ありふれた話 夢を見た。
弟とともにあった頃の懐かしい夢だ。
パッとスポットライトがつく。その灯りの元には赤ん坊の弟が転がっている。栄養が足りず体の小さかった弟は虚弱で呼吸も弱く今にも死にそうだ。その弟の体が闇から伸びた腕に抱え上げられる。
弟が奪われる——
全身にぞわりと鳥肌がたつ。
その存在が僕の力になることも無い、役に立たないものだったが生まれた時からそばにあり、僕がその手首を握っていた、僕の所有物。それを僕から奪うなど……。
僕は手を伸ばして赤ん坊の弟を奪い返そうとするが、まるで空気のようにすり抜けてしまった。その直後、空気を引き裂くような鳴き声が響き弟を抱き上げた手が止まった。声のほうへ目を向ければ、丸々とした赤ん坊が不機嫌そうに弟を抱えた腕を睨みながら泣き叫んでいる。
(これは、僕か)
転がるその物体に納得する。その頃は赤ん坊ゆえ思うように体が動かず、泣くか転がることしかできないでいた。しかし存在を主張したためか弟を抱えた腕は、泣き叫ぶ僕をも抱き上げどこかへ連れて行った。
また場面が切り替わる。
たくさんの子どもが集められ『先生』と呼ばれる者たちが子どもたちの面倒をみていた。世話をしていたと言えなくはないが、どちらかといえば支配していたに近い。その場所では先生に逆らうことは許されない。
先生は子どもたちに食事の仕方や着替え、風呂やトイレの使い方を教えなるべく身綺麗にさせ、それを下の子どもたちに教えるよう強制した。それをまず徹底して教え込んだのは、自分たちの手間を省くためだ。それゆえか少しでも反抗的な態度を見せれば有無を言わさず暴力の餌食となった。
この場所で、子どもたちは力こそが権力であり、強いものがすべてに勝る、弱肉強食という概念を覚えていった。
それは、僕も同じだった。力を誇示する時と場所を考えれば最大効率で利益を得られると知った。
パチンと電気が消えた。
次の場面は、孤児院の地下室だった。
広いそこは中央を囲むように椅子が並べられており、顔を隠した男たちが腰を下ろしていた。
この孤児院では、こうして時折『慈善家』と呼ばれる好事家たちによるオークションが行われていた。先生たちからすれば拾った子どもをどうしようが、拾い主の勝手だということだ。その上更に資金まで得られるならそれに越したことはない。理に適っていると僕でも思う。
中央に複数人の子どもが立たされている。その中に、僕たち兄弟もいた。
ここに立たされる子どもたちは、好事家たちが視察と称して孤児院内で指名したり、先生たちが選出したりと様々な方法で選ばれた。
訳もわからずおとなの男たちの前に立たされ、子どもによっては服を剥かれる。逃げ出したいがそれをすれば先生にどんな目に遭わされるかという恐怖で言いなりになるしかない。弟もそんな子どもたちのうちのひとりだ。隣に僕がいるからかまだ少し落ち着いてはいるが足が震えている。
そうしているうちに自分の番号が呼ばれ、その子どもに印がつけられる。買い手が決まったのだ。
僕の番号が呼ばれる。弟の番号も呼ばれた。
その日はただそれだけ。部屋に帰され何をいうでもなく何をされるでもない。
しかし、翌日からはすべてが変わった。
弟だけが別室へと連れ出されるようになった。買い主の意向だという。好事家の一部は気に入った子どもを選び、家に連れ帰る前にある程度自分好みに子どもを『教育』させる。買い主の男は、弟に道義や倫理観を持つことを望んだらしく、孤児院側はひとまず本を与えて眺めさせていたそうだ。
僕はそのことを、先生の中でも最も弱い立場の男から聞き出した。
そしてわかったことは僕らを買った好事家はそれぞれ違うということ。つまりそれは、僕らを引き離す算段があるということでもある。
また僕から弟を奪おうというのか。
物好き如きが僕の所有物を奪おうなど許されない。力は権力ではあるが万能ではない。この場所でそれを覚えた僕は、ほとんど本能で望んだことを実行するため動くことにした。
幸い、孤児院の警備は監視カメラだけだ。僕は夜ごとに外へ抜け出ると反異能を掲げる者たちが集まる場所へと赴き、異能を使用して彼らを殺していった。
四つか五つの子どもが突如現れ、異能で以って組織のメンバーを殺している。おとなたちからの畏怖と反感を含んだ噂が広がり始めたある日、僕は武器を持った男たちに後をつけられた。
僕の姿が孤児院の中へ消えるのを確認した反異能集団のおとなたちが門を壊して中へと雪崩れ込んでくる。夜半ということもあり、対応が遅れた孤児院は阿鼻叫喚の有様だった。男たちと実はヤクザの構成員であった孤児院の職員との抗争は激しさを増し、巻き添えを食った子どもたちの悲鳴がそこかしこで上がった。
僕は弟の手首を掴み半ば引きずるように玄関へと向かう。途中で遭遇したおとなたちが道を塞ごうとするので、僕は異能で彼らをどかしていく。
その様子に顔を引き攣らせて怯える弟に苛つき、力任せに腕を引くと小さな悲鳴が上がる。その声は無視して歩き続ける。
建物の外に出ると生臭いにおいが減り少しだけ呼吸が楽になった。弟はにおいと引きずられる振動に目を回したのかぐらぐらとふらついている。このまま連れて動くには邪魔になるので孤児院の門のそばに放り投げると、弟はぐぅと声をあげて気を失った。
これからどうすべきかを漠然と考える。孤児院の建物の様子を外から窺うが、中は抗争の影響でだいぶん破壊されてしまっている。
この場所にいてもおそらく僕の役には立たない。どこかへ移動することを考え、門に転がした弟のところへ戻る。
門に近づいた僕は目の前の光景にざわりと肌を泡立たせた。
数人の男たちが横たわる弟を爪先で蹴り上げ、仰向けに転がす。顔が見えると、彼らは何かを言い合っていた。
その下卑た表情は、好事家の前に子どもを差し出す孤児院の職員と同じもので。それゆえに彼らの会話は聞こえなかったが何をしようとしているのかは理解できた。
「ぎゃああああっ!」
汚い悲鳴と飛び散る血。槍のように伸びた鋲が男たちの体を貫き宙に縫い付ける。深く刺さったそれが抜けると同時に大量の血液が吹き出し地面を濡らす。開いた穴から向こう側の景色が見える。そのうちのひとりは死に損ねたらしく這いずりながら僕らから距離をとろうと足掻いていた。
「ゔう……」
いつの間にか意識を取り戻していたらしい弟が、なにか伝えようと呻きながら服の裾を何度も引っ張る。
それを無視して、僕は地面で蠢く男を追いかけ、その体に巨大な鋲螺を突き刺していく。
先ほどのように中途半端に生かしてしまい、他の人間を呼ばれるのは面倒だからと念入りに。
それが肉塊と化し、ようやく安心した僕が振り向くと弟は体を丸め顔を覆い、震えていた。不思議に思い手を伸ばすと、弟は顔を伏せたまま首を横に振った。
「いあ…… あう」
それは拒絶だった。弟が僕を拒絶していた。
今の僕にならそれがわかるが、あの当時の僕にはそれを理解できなかった。ゆえに幼い僕は弟の腕を掴み、引きずりながら夜の道を歩き始めた。
頭の中では、先ほどの男たちが弟を囲んでいた光景が巡っており、外に放り出しておけば弟を奪われるのだと知った。
この後、僕らは路上で生活をしていた。この弟が人間をよく釣るということも知ったのはこの頃だった。
生きるのには食物や水が必要だがそれを手に入れるには奪うか金銭が必要ということも理解した。手に入れるために店を直接襲うこともあったが、店を壊すとその後が続かない。なので弟を餌にし、搾取しようと近づいてくる人間を襲って金品を奪ったり、金銭でのやり取りをして生活をするように動きを変えていった。
おとなの庇護のない生活は僕にとっては何の問題もなかった。体も大きく強かったからだろう。一方で弟は雨風や寒暖ですぐに熱を出し寝込むことが多かった。
そのため、僕は寝ぐらを決めることにした。弟は人目につくと奪われるため日常的な人の出入りは少なく、しかし完全には破壊されていない場所を探した。
そうしてたどり着いたのが、あのビルだった。
部分的に破壊されてはいるがほぼ無傷なビルの中、幼い与一が座っている。
雨風を凌ぐだけでなく生きるために少なくとも水が手に入る場所。与一を隠しておける場所。そして人が適度に集まり物資なりが手に入る場所。このビルはそれらの条件を満たしてくれた。
与一の周りにはたくさんの本が山積みになっている。それらはすべて周辺に乱立している建物から持ってきたものだった。
周辺を警戒するために散策した結果見つけた本の山に目を輝かせた弟に、仕方なく手当たり次第寝ぐらに持ち込んだ。それ以降、与一は自分でも建物の残骸を巡り本を持ち帰っては読み耽っていた。
「与一」
声をかけてみるが、小さな与一はコミックに集中していてこちらには気づかない。あまりにも見慣れた光景に苦笑した。仕方なくあの頃のようにこちらを向かせるために肩を掴もうとした瞬間、バチンとスイッチが切れるように辺りが真っ暗になった。
あの頃は兄弟ふたりだけで生きていた。世界にはふたりしかおらず、すべてのことがふたりのためだけにあったと思う。
ワン・フォー・オール。オール・フォー・ワン。
弟が最も好んで読んでいたコミックに出ていた言葉。
僕は魔王になる夢を語った。弟の目が憧れのヒーローだけに向けられることに不快感を覚え、そのヒーローを追い詰める魔王になれば与一の目が僕だけに向くと思ったから。
しかし……
何故抗うんだ。僕と征こう。
「間違っているからだ。許してはならないからだ。兄さんの全てを」
成長した弟は、人道を理解し、コミックのヒーローに憧れ、善を成そうとする人間になった。
あの孤児院で、弟を買った男が植え付けた思想の種子は消え失せず弟に根付いてしまった。
もしあの時、僕がもっと早くに孤児院を壊せていたら?
弟からラジオやコミック、本を取り上げていたら?
もしかしたら違う結果になったのだろうか。
これは、道を違えた兄弟の懐かしい過ちの話だ。
そして、走馬灯をぼうと眺めている男が後悔にため息をつく、そんなありふれた話でもある。