フィガロ様、と呼ばれていた頃から、そういえば好きだと言われた事はなかったように思う。
それもそうか、と思いはするけれど胸の内、閊えるものに恐る恐る目を向ければ、根を張るものはやはり寂寞だ。
畏怖や畏敬といったものを捧げられることには慣れたもので、あの子の眼差し、思慮と声にもそういったものは確かにあって。
けれど手元に置く内に、もっと柔らかく肌触りのよい心持ちを、触れやすいようにあたためて、そっと手のひらに乗せるみたいに差し出してくれたあのとき。
慎重に、零れ落ちてしまわないように、正しい分量を推し量りながら、ほんの少しずつ。
真面目で誠実で几帳面な性格はこんなところにも。そう思ったら愛しくて、嬉しくて。そんな自分のことまでおかしくなって、笑ってしまったのだけれど。
「きみのことを大切に思っているよ」
唇で触れる愛情表現、そんなもの一つ受けることにすら、粗相のないように、なんて余計な緊張感で身を強張らせるからなお愛しい。
「フィガロ様を、お慕いしています」
数え切れないほど聞いた。ときには視線を上げることもできずに消え入りそうな声で、かと思えば落ち着いて、そう在るのが自然なことだとでもいうように微笑みながら。
ああ、だけど、その意味はときには残酷なほどに曖昧だ。互いに想いを言葉にしても、重なり合っていない気がして肝心なところで埋められない。
「たった一言でいいんだよ」
眠る横顔、その頬をひと撫でして話しかけても、今はもう独り言にしかならなくて。
「いっそ寝言でもいいからさ、好きだって言ってくれたら、俺ももっと素直になれる気がするんだけど、」
ねえ、ファウスト、どう? なんて。
きみにとっても俺にとっても、しあわせな夢が叶うことを望んでいるだけなのに。
こんなふうに足掻いている胸の内を知られてしまったら、意気地なしって、きみをまた呆れさせてしまうのかな。