10月9日1
遠く、にぎやかな気配を感じて、ラウダは浅い夢から目覚めた。
以前母さんと住んでいたメゾネットの寝室とは違う、豪奢ながら子供部屋らしく明るい天井に一瞬たじろいた直後、
「熱は下がったか?ラウダ!」
と、数日前に兄として出会ったばかりグエルが、ドアを開けて勢いよく飛び込んできた。
「グエル、あまり大きな声を出すとラウダが驚くだろ」
後ろにいた父のヴィムに言われ、すでにラウダの枕元にいたグエルはあわてて自分の口を手でふさぐ。
「あ…、さっきお医者さんが、熱も下がったし、もうだいじょうぶ、だろう、って」
心配そうに覗き込むグエルを気遣って、ラウダはあわてて起き上がる。
グエルはベッドに身を乗り出して、ラウダのおでこに手を当てた。
「…本当か?まだ顔が赤いぞ?」
グエルは両手でラウダの両頬に触れ、顔を近付ける。
…うわ!
思わず顔を背けたラウダに対して、グエルは不思議そうに
「おでこで熱を測りたかったんだけど、嫌だったか?ごめんな」
「…嫌じゃない、けど、風邪だったら、うつるかも、だし…」
「俺、身体だけは丈夫なんだ!平気だよ」
「グエル」
ドアの側で執事の話を聞いていたヴィムがたしなめた。
「どうやらラウダは病気じゃないらしいが、来たばかりで疲れているんだ。休ませてあげなさい」
「でも、お土産が」
「父さん、僕は大丈夫です」
ラウダは、数日前に実の母と別れ、父であるヴィムに引き取られ、異母兄弟であるグエルに引き合わされて、とうとう知恵熱が出たのだった。
僕は大丈夫。楽しみにしてたんでしょ?と、ラウダはグエルとヴィムを外出に送り出し、今日一日療養していた。
会ったばかりなのにすっかり仲良くなった異母兄弟を内心微笑ましく思いながら、ヴィムは
「じゃあ、夕飯の時間までだ。あまり大声を出して興奮するとまた熱が出るから気を付けるんだぞ」
と言い残し、執事と共に部屋を出た。
「はい」
「はい!父さん」
ヴィムを見送ると、グエルは
「今日は残念だったな…。演習祭にラウダと行けなくて」
と言った。
ドミニコス基地演習祭は、元々モビルスーツ開発協議会に付属していた特殊部隊だったドミニコス隊が、カテドラルの直轄部隊になった日を記念して、今回はじめて開催された。
モビルスーツ開発協議会の所属企業への展示演習が目玉で、もちろんグエルの目的もそれだった。
「父さんは『デスルターや新型のディランザの方が強いんだ』とくやしそうだったけど、ベギルベウ・トルシュの動きが本当にすごくて!ケナンジ小隊とリドリック小隊の模擬演習が!!」
いかに小隊同士の演習が肉薄して素晴らしかったか、ケナンジ隊長の華やかな操縦技術は有名だが、今回初めて見たリドリック隊長の操縦と防御がいかに無駄無く完璧だったかを身振り手振りで力説するグエルを、ラウダはにこにこと見つめていた。
「あ、ごめん…。つい興奮して…つまらないか?」
「ううん兄さん。兄さんが楽しそうで僕もうれしいよ。来年は、僕も演習祭に行きたいな」
「もちろんだ!一緒に行こう!そうだこれ、ラウダにお土産!」
剣を持つ人物が描かれたドミニコス隊部隊章を形どった大ぶりなバッジに、ケナンジ・アベリー隊長のサインが書かれていた。
「父さんがもらってくれたんだ」
「えっ?…兄さんの分は?」
「俺は隊長ふたりと握手してもらったから、いいの!」
本当はリドリック隊長のサインも欲しかったのだが、丁重に断られてしまった。
グエルはラウダの耳元に顔を寄せて
「ラウダにだけ教えるけど、俺、大きくなったら絶対にドミニコス隊に入って、エースパイロットになるんだ!」
と囁いた。
惜しげもなく尊敬する隊長の記念の品をくれる腹違いの兄に感動して、ラウダは思わず
「僕、兄さんがドミニコス隊に入れるよう、ずっと支えるよ!」
と言った。
「ほら、グエル、あまり興奮するとラウダが疲れるだろ。ラウダ、粥なら食べられるか?」
ヴィムが、お粥が入った皿と水が入ったグラスと、薬をのせたトレーを持って部屋に入って来た。
「すみません父さん」
「はい。食べられます」
クスクスと笑いあう息子ふたりの頭を撫でて、ヴィムはベッドの横に椅子を寄せて座った。
「なあラウダ」
「なあに兄さん?」
「…さっきの話、ふたりだけの秘密だぞ」
「うん」
「おい何だ内緒話か?父さんにも教えろよ」
「だめだ!ラウダ、父さんには内緒な!」
いつもは静かなジェターク邸に、今夜はにぎやかな笑い声が夜遅くまで響いていた。
2
リドリック・クルーヘルは、直属の部下のガロからの、ケナンジ小隊と合同の打ち上げの誘いを断って、ドミニコス隊宿舎の自室に戻っていた。最近ずっと地球の隊駐屯地の整備工場か復興地域での野宿が続いていたので、宿舎の硬いベッドでも横になれるだけ有難いとも言えるのだが、基地演習祭という名目で、お偉いさん相手の見せ物のためだけに宇宙に呼び戻され、明日には地球にとんぼ返りで家には帰れず家族とも逢えない現状で、同僚達と酒に逃げるのも何だか腹立たしかった。
ベギルベウの整備をひと通り終えると深夜も近かったが、端末に入っていた着信は15分前だ。リドリックは駄目元で返信してみる。
「起きてたか?パパだ」
端末の向こう側には、目をこすりながら「ぱぱ?」とつぶやく愛しいあの子が映っていた。
「そうだ、演習の映像を見たか?」
開催が発表されてから注目を集めていた演習祭の入場券は、気が付くとプラチナチケットになっていて、隊員の家族ですら入手は難しくなり、せめてもと事務方の同期に頼んで録画してもらった映像を、演習直後に息子へ転送したのだった。
「うん!かっこよかった!僕、父さんのベギルベウがすぐわかったよ!あの瞬間、壁から出てケナンジさんを撃ったでしょ?」
と言った機体は、まさしくリドリックのベギルベウだった。
さすが我が息子、素晴らしい動体視力だな…。と自画自賛しながら
「すごいな!正解だ!!」
と、少し大袈裟にほめると、息子は
「あのね、以前見せてもらった演習の映像を覚えてたんだ。
僕、パパの操縦するMSなら、機種が何でも多分すぐわかるよ」
と、うれしそうにはにかんだ。
「パパが来年は絶対チケットを送るから見においで。同じ年頃の男の子も見に来ていたから、きっと友達になれるだろう」
「うん!絶対行く!
…あのね、僕、大きくなったら、父さんみたいなパイロットになりたいんだ!」
きらきらと目を輝かせて太陽のように笑う息子を見ていると目頭が熱くなり、リドリックは
「そうか…パパ、嬉しいよ」
と、言うのがやっとだった。