やまと
砂波ヒナ@創作
DOODLE【社畜⭐︎魔法】🐵「いったい何徹目ですか!?」
何か描かねばと落書きったー!徹夜は大体ゼンさんから押し付けられた仕事と怒涛の敵との戦闘のせい😇
でもゼンさんその辺の調整上手いからそろそろヤバいなって時は強制就寝させる。
ともきからすれば押し付けんなって話なんだけど🤣
好きな子ほどいじめちゃうんだけど絶対それ間違ってるよなって(笑)
毎回やまとに「そんなんじゃダメッスよ」って言われる
や太郎
DOODLEオリジナル元気明るい後輩「大和(やまと)君」の様子がおかしい。
ヤンデレというか不安になりがちというか
こういうキャラを欲してたらまあまあ描いてました
細かいとこは気にせず温かい目で見てください
2024.2.23
3枚追加しました
・「創作エンディング集」という診断メーカーの結果からの絵2枚
・プロフィール1枚 16
tsukiko
DONE『ロトカ・ヴォルテラの愛堕討ち』HO1 極道者[大和地 武虎(やまとじ たけとら)]
ゆる広島弁のヤクザ。殴って勝ったもんが勝ち!の筋肉至上主義。強いもん、勝ったもんが場を支配するのが世の摂理だと思っている。おつむは弱い。 5
akari
DOODLEじんとおきつね🦊やまと雪。おきつねとゆき(2)「は〜つっかれた!」
ざくっとスコップを雪にさす。いや本当に疲れた。めずらしく降ったと思えばこのドカ雪である。おれが住んでいる場所は早めに除雪が入ったのもあってさほど影響がなかったのだが、もしやと思って寒い中重い腰をあげ、神社を訪れたところほぼ巨大なかまくらになっているようなありさまだった。
「迅、ありがとう!おかげですっきりした」
神社の中からおれの働きを見守っていた嵐山が頭を下げる。おれが雪かきをするのを見て「手伝うぞ!」とはりきっていたのはいいものの、子狐の姿じゃこの大雪の前では無力である。参道の雪に足を踏み出したとたんずぼっと腰まで埋まっていく嵐山を救出するのがおれの一番最初の仕事になった。
2700ざくっとスコップを雪にさす。いや本当に疲れた。めずらしく降ったと思えばこのドカ雪である。おれが住んでいる場所は早めに除雪が入ったのもあってさほど影響がなかったのだが、もしやと思って寒い中重い腰をあげ、神社を訪れたところほぼ巨大なかまくらになっているようなありさまだった。
「迅、ありがとう!おかげですっきりした」
神社の中からおれの働きを見守っていた嵐山が頭を下げる。おれが雪かきをするのを見て「手伝うぞ!」とはりきっていたのはいいものの、子狐の姿じゃこの大雪の前では無力である。参道の雪に足を踏み出したとたんずぼっと腰まで埋まっていく嵐山を救出するのがおれの一番最初の仕事になった。
unp_utaw
TRAINING笹原様から頂いたリク。ヴラエンで「私が抱きます」コメディ。ヤマトとウズールッシャ、停戦条約IF。
https://twitter.com/okyanyou3/status/1620331609508696071
#リプきたキャラで描く予定のない漫画の一コマ描く 1290
砂波ヒナ@創作
DONEやまと😆まだ元気な方の社畜🤣
いつもともきに愚痴ってるけど聞き流されてるよ!
世話焼きなので文句いいつつハリーのお世話しちゃう。
かっこいい人が好きで憧れがあるので、ゼンさんに懐いてるよ。
ともきからしたら理解できない。えっあの人のどこに尊敬できるところが?って思ってる
砂波ヒナ@創作
DONE【社畜⭐︎魔法】ハリーやまとの相棒兼上司。ゼンさんと同期かな🤔
表向きは事務的な場所にいるけど、常に寝てる。何だったら敵が現れても寝てて行かないもんだから負担が部下に(笑)
だらしないというかいつも眠いから服もちゃんと着てなくてやまとに世話焼かれてるよ。
Cloe03323776
TRAININGカイドウの女・ヤマトの母の話を捏造します。夢小説に近いと思いますが、ほぼオリジナルキャラ感。
どんな経緯でヤマトが生まれたのか、について。
姑獲鳥 生まれた時はそうでもなかった。
おそらく、二、三歳を過ぎた頃なのだろうか。
私が他の人とは違う成長をし始めたのは。
「気味が悪いねェ」
それ以外の言葉をかけられたことがない、というのは極端ではあるが。私の中ではその言葉が、自分の中でも当たり前になるぐらい、それしか言われてこなかったように思う。気味が悪い、とはどういう意味なのかを理解する頃には、それでもあまりに自分の心と体に馴染んでしまっているせいで、違和感はなかった。
私は気味が悪い存在だ。それを自分で自然と認めて、生きてきた。
さらに、私の両親はどんな人たちだったのだろう、と考えるぐらいには、両親と暮らす時間は短かった。私の気味の悪さに辟易とした彼らは、私が三歳ぐらいの頃に、私を鈴後の土地に捨ててしまっていた。
3175おそらく、二、三歳を過ぎた頃なのだろうか。
私が他の人とは違う成長をし始めたのは。
「気味が悪いねェ」
それ以外の言葉をかけられたことがない、というのは極端ではあるが。私の中ではその言葉が、自分の中でも当たり前になるぐらい、それしか言われてこなかったように思う。気味が悪い、とはどういう意味なのかを理解する頃には、それでもあまりに自分の心と体に馴染んでしまっているせいで、違和感はなかった。
私は気味が悪い存在だ。それを自分で自然と認めて、生きてきた。
さらに、私の両親はどんな人たちだったのだろう、と考えるぐらいには、両親と暮らす時間は短かった。私の気味の悪さに辟易とした彼らは、私が三歳ぐらいの頃に、私を鈴後の土地に捨ててしまっていた。