選定子どもはそんなに好きでもないとディアマンテはつくづく思う。嫌いという程ではないが、相手が年若いだけで庇護心が湧くような生温い情感とは無縁の性質だ。
癇癪玉と鉄砲玉をブレンドしたかのごとき気性の激しい子どもをドフラミンゴが拾い、なし崩しに年少者の入団も認められるようになった当初は困った。
なにせ噂を聞きつけた素質もない子どもが絶え間なくやってくる。上背のあるディアマンテは足元でちょろちょろと動く子どもをゴム毬のように蹴飛ばす事故をよく起こしていた(実際には半分以上が故意だったが)。
ドフラミンゴが博愛主義者でなかったのは幸いと言える。子どもが三日と経たず泣いて逃げようが、不躾な行為のケジメとして大人連中から私刑を受けようが構いやしない。
むしろ、篩にかけることを望んでる節があった。
ドフラミンゴが選ぶのはいつだって、大人に蹴られても傷ついた顔などしない可愛げのない子どもばかりだ。この世への信頼をとうに捨てた伽藍堂の目つきは、かつてのドフラミンゴに似ていた。
それでいて全員が何の力も持たないちっぽけな存在だった。
選ばれた子どもの中にディアマンテが気に入った者は一人としていなかったが、ドフラミンゴの決定に異議を唱えたことは一度もない。
船長たるドフラミンゴが望んだものが居着けばいい。彼が望まないのなら、欲しいとも思わない。
幹部である自分達が選んだ“子ども”は、後にも先にもドンキホーテ・ドフラミンゴの一人きりで十分だった。