がーでんぷれいすで待ち合わせ、あかくろ 午後七時まで、あと二分。
黒子は、とてもとても急いでいた。
仕事終わりの赤司と外で待ち合わせることも月に数回の頻度であることだけれど、今日はいつもより少し、特別だ。
丁寧にアイロンをかけた白いシャツに、赤司に勧められて買ったは良いものの今まで着る機会のなかったジャケットと、シンプルなグレーのパンツを合わせる。普段は動きやすさ重視のカジュアルな服が多い黒子にしてはかなり綺麗めにまとめた服装だ。果たして本当にこれで良いのか、不安が募りすぎて仕方ないけれど、事前に相談した黄瀬にお墨付きを貰っているので大丈夫だと信じるしかない。
それから、赤司の部屋にあるヘアアイロンを拝借してコンセントを差し込む。温まったプレートに毛先を挟んで整えた。これも使い慣れていないので、余計なことはしない。ただ跳ねた髪をまっすぐに伸ばして、良い感じにまとまってくれれば十分だ。鏡の中の自分は相も変わらず面白みのない無表情を貫いていたけれど、それなりに身なりを整えたからみすぼらしい姿ではないとは思う。たぶん。自分がどう思われようがどうでも良いが、自分のせいで隣を歩く彼まで何かを言われてしまうことは避けたかった。
そう、今日は、いつもより少し特別なのだ。二人の何かの記念日、というわけではない。黒子だけ勝手にそう思ってるだけである。だけど少しだけ背伸びをしてみたかったし、赤司の喜ぶ顔を見てみたいと思っていたのだ。だから気合いを入れて家を出たはずなのに。
なのに、黒子は今走っている。改札から続く長い通路を慌てて走れば、せっかくセットした(と言えるかどうかはわからないが)髪もぐしゃぐしゃだ。
待ち合わせ時間の夜七時に間に合うように、執筆の仕事も早めに終わらせて、余裕をもって家を出たはずなのだ。けれど途中でスマートフォンを忘れたことに気付いて一度家に戻り、急いで駅まで向かえば電車は遅れている。予定より十分以上遅れて待ち合わせ場所の駅まで辿り着いたものの、黒子は失念していた。待ち合わせ場所は、JRの改札口からだいぶ歩くのだ。そのために駅構内に動く歩道も設置されている。
オフィスから駅へと帰るサラリーマンたちと逆走して、黒子は走った。赤司からは、「着いたよ」とちょうど五分前に連絡が来ている。こんなはずじゃなかった。黒子のほうが先に着いて、スマートに赤司を待っていたかったのに。
構内の長い通路をひたすら走ると、やっと待ち合わせ場所へと続く出口が見えてきた。駅舎を抜けて、歩道を渡らなければいけないのに、ここの信号がまた長い。焦ったくなりながらも、青信号になった瞬間に駆け出した。
信号を渡れば、景色が一気にきらびやかになった。少し気が早いクリスマスなのか、もう既にイルミネーションが夜の街にきらきらと溶け込んでいる。
そんな華やかな駅前の一角に、赤司はいた。
立てば芍薬、とはよく言ったものだ。背筋を伸ばし立つ姿は、どんな花よりも美しい。淡く照らすイルミネーションの光も相まって、思わず見惚れてしまうほどきれいだった。若い女性がちらちらと赤司を見ている。その視線にはっとして、黒子は慌てて足を踏み出した。
「赤司くん!」
そう声を掛けた瞬間の、顔を上げた彼の表情といったら、それはもう破壊力がすごかった。
「黒子」
目が合ったかと思えば、赤司は綻ぶようにふわりと笑う。愛おしさを隠しきれないといった甘さに、黒子の心臓はたまらなく押し潰されそうになった。走りすぎて、息切れしているからではない。決して。
「すみま、せん、遅くなりました…」
「まだ十分も経ってないよ。大丈夫」
時計を見れば、約束の時間から八分過ぎていた。本当は、こんなつもりじゃなかったのに。寒い中赤司を待たせるつもりなんてこれっぽっちもなかった。走ったせいで髪はぼさぼさで、アイロンをかけたシャツにも汗が滲んでいる。
ふうっと、大きく息を吐いた。赤司はまっすぐに黒子を見ている。まだ冬になりきらない、秋の冷えた夜風が、汗をかいた黒子の頸をひんやりと冷やした。
「あのっ…赤司くん」
「ん?」
「これ…」
片手に提げていた紙袋の中に手を入れる。慌ただしく振り回したせいで、中身はほんの少しよれていたけれど、大きく崩れていなかったことにほっとした。
「これ、キミに…。もらってくれますか?」
差し出した花束に、赤司はぱちりと瞬きをした。
五本のローズブーケ。それを淡い水色の包装紙と白いリボンで包んでもらった。きらびやかなイルミネーションを反射して、薔薇の花びらがつるりと光っている。冷えた夜風に甘やかな香りがふわっと乗って広がった。
赤司は、驚きを隠さずにぽかりと目を見開いている。けれどすぐにやわらかく微笑んで、「ありがとう」と言って黒子から花束を受け取った。
ほんの小さな花束でも、彼が持つと、まるで絵本から飛び出てきた王子様そのもののように似合っていた。赤司に抱えられて、薔薇たちも喜んで、心なしか店頭に並んでいた時よりもずっと元気に見える。
「嬉しい。黒子、王子様みたいだね」
「その言葉、そっくりそのままお返しします…」
「どうして」
くすっと笑った赤司が、薔薇の花束に鼻を寄せる。王子様というよりも、どこかの国の美術館に飾られている絵画のようだった。見惚れている間に、また赤司を見ては人々が通り過ぎてゆく。たまらず、黒子はそっと赤司の手を引いて小さく握った。
「黒子?」
「手、冷たいですね…お待たせしてすみませんでした」
「ううん。大丈夫…じゃあ、温めてもらおうかな」
黒子よりもひと回り大きな手のひらに、すっぽりと手を覆われる。二人の体温が合わさってゆく。薔薇の甘い香りが、二人の間を包んでゆく。
「前に…赤司くんが、花束を持って待ち合わせ場所に来てくれたじゃないですか」
「ああ、あったね」
「それがすごく嬉しくて、ボクも、赤司くんにお返ししたくて…。でもダメですね、キミみたいにスマートには出来ません」
待ち合わせ時間には遅れるし、髪もぐしゃぐしゃだし、綺麗に作ってもらったはずの花束のリボンはよれているし。小さく溜息を溢そうとしたのに、その息は、赤司の唇に塞がれた。
「んっ…むぐっ」
「嬉しいよ。すごく…大事にする」
至近距離で微笑む表情に、また黒子の心臓がどきどきと音を立てる。触れた唇が熱い。外なのに、キスしてしまった。繋いだままの彼の手は、もうすっかり温かかった。
「今日の服も、いつもと雰囲気違うね。似合ってる」
「本当ですか?よかった…」
「でも、かっこいいし、かわいいから、あまり他の人に見せたくない」
「え?」
「やっぱり食事はやめて帰ろう。二人きりで過ごしたい」
やわらかに熱く燃えるような、それこそ咲き誇る薔薇のような色をした瞳にそう懇願されたら、頷く以外に黒子の選択肢はない。イルミネーションのぼんやりとした光がつくる二つの影が、またもう一度重なった。
嬉しい。くろこ。好きだよ。大好き。とろけそうな声が、黒子の耳をやさしくくすぐる。恥ずかしくてうまく口に出せない代わりに、黒子も薔薇の花束に想いを託した。彼も、同じ気持ちだと嬉しい。