たとえばこんな誕生日【二月十日 午前四時三八分 教室にて】
緊張したぁ……。きれいな子すぎてびっくりした。そうそう、エレオノーレ。社長令嬢らしいよ。こんなに緊張するならゲルブに聞けばよかった。わかってるって。女子に聞きたくて勇気出したんだもんね。んで、ここからが本題。結論から言うと、ヤウズくんはバレンタインのチョコは受け取らない主義なんだって。去年大変だったし、手作りや差出人のないものは食べられなくて申し訳ないからって。優しいよね、そういうとこ。まぁ、彼の料理の腕前を見たら、手作りを渡す子なんてもう現れないと思うけどね……。わかりやすくがっかりしてるわね。わかる。私もさっきまでそうだった。でも、朗報よ。エレオノーレが言うには、誕生日プレゼントは受け取ってくれるらしいの! 私たちのやるべきこと、わかった? そう。まず、手作りのお菓子は渡さない。チョコに限らず。渡し物には「誕生日おめでとう」のシールをくっつけること。間違ってもハートのシールとかだめよ! 手紙? まぁ、それは……好きにしたら? 違うって、別に入れようと思ってないから! 友チョコすら受け取ってもらえないのがなんとなくさみかったし、本命チョコを渡そうか迷ってるあんたに協力しただけだから。私は本命チョコ、生徒会長に渡そうかなって思ってるんだ。え? 簡単、簡単。毎年生徒会室前に巨大な箱が置かれるから、そこに入れるだけ。毎年数が多くて大変だから、副会長が提案したらしいよ。副会長もかっこいいよね。クールだけど、優しくてさぁ。違うから。ただのファン。あんたはどうなの? 転校してきたシド先輩が気になるって言ってたじゃん。あぁ、わかるわ。うんうん、あの人は「推し」だわ。RD先輩にはマガさんがいるから、触らぬ神に祟りなしよね。RD先輩に好意を見せようものなら、計算されつくしたお仕置きされそう……。優しい人なのは知ってるんだけどね。あれでしょ? 「オタクに優しいギャル」ってやつ。ま、とにかく。誕プレ買いにいこ。チョコ買う前に聞けてよかったよね。
***
「よぉ、ヤウズくん」
「今、帰り?」
振り向くと、向日葵の笑みを浮かべた先輩と、対照的に苦い風邪薬を飲んだみたいな顔をしている先輩が並んでいる。うなずくと、笑顔の先輩──シド先輩の笑顔が、にやりといやらしさを含んだ。
「やっぱり、ヤウズくんってモテるよな」
「『やっぱり』って何だよ」
悪態をついて、背の高いシド先輩をじろっと睨みつけるが、その表情はにこにこ、にやにやしたままだ。いつもは彼のおふざけを咎めるもう一人の先輩──ジョーカー先輩(この人のほうがよっぽどシド先輩の逆鱗に触れそうな煽りをかまして、おれはいつもひやひやしている)は、黙ったままだ。シド先輩に同意ということだろうか。
先輩(たち)の言いたいことはわかる。二月一四日は、女性から男性にチョコレートを贈って愛を示すバレンタインデー。たくさんチョコレートをもらえばもらうほど愛を向けられていることになる。しかしどうやら、その「愛」とやらの範囲はずいぶん広いらしい。エレオノーレは「お友達にもチョコは渡して問題ないのです。どうぞ、ヤウズ様」とチョコレートを差し出してきたし、ゲルブは「知らねェの? 友チョコってやつ。お前、誰にももらえなさそうだから、おれがやるよ。はぁ? エレオノーレお嬢様から受け取っただと?」と猿みたいに騒がしくしながらチョコレートを胸に押しつけてきた。そいつらのことばを鵜吞みにして来るもの拒まずでチョコレートを受け取っていたら、大変なことになった。両手いっぱいの、チョコで膨らんだ大量のチョコレートを見て、ジジイは諸手を挙げて喜んだ。しかしそれも、チョコレートを勝手に食べ始めて一時間後のことだった。「多すぎるだろ……」とつぶやいて、ジジイはごろんと仰向けになり、両手を挙げて降参したのだった。
「おまえは……、食べねぇのか……」
「いい。エレオノーレとゲルブのやつがある」
「レディたちの愛を無下にするのは、感心しねぇな。そんなんなら、もう受け取るな……」
それきり、ジジイは黙ってしまった。遺言かと思って振り返ると、腹をぽっこり膨らませたジジイが寝息を立て始めた。
ジジイにブランケットをかけながら、おれは思った。「来るもの拒まず」で受け取るのはさすがにまずかった、と。
二月のはじめ、エレオノーレが世話役の女の人(シュテラさんとローテさん、だったっけ)とチョコレートを作る練習をしている話を聞いて、慌ててチョコレートを断った。しかし、それを予想していたかのように用意されていた誕生日プレゼント──バレンタインデーと同じ日だ──を差し出されて、おれを受け取ってしまった。慕ってくれている友達(しかも女の子だ)が用意してくれるものを立て続けに断ることなんて、おれにはできなかった。
まぁ、バレンタインデー当日はチョコを受け取らずにいればいいだけだし……。
そんな風に考えていたのだが、このザマだ。両手からぶら下がる紙袋は、リボンでラッピングされた大小さまざまな箱や袋で膨らんでいる。
「違うよ。チョコじゃない。ほら、『誕生日おめでとう』って書いてあるだろ?」
片手の紙袋を差し出すと、先輩たちはそれを覗き込んだ。積まれた箱のいくつかには、HAPPY BIRTHDAYと書かれたシールが貼ってある。
「チョコじゃなんだ」
「そう。『チョコは受け取らない』って言ったら『じゃあ、誕生日プレゼントは?』って言われて、二度も拒否するなんて申し訳なくてさ──」
言いながら、この流れに強烈なデジャヴを感じた。二週間前の、エレオノーレとのやりとりだ。彼女が何か、余計なことを吹き込んだのかもしれない。なんて、失礼極まりないことを考える。ぶんぶんと頭を振って、話題を変える。
「先輩たちだってモテてるじゃん」
二人の片手に提げられた、膨らむ紙袋を指さす。俺のものと違って、艶やかで上品な包装紙に包まれ、ハートのシールがつけられたそれは、間違いなく愛のこもったチョコレートだろう。
ジョーカー先輩が再び苦い顔をした。
「これはね、クイーンのものだよ。裏口のトラックまで運ぶのが大変だから、シドにも手伝ってもらったんだ。ね」
「そうそう。さっきまで大変だったんだぜ。段ボール持って生徒会室から何往復したことか。これで最後なんだ」
話を引き取ったシド先輩が説明する。それから、「あっ、そうだ」と何か閃いたようにぽんと手を打って、紙袋と反対の手で持っていた通学バッグをごそごそし始めた。
「はい、これ。ヤウズくんにあげる」
言いながら、シド先輩が俺の胸ポケットに高級そうな包装紙に包まれた箱を突っ込んだ。ぱっと見ると、ぱっと咲いているブルーのリボンだけが見える。「これって──」言い始めるが、続けざまにジョーカー先輩が今度は頭の上に何かを置いた。軽くて、四角いものだと、感覚的にわかった。
「ちょっと!」
声を荒げるが、先輩たちはすたすたと歩いて行ってしまった。両手が塞がっているおれは、無遠慮に渡されたものを検めるすべがない。抗議の意味も込めて、その背中に、「何これ?」と文句の混じった疑問をぶつけると、シド先輩が振り返った。
「チョコ。俺たちからの愛だよ」
「おい、ぼくを巻き込むな」
「ジョーカーもチョコのくせに。共犯だ、共犯」
ジョーカー先輩が、シド先輩を小突いて二人の会話は終わった。ジョーカー先輩も俺の方を振り向いて言う。
「これをトラックに運んだら、一緒に帰ろう。荷物も持つし、別で誕生日プレゼントも持ってるんだ」
「全部言うなよ。まったくムードないやつだなぁ。モテないぜ?」
「僕はチョコいっぱいもらった」
「おれだっていっぱいもらったし」
「ぼくのほうがヤウズくんに喜んでもらえるプレゼント買ったと思うよ。自信ある」
「おい、話逸らすな。ヤウズくん、おれもいいプレゼント買ったから! そこでちょっと待ってろよ」
最後はおれのほうを向いて、シド先輩が言った。
おれはただ、頭と胸ポケットにチョコレートを携えた情けない姿を見られないことを祈るしかなかった。
(了)