類司 花吐き病 好きな人を見て、吐き気がした。
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きっかけはなんだっただろう。
始めは覚えていないが、自覚は覚えている。
大人びた表情が何かを見て頬を赤く染める。
その横顔に、何か重たいものが心に落ちた。
ごろり。ずどん。どろどろ。
落ちた拍子にそれが割れて、半分甘いもの、半分苦いもので心を満たす。
最初は半々だったそれが、だんだん、だんだんと、類の甘く弾んだ声を聞く度に、苦くてたまらなくなった。
その、苦味が心から溢れた。
花となって、口から溢れた。
司は咳き込む。
心から。
喉から。
口から。
ごぽ。ごほ。と想いと花と、涙が溢れた。
止まることなく溢れたそれを類に見せることは絶対にできない。
仲間。友人。
そんな枠組みから外れたいと、特別な存在になりたいと願った自分を見せたくなかった。
類はきっと優しいから、悩ませてしまう。
ギスギスと関係にヒビが入れば。
距離を置かれてしまえば。
恋にうつつを抜かす、普通の人間だと思われれば。
期待を、されなくなってしまえば。
さあ、っと血の気が引いた。
嫌だ嫌だ嫌だ!!! そんなこと、絶対に嫌だ!
耐えられない!!!!
2度もあんな冷たい目で見られれば!
きっと、いや、絶対に、自分の中の何かが壊れる。
だから、花を飲み込んだ。
苦くて、苦しくて、嗚咽を零して形になった恋心を潰すように飲み込んだ。
溜めて溜めて溜めて。
全部、これからの未来の為。
例え、想いが溜まって詰まらせて死んでしまっても。
「……オレは、未来のスターだ。平気な演技は得意だろう。」
それすら本望だと、そんな未来を願う天馬司は歯で噛み砕いて、花と一緒に飲み込んだ。
血を流して、
涙を流して、
悲鳴をあげて、
そんな自分の本心には蓋をして隠してしまった。
花吐き病とは、片思いが原因でなる病気だと、担当医は言っていた。
「治すには両思い、か。」
司は脳内が絶望一色に染まった頭を抱えた。
多分、と言うより、100%、いや、12000%無理な解決法だった。
何せ、司は知っている。
想いの人が、自分を意識していないこと。
叶う事も、実る事もない恋をどうやって成就させるのか。
頭の良い人に聞きたいところだが、知り合いで頭が1番に良い人は想いの人、類である。
ぼかして本人に相談する事も出来るが、相手はその一番頭が良い人。
追加をすれば察しの良い人。
正直、嘘を貫き通す自信は珍しく司にはなかった。
「うぬぬ、だからと言って思いを忘れることも出来んだろう…。どうすればいいんだ……。」
深く深く根付いた自分の本当の思いを忘れた経験はあるが、類の顔を見る度に自覚する恋心を忘れられるほど、司はそんなに忘れん坊ではない。
ここ1週間ほど花を吐いていた口から、重たいため息が出た。
花を吐くだけならいいのだ。
花を吐く時は確かに苦しいが、恋心が胸を締め付けるあの苦しみよりはずっと楽だ。
嘔吐感で生み出される生理的な涙が心をほんの少しだけ軽くしてくれるから。
違ったのだ。
医者が言うには、この可愛らしく思える花吐き病には死人が出ているという恐ろしい一面を持っていた。
花を詰まらせて死んだり、咳をしすぎて呼吸困難に陥り死んでしまったり。
人によっては、自覚の度に咳き込む花吐き病に耐え切れずに自殺をしたり。
未来のスターを目指す司にとって、この花吐き病は支障をきたす、そんな病だった。
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それはそれは、もうすごく悩んだ。
あまり勉強事に動かない頭をフル活用して。
スターになりたい。
でも、この想いはバレたくない。
けれど、死にたくない。
でも、この想いに気付いて欲しい。
花と涙と弱音を何度も何度も吐き出した。
夢にも出たんだ。
類が、可愛らしい女の人とにこにこと笑って、
ふと見詰め合う。
2人から笑顔が消えて、幸せそうな、真剣な顔になる。
それから、2人の距離が徐々に縮まって、
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さいあくな夢だった。
息苦しさが目覚ましの寝起き。
涙を零して、天井を視界に映して、起き上がる。
ひゅー、ひゅー、と気管が狭まって、無理に息を通る呼吸音が部屋に静かに響いた。
次に目にしたのはベッドから零れ落ちそうな程の花びら。
ああ、本当に最悪だ。
スターならば、幸せを願わなければいけない。
友人ならば、不幸を願ってはいけない。
無様な嫉妬心で、類の幸せを願えない自分が腹が立つくらいに憎たらしかった。
何もしようとしないくせに。
花を死ぬ程吐くことしか出来ない
ただ、ただ。
類の後ろ姿を、背中を見て、花を吐くことしか出来ない。
ちっぽけな想いの癖に、こうやって目に見えてしまうと飛んでもなく気持ち悪い気がした。
好きな人を見て、吐き気がした。
そんな自分にも、吐き気がした。
花吐き病にかかる人は、みんなこんな想いをしているのか。
おかげさまでのんびりと続く眠気が生きてる早朝でも、眠気が息を潜めてしまった。
「珍しいね、司くん」
「………は?」
朝偶然にも会ったあいつの一言はよく分からなかった。
おはようのお、の字もなく、その唇の形もなく、類はオレの顔を凝視する。
「くま、できてる。規則正しい生活を心掛ける君には珍しい事だね。何かあったのかい?」
手を伸ばした類は目元に触れて、優しく撫でた。
責めることも、無理して吐き出させる事もしない優しさと心配が伝わり、思わず夢の事を告げてしまいそうになった。
が、口を閉じた。
花が、零れ落ちそうだった。
胃からせり上がるそれを感じて、口を閉じて、笑った。
いつものように、笑った。
「いや、良い脚本を思い付いたんだ! 少しメモ程度に書いていたら、思いの外止まらなくてな。類が気にする程ではないから、安心してくれ!」
天馬司らしい言葉。
天馬司らしい声。
天馬司らしい雰囲気。
天馬司らしい笑顔
そう! そう!!やれば出来る!
全て花吐き病を隠したお芝居を、勘のいい演出家へ演じた。
目の前の類も笑ってくれた。
心配の色もなく、笑ってくれた。
安心してくれた。
「そうかい? なら次の脚本も楽しみにしているよ。そうだ、話し合いも含めて今日のお昼一緒にしない?」
「あー…、いや、今日はすまん。四限に体育で、五限は移動教室だからな。話し合いならもう少しゆっくりした時がいいだろう。」
咄嗟に嘘を吐いた。
花も吐くし、言葉も吐く。
弱音も吐くし、嗚咽も。加えて嘘も吐けるようになったこの口は、案外バレないらしい。
「それもそうだね。なら、明日にしよう。」
だってほら、目の前の類は納得したように頷いた。