おもい おもわれ 南の方はどうやら梅雨入りしたようだ。
神社仏閣が有名な鎌倉の町にも、数日後には雨の器と呼ばれる紫陽花たちが喜ぶ季節がやってくる。
陵南高校からほど近いバスケットコート。ここは、陵南の体育館に次いで多く越野が仙道と共に過ごした場所だった。ひとり、持参したボールを付きスリーポイントラインからシュートを放った。ボールがゴールネットに吸い込まれると、子供特有の甲高い声があがった。
「すげーっ」
「フォームめっちゃきれい!」
びっくりして低い位置から上がる声に顔を向けると、いつの間にか小学生のバスケ小僧たちに囲まれていた。
「おにいさん高校生?」
「めちゃうまい」
「もっかいやって!」
子どもは苦手では無いが得意でもない、が、こうも手放しで褒められるとくすぐったい。仕方ないなあ、なんてポーズを取りながら越野は未来のバスケットマンたちにお手本のようなミドルシュートを披露した。
シュートフォームを本格的に見直したのは、高校二年の夏だった。
海南大付属の神、湘北の三井、越野が県予選でマッチアップした最高のスリーポイントシューターたち。試合終盤になっても崩れないシュートフォームと脅威の成功率。もし自分に彼らのようなスキルがあればと、敗退後のロッカールームで悔やんで泣いた。部活後の自主練習、体育館が使えない日は今いるこのコートでひたすらシュートを打っていた。肘がひらいてきてるぞ、リリース後のフォロースルーもっと意識して。越野のフォームが乱れてくるとすかさず飛んでくる指摘の数々。それとも今日はここでギブアップする? などと煽るように聞いてくる男に、「やめるわけねーだろ!」と毎度吠えていた。仙道は、そんな越野を満足そうに見下ろし、これ終わったらラーメン食いに行こーぜ、なんて暢気に言ったものだった。
そんな仙道とは昨夜に電話で話したばかりだが、実に二ヶ月近く会えていない。
──まだ、怒っているだろうか
卒業式の前日に、越野は仙道に思いを伝え、お互い長い片想いに終止符を打った。
最後に会ったのは三月の終わり、越野の大学入学準備の買い物に仙道が付き添った日だった。あの日以来、全く時間が合わずに今に至る。
スプリングトーナメントに一年生ながらスタメン出場を果たし大会ベスト五と得点王の二冠に輝いた仙道は、大学の練習以外にもメディアや個人契約スポンサーやらと毎日毎日あちらこちらと引っ張りだこだった。学業と部活動、日本代表に招集された国際試合、来月には関東大学新人戦、秋には大学バスケの最高峰であるインカレやプロアマ含めた上位チームで争う天皇杯が待ち構えている。 そんな多忙極まりない仙道からの誘いを断ったのは、純粋に身体の心配をしただけであった。
『ずっと忙しかっただろ? 俺のことは放っといていいから、しっかり休養取れよ』
『俺がおまえのこと放っといておけるわけないだろ』
『……なんでだよ。高校の頃はそこまでベッタリしてたわけじゃねえし』
『あの時は、なにも考えなくてもずっと傍にいれたから』
そうだ。
同じ教室で、同じ部活で、朝から晩まで四六時中ずっと傍にいれたのだ。
でも今はちがう。
一年生の春学期で、少しは余裕を持たせたコマ数だったにもかかわらずこの忙しさ。秋学期には上限まで取るつもりなのに果たして本当に大丈夫なのかと今から不安が若干募る。仙道が進学した海南大学とはバスケ部のレベルに大きな差があれど、そこで学生スタッフのマネージャーとして務めている越野でも目まぐるしい毎日だった。そのうえ高校の頃から長期休暇の期間だけ働いていた喫茶店でのアルバイトも進学を機に本格的に雇用され週の三日は予定がある。自分でさえこれなのだ。きっと仙道はもっと忙しいに違いない。貴重な休みは自分の為に使ってくれ、俺のことはいいからと、越野は気を遣ったつもりで言ったのだが。
『会いたいとか、そういうの、ねえの?』
『……っ あ、あるよ! そりゃ、……でも、おまえ、全然休みの日なんて無いだろ? 部活ない日だって、スポンサーだの取材だのって』
『だから、明日は丸一日オフだって言ってる』
『その丸一日を自分の為に使えって言ってんだよ』
『おまえに会うのに使うのはダメなのか』
禅問答のような会話が進むにつれ、他愛も無い口喧嘩に発展するのに時間はかからなかった。
『わかった、もういい』
スマートフォンのパネルが暗くなり、ビデオ通話が打ち切られた。仙道が用件だけを伝えてさっさと通話を一方的に切ることはままあったが、こんな風に険悪な状態で終わるのは初めてだった。
──何故わかってくれない
越野がそう思うように、仙道も同じ思いでいることに、まだまだ子どもな二人はお互い気付けていなかった。
小さな生徒たちに強請られて何本目かのシュートを放った時、軸がブレてこれは外れると予測した直後、一迅の風、のような、黒い影。それは、越野たちの目の前で、リングに当たって弾かれたボールを空中で受け止めそのままダンクシュートを決めた。こんなプロの海外プレーヤーのような派手なことをやらかすやつはそうそういない。
甲高い歓声がコートに響き渡った。
俺、あのツンツン頭のひと、知ってる!
月バスで見た!
センドーだ!
ハリネズミ!
海南大のセンドー!
小学生たちに囲まれた仙道はさながら巨人ようにも見えるがすぐさま腰を屈めて目線を合わせ、騒ぐな騒ぐなと笑って諌めている。
越野は、突然現れたことよりもその体躯の逞しさに驚いていた。
たった二ヶ月でこんなに変わるものなのか、と。
専属のコーチが付いて食事も管理され、本格的なトレーニングを積む鍛錬の日々。
こうやって、陵南の仙道から『日本の仙道』へと変わっていくのかと、少し、ほんの少しだけ。
高校時代の記憶が薄れていく寂しさを胸に感じた。
「ねね、おにいちゃん、あのひと、しってる?」
小学生軍団の中でいちばん小さな子が越野の手を握って尋ねてきた。この子はバスケ小僧というよりも、上の兄弟にくっ付いてきた末っ子なのだろう。就学してるのかわからない幼さだ。越野は子供が見えやすいように抱っこした。
「……知らね。初めて見た」
越野の言葉が聴こえたのか、仙道が片眉を上げてニヤっと笑う。
「俺も、君に会うの初めて」
腰を上げてこちらに近寄ってくると越野の肩に腕を回し連れない顔を引き寄せた。
「こんな可愛い子、一度見たら忘れねえもん」
越野は分かりやすく不機嫌そうな顔をした。
「ナンパしてる!」
「スケベぇー」
「エロエロ星人!」
子ども特有のストレートな物言いに仙道は大きく笑った。
「じゃあスケベついでに、暇ならカラオケでも行かない?」
「……オンチはお断りだね」
べっと舌を出す。
「オンチかどうかは聴いてからにしてよ」
仙道は越野が抱えていた子供を取り上げ大きくたかいたかいーなんてはしゃいでいる。
オレもやってー! 次オレだよー!
屈託ない顔で、次々と子どもを抱えて笑う仙道の姿に、越野は。
「次、俺も!」
そう言って、大きな背中に飛びついた。
(お読みいただきありがとうございました!)