モラトリアムな日々-晴耕雨読- 戦いにあけくれた魔界での数年が、まるで夢のように感じられるほど穏やかだった。
ここはデルムリン島、当代の竜の騎士の住まう楽園。ポップはブラスの家から少し離れた場所に家を建ててもらって住んでいる。さほど大きくない家ではあるが、かつての仲間がこの島に訪れることを踏まえ、客用寝室が数室ある。とはいってもダイが入り浸っているのはポップの寝室だが。
本日は雨。
雨が降ったらお休みなので、ポップはベッドにうつ伏せに寝転がって魔法書を広げている。その隣でごろごろとしながらダイは聞く。
「ねぇポップ、おれ こんなにゆっくりしていいのかな?」
「何かしてぇこととか、やんなきゃいけないことがあるか?」
ポップはうつ伏せのまま魔法書から顔を上げずに質問に質問を返す。
「……何も」
魔界から帰ってきてから、いや帰る前からダイはずっとそう答えていた。自分の希望を口にはしない。時折、優しく笑って「どうしたらいいと思う?」と聞くだけで。
「じゃあいいじゃねぇか。今月の予定はとりあえずアレだ」
ポップが示した先にある黒板-かつてアバンが使っていたものよりも大きい-には今月の予定が一覧されている。ダイの勉強の日、ポップの研究の日、街へ買い物する日、ダイの勉強の日、ダイの勉強の日、姫さんが来る日、師匠のところへ行く日などなど。
自身では何も欲することはなく、ただただ皆の期待に応えようとするダイのためにポップは”日常”を設けることにしている。”日常”の中で、いつかダイのやりたいことが見つけることができるようにと。そして何をするにしても必要な基本的な知識が備わるようにと。
「うーん」
「嫌なのがあんのか?別にオレの研究や買い物に付き合う義理もねぇし、勉強はまぁやった方がいいかなって思うから設けているけど」
「勉強とか嫌じゃないよ。アバンの書とか読めるようになってきたの嬉しいし。ポップの持ってきた本とか面白いし。ノヴァに手紙を書くのも楽しいし」
「おまえ、地の頭がいいからさ。アバン先生が作ってくれた基本的な学習の要綱もあと半年ぐらいで終わるし。で、そっからまた興味のあることがでてきたら、その分野の要綱を作ってもらおう」
そしてポップはまた書の世界に没入する。ダイはうつ伏せのポップの腰を枕にした。しかしポップは何も反応しない。
「ポップ」
「なぁんだよ」
「じゃあポップのやりたいことってなに?」
ダイはえいやとポップの背後から覆いかぶさる。やはりポップは特に気にせず書物をめくりながら答える。
「今はこれを読む」
「そうじゃなくて。ポップ、ずっとおれのことばっかじゃないか」
「そっか?」
ポップは顔を上げて予定をみる。自分の修行の日もある、だらだらと買い物の日もある、ダイに勉強を教える日もある、好きなようにだらだらやっている。いや、そういえば。
「やべ、カールから依頼されたものをもっていく日が入ってなかったな」
「そうじゃなくて。おれはポップがここにいるのは嬉しいよ。嬉しいけど、ポップなら宮廷に仕えるとかそういう仕事もあるんじゃないの?」
「いやぁ、オレを蹴落としたやつがオレといるのが嬉しいと言ってくれるなんてなぁ」
「なんだよ ポップだっておれのためにメガンテしただろ」
「あれは仕方なかったんだよぉ」
「おれも仕方なかったんだよぉ」
と、いつものやりとりをして二人揃ってへへへと笑う。きっと同じ状況になれば二人とも同じことをしてしまうのだろう。たとえどれほど相棒が怒り嘆いたとしても。しかたがない、これはきっとずっと譲れない。
「しっかし、オレが宮仕えねぇ」
「あったんだろ、そういう話も」
ダイの声の成分に不安が増していく。よっこいしょと言いながらポップは仰向けになるとダイを抱え込む。「おまえ でっかくなったな」と少し悔しそうに言いながらダイの頭をわしゃわしゃと撫でた。
「なぁに心配してやがんだ」
「おれ、なんの役にもたってないし、ポップはほんとはもっとみんなの役にたてるのに」
「おめぇがおめぇの実感できるかたちで役に立ってたら世界は大ピンチだろ。あぁ、でも洞窟やらなんやらの調査依頼の仕事、請ける回数を増やしていいか?」
「うん」
雨の音が大きくなる。雷鳴も響く。ダイは雨や雷鳴が好きだ。それはかつてポップと共に呼び寄せた力だから。
「オレはもともと真面目に仕えるってよりも、気楽に好きなことだけやりたい性分だしさ。おまえがこうしてオレの適当なやりたいことに付き合ってくれるの嬉しいけどな」
「ポップがおれに付き合ってくれてるんじゃないの?」
「もっかい聞くぞ。おめぇは何かしてぇこととか、やんなきゃいけないことがあるか?」
「……ない。……けど、おまえと勉強したり冒険したりするのは楽しい」
「じゃあ、オレはオレのやりたいことができてるよ」
やりたいことが見つからなくてもいい。誰かのやりたいことに応えなくてもいい。ただ、ダイが楽しく日常を過ごしてくれれば、ポップのやりたいことは叶っているのだ。
今日はもう雨が止みそうにない。雨が降ったらお休みと決め込んでいるポップは微睡みはじめた。平和になって以降、ポップの寝つきはなかなかのものだ。すぐに規則的な寝息をたてはじめる。
「もし雨を止めないでほしいって言えば、おまえは本当にそうしてくれるんだろ」
ポップの眠りを邪魔しないようにダイは小さく小さく呟く。
ここに眠るのは頼れる相棒にして人間界最強の魔法使い、いや、もはや人間界と限定しなくてもいいだろう。ダイの小さな願いも大きな望みも叶えてくれる最強の魔法使い。ダイが、ずっとこうしていたいと言えばそれもきっと。
それは願ってもいいことなのか、ダイにはわからない。ただ今はポップの規則正しい寝息と強くなる雨の音が心地いい。
だからダイはポップに倣って、ひとまず微睡むことにした。