り直して話を続ける。
『こんなに大きく取り上げられたらフクちゃんモテモテなんじゃない?』
『もう告白されてたりして』
御指摘通り、実はすでに何通か手紙を貰っていた。
昼休みや放課後に呼び出されてもいた。
これがモテ期か…と福田はひとり感動していた。
『あ〜フクちゃんもついにナンコーバカップルの仲間入りか〜』
何やら聞き慣れない単語に思考が止まった。
『…ナンコー…なに?』
『ナンコーバカップル!』
『ほら、陵南のカップルって他校よりもめちゃくちゃイチャついてるじゃん』
『制服も特徴あるからすぐナンコーって分かるし』
『目立つよな〜あれは』
そうだろうか。
福田は思い当たる節がなく首を傾げた。
『フクちゃんは硬派だから周りの軟派な野郎どもと一緒にならないよな』
『そうだ!俺たちのフクちゃんがそんな彼女できたくらいで浮かれるわけがない』
『え〜そうなのフクちゃん』
「そうなのか?」
「………」
無言の否定。
まあ福田のことだからそんな事にはならないとは思うが。
しかし。と植草は思った。
植草が陵南に進学してしばらく経ったある晩の日。晩飯中に父親に学校の様子を聞かれたことがあった。想像していた以上に授業や部活も順調で、また県下でも有数の進学校ということもあり素行の悪そうな生徒もそうおらず、だからと言って堅苦しくなく生徒はみなのんびりと学校生活を送っているように思えた。特に誇張することなくそのまま伝えてみたら、植草の父も安心したように笑った。
「父さんが高校生の頃は、陵南と言えば趣味はナンパですみたいな男ばかりだったんだが、今はそんな事なさそうだな」
昔を懐かしむように笑って言った。
趣味はナンパ。
まあしてるやつはいるんだろうが、今のところ目撃した事は無い。
(趣味は逆ナンです、みたいな男は身近にいるが)
なんせそこらを歩かせるだけで女の子が寄ってくるあの男。東京からのスポーツ特待生の仙道彰は、あまりにもモテて気が付いたら知らない女子生徒がくっ付いてくる有り様だった。苦肉の策なのか、クラスメイトでチームメイトの越野に番犬よろしくそばにいてくれと頼む始末だった。
思えばあれくらいの頃からだろうか。
越野と仙道の距離感がやたら近いな…と思い始めたのは。
それは今は置いておくとして、「それで、福田の機嫌が良くないのはなんで?」と聞いた。
「……イメージが崩れる」
「誰の」
「俺の」
福田は思い詰めたように息を吐いた。
「そんなチャラい男どもと一緒にされるのは嫌だ」
「………………………………………なるほど」
──深刻な話じゃなくて良かった。
深刻そうな福田には申し訳無いが。
植草は真顔で安堵の息をついた。
陵南生はほぼ江ノ電ともしくは自転車通学をしているが、まれに徒歩通学もいる。そのまれな生徒が正面から堂々と相合傘で登校しているのだが。
「ほら福田、ナンコーバカップルのおでましだぞ」
「………」
しょっぱい顔。
気持ちは分かる。
なにやら揉めているようだが、気を取り直して植草はいつも通りを装って挨拶した。
「仙道、越野、おはよ」
「はよ~」
「おはよ」
「…はよ」
耐えろ福田。ツッコむのはまだ早い。
「越野、傘、どうしたんだ?」
忘れたのか?と聞くほど野暮ではない。
越野は通学鞄だけでなく部室のロッカーにも置き傘をしている男だ。しかし植草の疑問も最もな話だった。下校時ならともかく登校時に相合傘とは。
「この傘は俺のなの!」
仙道の手にある傘を指さして越野が吠える。
「仙道は傘どうしたんだ」
「あー、無かった」
「無かった!?」
「1本もか」
「部室のロッカーに置いてきたみたい」
やっちまった~といつも通りに笑っているが朝から呼び出された越野はご立腹だ。
「越野が捕まらなかったらどうするつもりだったんだ」
「止むまで寝てようかと」
「台風来てんだぞ」
福田の言うとおり、関東地方直撃の大型台風が迫っていた。
相模湾に面した陵南高校も通学の要である江ノ電が早々に臨時運休を告知したおかげで臨時休校とする旨を昨夜に発表した。
午後からさらに雨足が強くなる予報が出ているので短縮授業になり当然ながら各部活動も中止だ。
ホームルームで担任から課題を出される際に台風への備えを強く言われ、海に近い生徒を抱える学校なら殊更気にかかることだろう。
ともあれ降って湧いた休暇だ。
釣りは出来ないので寝て過ごすことになるだろうが。