酔っ払った勢いで岐神さんを押し倒し汰郎くなとさァん、聞いてますか…?と呂律がおかしい癖に妙に熱っぽい甘えた声が耳を掠める。思わず出そうになった声を殺してのし掛かる相手の胸板を押した手は自分でもわかるくらいに強ばっていた。
「おい、その辺でふざけるのはやめにしろ。帰るぞ」
「嫌です。帰っちゃ嫌です」
稲汰郎は駄々っ子の様に頬を膨らませて目を合わせてきた――が焦点が甘い。言葉使いも何時もより子供っぽくなっている。呑みすぎだとため息を吐く。
「だって嬉しいんです。くなとさんいつも断るから。だから俺…今日は…」
稲汰郎の家に訪れるのは今日が初めてだ。
何度か誘われた事はあるのだが、なんとなく構えて断っていた。けれど流石に三度も誘われると――しかも捨て犬みたいに悲しい顔で誘われると――罪悪感で少しなら、と返事を返した。
「やったー!!」
と叫んだ稲汰郎は、こちらの手を握り無理矢理小指を絡ませてきてぶんぶん降りながら、指切りしましたからね!と真剣に言ってくるので思わず笑ってしまった。稲汰郎が一拍遅れて照れたように笑って、それがとても印象に残っている。
約束当日である今日、同じ職場を出てそのまま一緒に向かうのは気恥ずかしいからとわざと時間をずらして向かった。緊張しながらドアを開ければ満面の笑顔で迎えてくれて、そのままだらだらと酒を呑み、日の変わる前には…と声を掛けた瞬間、押し倒されていて今に至る。
「だから一大決心してこうして押し倒してるんです!」
意味がわからない。なんで一大決心で押し倒すんだ。浮かんだ疑問はすぐに解消された。
「俺、岐神さんが好きです。だから押し倒してるしキスしたいし色々したいんです!」
潤んだ瞳で真っ直ぐ過ぎるほど見つめられて真剣に答えられる。
「……随分急だな」
渇いた喉を開いて何とか上司ぶった声を出してみた。
「急じゃないですよ!気づいて無かったんですか?だとしたら酷い人ですね…」
稲汰郎は眉根を寄せて、こちらの掌に掌を重ねてくる。何と返していいのか分からない。本当に?いつから?どこが?浮かぶ言葉は沢山ある。けれどそれは全部確認事項な事に気がついて顔が熱い。目眩がしてきた。
「あーーわかりました!じゃあさっさと振って下さい!振られるまで好きにします!」
「ン……ふ、ぁッ…」
沈黙に焦れたらしい。首筋に熱い唇と舌を這わされ上擦った呼吸が耳朶に吹き込まれる。思わず身を捩って抵抗しようとしたが、両手をしっかり握り込まれて動けなかった。
「振るなんて言って…ア…ッない、だろ…」
「え」
「振らないから……止めろ」
唾液にまみれた唇をぽかんと開けたまま、こちらを見てくる。もう一度同じ言葉を掛けると急に真っ赤になってあれ、えっ?と狼狽え出してちょっと面白くなってきた。上がった息を整えながらなるべく不敵な顔を作ってやる。
「岐神さん、それって……」
「だから離せ」
「そんなの………離せる訳ありません!!」
「おい…!」
思いきり抱きついてきた稲汰郎の重みを受けて、何度も何度も唇を重ねられて酷く苦しいのに悔しい事に全く振りほどく気持ちになれなかった。