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    muhyumu3

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    せるみぼ長編「幸せの泥濘」第三話です。

    「幸せの泥濘」第三話セルはダイニングテーブルについて、料理をしている女の後ろ姿を眺めていた。「女」という生き物とこれほど長く一緒にいたのは初めてで、女の後ろ姿を見てはその曲線美を感じた。丸みを帯びた肩、むちりと背中にはみ出した肉、柔らかそうな尻、肉付きの良い太もも。決してスタイルがいいわけではないが、男受けする肉体だとセルは思った。
    「さっきからこっち見てるの気づいてますよぉ」
    「えっ、はっ、え?」
    女は後ろを振り返ることもなくそう言った。セルは戸惑い、意味のない音を口から出すことしかできなかった。なんでばれた?キッチンに鏡なんてないはずなのに?ぱくぱくと口を開閉させていると、へらっと笑った女が振り向く。
    「やだ、本当に見てたんですか?カマかけただけだったのに」
    「お前っ……このっ……!」
    「もうすぐできますから大人しく私のお尻でも見ててくださいねぇ」
    セルはぶつけどころのない怒りをなんとか飲み込む。そう言われるとつい意識して、なるべく見ないようにしつつも尻を見てしまうじゃないか。セルは女の尻をチラ見しながら、食事ができあがるのを待った。

    肉が焼ける良い匂いがする。それからすぐに、目の前に皿がとんとんと並べられた。炊き立てのごはん、わかめの味噌汁、きのこのデミグラスソースがかかったハンバーグ、彩りの良いサラダ、タッパーに入った作り置きの副菜数品。なんて完璧な食卓だろう。女には困らされてばかりだが、この家事の腕にはほれぼれする。女はフライパンを水につけてから食卓についた。
    「いただきます!」
    「い、いただきます」
    セルはぎこちなく手をあわせて挨拶をすると、箸を手に取った。しゃく、とレタスを噛みしめる。ドレッシングがちょうどいい塩梅だ。ハンバーグも肉汁がしっかり閉じ込められていて、箸で割るのがもったいないほどだった。肉汁と混ざったデミグラスソースをたっぷりまとわせきのこといっしょに口に運ぶ。ああ、美味しい。美味しいと一言でも褒めてやればいいのだが、そんなことは口からでてこなくて。代わりに今日のできごとの文句ばかりだった。
    「だいたいお前はもう少し小間使いとしての自覚をだな……」
    セルのお説教をはいはいと受け流していた女が、いたずらっぽく笑う。
    「セル様は小間使いと一緒の食卓についてていいんですか?ご主人様なのに?」
    「今日からお前、床で食うか?」
    「やだぁ、冗談ですって!」
    けたけたと笑いながら女は食べ物を次々口に放り込んでいく。いい食べっぷりだ、それがあの柔らかそうな身体を作る秘訣なのだろうか。セルのより大盛りのごはんを箸で口に運ぶ、咀嚼する、飲み込む。ハンバーグを箸で切り取り頬張る、一口が大きい。合間合間にサラダや副菜を挟みながら、見る見る間にたいらげていった。これが、これが幸せだとでもいうのだろうか、世間は。セルはそんなことを思いながら、箸休めに副菜をつまんだ。女の食事が終わってから少しして、セルも食べ終わる。二人で手を合わせてごちそうさまをした。

    ―幸せの泥濘 第三話―

    夕食の片付けが終わり、女が手を拭きながら言う。
    「さて、私は食料の買い出しに行ってきますね」
    そんなもの昼のうちに行っておけばいいものを、とセルは疑問に思う。そういえば出会ってすぐのころも夜に買い物に行くと言っていた気がする、これまでもそうだったのだろうか。
    「お前、夜にしか出歩けない理由でもあるのか?」
    女はしー、と人差し指を自分の唇に当てると、それ以上追及されないためか逃げるように買い物にでかけていった。女はぺらぺらとよく喋るくせに、自分のことをあまり話さない。最初はどうでもよかったのに、いつのまにか女の存在が、過去が、気になるようになってきた。それは好意からくるものだったが、他人に好意を抱くということが初めてのセルがそれに気づくこともなく。ただ、女の過去への興味が募るのだった。ああ、そういえばそんなことより。セルは無理やり気を逸らす。セルは玄関と廊下を圧迫する荷物を、魔法を使って部屋に運び込む。新しいベッドが来たんだった。寝室の空きスペースに荷物を置くと、魔法でちゃちゃっと組み立てる。これでやっとソファ寝の生活から脱出できる、とセルは安堵した。

    今まで、ソファとベッド、リビングと寝室で寝ていたセルと女だったが、ベッドが届いたことにより同じ寝室で寝るようになった。そんなある日の晩、セルはなんだか眠れずに寝返りばかり打っていた。女がベッドに寝たまま、こちらを向く。
    「寝られないんですか?」
    「ん、ああ……」
    「なにかお話でもしてあげましょうか」
    「子供扱いするな」
    セルはそう言って女に背を向けようとしたが、ふと動きを止めて女に向き直る。サイドテーブルを挟んだ距離、視線がかち合う。
    「……どうしました?」
    「お前の身の上話が聞きたい」
    とたんに女の表情が曇る、女は慎重に言葉を選んでいるようだった。女が困ったようにほほ笑む。
    「聞いてもつまらないですよ、それよりもっと面白い話を」
    「いいから、聞かせろ」
    女の言葉に被せて、命令する。女はいつもの元気さを失い、力のない声で語り始めた。

    「……私は貴族の生まれです。防衛魔法の名門一族でした」
    なるほど、貴族の生まれか。セルはなんとなく納得がいった。うるさいながらも、仕草や言葉遣いが上品な女だ。ご兄弟方やお父様に挨拶しに行った時の品の良さはそこからきたのかと。
    「しかし、私は魔法があまり得意ではなくて……」
    そういえば、出会った時もまともに箒で空を飛ぶということができていなかったなと思い出す。それに、常人なら魔法でやるであろう家事を女は手でやっていた。魔力の証であるあざは左頬にしっかり一線刻まれているから、魔法不全者ではないが、まあいわゆる落ちこぼれなのだろう。
    「固有魔法も、ほら」
    女は布団から出て、ベッドサイドに置いた杖を手に取ると、一振りする。
    「シャボネス」
    女の周りに丸いバリアが展開された。虹色を映すそれはシャボン玉みたいで、見るからに頼りなく。
    「こんな弱弱しいバリアを張ることしかできません」
    女が杖を下すと、バリアはぱちんとはじけて消えた。セルは黙って話の続きを待つ。
    「そんな私でも……家族の庇護のもとなんとか育ち、座学を頑張って高校にも入れました」
    女はサイドテーブルに杖を置くと、またベッドに潜りこんだ。あまり顔を見られたくない、とでもいうように口元まで布団をかけるから、声がくぐもる。

    「そこで、のちに夫となる男性と出会いました」
    「……夫?」
    セルはびっくりしたように聞き返す。夫、夫って言ったかこいつ、え、既婚者?と動揺する。
    「……ええ、夫です。もう、死に別れていますが……」
    女は悲しそうに瞼を伏せる。セルがなんと声をかけていいのか迷っていると、女は勝手に続きを話し始めた。
    「高校三年間、夫と付き合いました。そして、卒業したら結婚しようと約束していたのですが、両親には反対されました。夫が平民の生まれだったからです」
    よくある話だ、貴族の持つ選民意識、とセルは思う。女は、ふと幸せだったころを思い出したかのように目を細めた。
    「そして、私たちは駆け落ちしました。貧しかったけれど、本当に、本当に幸せな結婚生活でした」
    女はうっとりとした声で語る。甘く幸せな思い出に浸っているのだろう。しかし、女は次の話をしようとした時に、何度も言葉を詰まらせた。それから、ええと、を繰り返す。女の顔色はだんだん悪くなっていった。
    「夫は、病気になりました……。顔のアザがだんだん消えていき、魔力を失う病気です」
    セルははっとした。エピデムがそんな病気を作って実験していた。この女の夫も、モルモットにされたのだ。
    「私も働きながら懸命に看病しましたが、やがて夫は亡くなりました」
    ん、とセルはなにかひっかかりを感じた。エピデムが作ったあの病気に、致死性があっただろうか、と。あの病気は魔力が薄れていくものであり、命を奪うことは目的にしていなかったはずだ。でも、所詮は実験段階の病気、なにが起こるかはわからないだろう、死ぬこともあり得ないことじゃない、セルはそう結論づけることにした。

    「夫を亡くした私は路頭に迷い……、日雇いの仕事をしながらなんとかその日暮らしをしていました」
    女はセルの方に手を伸ばす。セルがその手をとるのを躊躇っていると、女はくすと笑って手をひっこめた。
    「そして、あの日セル様に出会いました」
    「ふうん、そうだったのか」
    興味なさそうなふりをしたが、正直なところ衝撃的だった。特に、女に夫がいたこと。そして、気に入らなかった。女に忘れられない人がいるということが。どうしてそんなことを思うのか、セル自身わかっていなかったが。
    「つまらない話だったでしょう」
    女はのどが渇いたのか、サイドテーブルに置いた水のボトルをとり、数口飲んだ。セルも、口の乾きを感じて、水で口内を潤した。
    「はっ、本当につまらない話だったな」
    セルは女と目を合わせるのを躊躇った、瞳を見られれば気持ちを見透かされるような気がして。そんなセルの気持ちを知ってか知らずか、女もこちらを見なかった。セルは寝返りを打つと、あおむけになって天井を見る。暗闇の中、窓から差し込む月明りでぼんやりと天井の模様が見えた。

    「お前、名前は」
    そういえば、女の名前を聞いていなかったことを思いだす。女が自ら名乗ることもなかった、ご兄弟方にも。
    「私の名前は……」
    女はごろんと向こうを向いてしまう、そんなに言いたくないのか、なにか理由があるのか。身の上話を聞いてもますますこの女のことがわからなくなるばかりだった。
    「私のことは……ジーンとお呼びください」
    ……たぶん、偽名だ。セルはなんとなく勘づく。拷問して吐かせてやろうかとも思ったが、いい、無理して本名を知る必要もないかと思いなおす。なにも本名に固執しなくたって、呼べる記号があれば構わない。本当は、本名が知りたい、お前のことがもっと知りたい、という気持ちを押し殺してセルはそう自分を納得させた。
    「さあ、もう寝ましょう、セル様」
    「ああ、そうだな」
    「おやすみなさいませ」
    「おやすみ、……ジーン」
    セルは小さな声で名前を呼んだ。結局、女が日中出歩かない理由もなにもわからなかったな、と考える。ああ、なんでこんなに腹立たしいんだ。セルは理由のわからない怒りを抑えながら、なんとか眠りについた。

    翌朝。女はいつもの黒いタイトワンピースに着替えていた。女は三着くらいしか服を持っていなくて、多少形は違うが全部黒いワンピースなのだ。セルはふとそれを口に出す。
    「お前、黒い服しか持ってないんだな」
    「……ふふ、そうですね」
    昨日から秘密の多い女にいらいらしていたセルは、つい嫌味が口からでてしまった。
    「夫の喪にでも服しているつもりか?くだらない」
    吐き捨てるようにそういって、女のほうをちらりと見た。女の顔色がみるみる変わっていく。それは怒り、というより絶望に近いような。眉根を寄せ、なんども瞬きをしていた。深い暗闇を湛えた瞳が、いっそう黒くなった気がする。唇が白くなるほど唇を噛みしめていた。低く、深く、呼吸をしている。しまった、とセルは思ったが、うまいフォローが見当たらない。謝ることもできない。しかも仕事の時間が差し迫っている。
    「セル様、私はっ……」
    「仕事の時間だ、行ってくる」
    聞きたくない、聞きたくない!どうせ出ていくとかとか言うんだ、そんな言葉聞きたくない。セルは女の言葉を遮り、弁当をひっつかむと、逃げるように玄関を出た。

    後悔、後悔、後悔。セルの心の中は後悔が占めていた。どうしてあんなことを言ってしまったのだろうか。いや、もとはといえば秘密ばかりするあいつが悪いんじゃないか、僕は悪くない。……でも、帰ったらちゃんと謝ろう、デリケートなところに踏み込んでしまったのは事実だから。セルは玄関の前に立ち止まって、そんなことを考えていた。今朝は悪かった、そう一言いうだけだ。ばん、と勢いよく玄関のドアを開ける。いつもだったら聞こえてくるはずの「おかえりなさいませ」が聞こえてこない。ああ、ああ、そうかもしれない、それもそうだ、本当に。部屋中、女を探したがどこにもいなくて。出会った時に持っていた女のカバンもなくなっていた。
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