ユキ♂モモ♀オレは割と、怖いもの知らずと評されることが多い。
確かに、一般的に「怖い」と言われるものは、オレにとってそんなに怖くはない。例えばどんなバラエティ番組のでもアイドルのイメージを損なうものだって面白ければOK!と思って引き受ける。大抵のガラの悪いお兄さんたちとはコミュニケーションでなんとかする自信があるし(それは体を張ったコミュニケーションであってもだ)、虫や生き物だって怯える対象ではないし、心霊現象だとか幽霊とだって昔住んでたボロアパートでは仲良くやっていた。
もしひとつだけオレに「怖いもの」があるとしたら、を考えてみる。すると、ひとつの光景が見えてくる。
明るい秋の静かな午後。晴れやかな光が指す庭を携えた教会に入ると、世にも美しい花婿が立っている。純白のタキシードで正装を着こなした殿上人のような彼はオレに振り返ってひとつ、覚悟をするみたいに息を吸う。そして一言、とろけるような笑顔でオレに言葉をつける。「モモ、今までありがとう」そうして、世界一美しい花婿は、世界一幸せな花嫁をさらに幸せにしようと、客席にオレを残して赤い絨毯をひとり進むのだ。
そこまで妄想して、オレは身震いをした。それは、本当はこの世で一番幸せな光景のはずだ。けれどオレは、その場面を見ることを恐れている。自分が、世界一寂しい人間になることを。
*
病院って少し苦手だ。超健康だから基本的に年イチの健康診断でしか訪れないし、定期的に訪れるときは人生において中々に辛い、心が蝕まれるタイミングばかりだった。そのいちは、サッカーの選手生命を絶たれるほどの大怪我のとき。そのに、五周年ライブの前に声が出なくなったとき。今回は、そのさんになりませんように、と結果待ちの待合室で、ぼんやり思う。付添に来ていたおかりんは電話をしに席を外しているし、部屋には患者どころかスタッフひとりいない。急患で訪れた深夜の病院はシンとしていて、少し心細くなった。
気を紛らわせたくてソファの横に置いてある雑誌に手を伸ばすと、嫌でも自分の手のひらと腕が目に入る。それでさらに少しだけ心が不安定になる。細くて、やわらかそうな華奢な腕と手だ。それ以上見たくなくて、ラックから手を引っ込める。
待ちぼうけでていると、奥の裏口の方から、バタバタと音が聞こえた。2人分の足音が、こちらに向かってくる。
「モモ……ッ!」
「ちょっと!千くん!静かに!」
ユキが(彼なりの)全速力と渾身の声で俺を呼びながら走ってきた。後ろでおかりんがささやき声で止めている。夜の病院だから気を使ってのことだろうけれど、おかりんの小声も響く程静まり返っているから逆効果だ。二人とも後で怒られそう。
ソファまでやってくると息を整えながら、ユキは驚いた表情をした。オレを二度くらいまじまじと見る。
「え?瑠璃さん?髪切った?」
「あぁ?」
「あ、モモだ、声低っ。あ、うそだよ。えーっと、大丈夫?心配した。どこも痛くない?具合は?」
「う、うん……」
ユキが確認するみたいにオレの腕を掴んで、体を点検するみたいに色々な場所をさわる。ちょっと、今は、ものすっごく、気まずい。ユキに極力触れられたくないし、近づきたくなかった。
「怪我してないか?」
「ゆ、ゆき……大丈夫だから……」
「うん」
「やめて……」
「うん」
「あの……恥ずかしいから……」
「うん」
「やめってってば!」
「は?恥ずかしがってる場合じゃないだろ?こんなことになってるんだ」
こんなこと。そう、大それたことだ。
オレの体は、女になっている。
世の中の飲み会には楽しい飲み会と、まあちょいギリ楽しいかな〜?っていう飲み会の二種類がある。今夜は後者だった。友達の芸人のその知り合いが主催する雑多なメンツの飲み会で、テレビ局関係者、芸能関係者、芸人、俳優、アイドル、インフルエンサー……芸能界の毒を煮詰めたようなメンバーが、これまた怪しい内側に錠がデカデカと着いているタイプのクラブを貸し切って集まっていた。オレは知り合いだけに声をかけて早々と退場しようと決めていた。
けど、隅っこの方で困っている子が目に入った。新しくデビューしたばかりのアイドルの子で、マネージャーに無理やり連れて来られたみたいだった。他の事務所のディレクターに絡まれて、酒を強要されている。
別に、特別なことじゃない。オレがすることはとても自然で、困っている人達がいればその場をスムーズにできればいいな、くらいの気持ちだ。だからその子が無理やり勧められていたカクテルをさり気なく自分のオレンジジュースと入れ替えるくらい、特別でもなんでもない。
それを一口飲んで、ディレクターに「Re:valeとも仲良くしてよねっ」て愛想を振りまいてからその場を辞した。体が熱いな〜さっきのカクテル、睡眠薬入ってたのかにゃ?って気づいたのはクラブを出たところで、その後すぐに意識が朦朧とした。もっとやばい何かだったのかもしれない。力を振り絞っておかりんに電話をして、急いで車を出してもらって病院に駆け込んだ。すると、車の中でどんどん体が変化していった。ハスキーな自分の声がだんだん高くなってくし、体も縮んで華奢になっていく。その体験は中々ホラーで、深夜の急患を受け入れている病院につく頃には完全に女になっていた。その異次元な状況に反して診察はスムーズで、お医者さんはテレビで見慣れてるだろうオレが女になっていることに特段驚きもせず、淡々と診てくれた。
経緯を順を追って話すたびに、ユキの表情はどんどんこわばっていった。こんなに表情が豊かなイケメンって中々いないよね、よその人はあまり差分を読み取ってくれないけど。って、別のことに意識をそらす。でないと、ユキとおかりんに怒られる未来しか見えないから、ちょっとした現実逃避だ。
「…………モモ」
呆れられたって声でユキは息をついた。
「悪かったなあ、と思うよ。でも、ユキに迷惑かけるつもりはなかったんだよ。結果迷惑かけちゃったけど……」
「違う、そういうこと言ってるんじゃない。危ないめに合うな。もうその飲み会、出禁」
「そうですよ、モモくん。内側に南京錠がついたクラブには行っちゃだめ」
「はあ!?そんな怪しいところに出入りしてたのか!?もう飲み会自体禁止」
「それは無茶だよ!」
叱られるのは分かってた。だから、おかりんだけに連絡したのに。おかりんは裏切り者だからオレが血液やら唾液やらの検査をしている間、ユキに連絡をしてしまった。しかも最悪なことにユキは夜も深い時間なのに電話に出た。明日は雷か大雨かもしれない、くらいの異常事態だ。しかもわざわざ寝巻きから着替えて車でここまでやって来るなんて、天変地異の前触れかと思うほどだった。オレとしてはそれが最悪の天変地異だ。ユキに迷惑かけるつもりはなかったのに……。
言い合いに近いお説教を受けていると、「春原さん」と診察してくれた先生がやってきた。診察室へ促されることもなく待合室でそのまま、先生はあっけらかんと「すぐ治るよ」と言った。
「血液検査の結果は明日だけど、今日はもう帰って大丈夫ですよ。口径検査で出た簡易結果は案の定ホルモンをいじる薬でした。その薬、最近流行ってるんですよ。体に害はないけど気軽に性転換して遊べるからって社交場で乱用されてるみたいで、警察も困ってるんだって。春原さんも運が悪かったのかもね。でも、三日もすれば自然と治るから、様子見てくださいね。念の為、経過みたいので明日もう一度来てください」
拍子抜けだった。こんなに体が変わってるのに?三日で戻るなんて信じられなかった。しかもこんなやばい薬が流行ってるって、大丈夫?
ユキとおかりんはホッとした表情を見せて、帰り支度をしている。先生も当直室に戻ってしまい、警備のスタッフに裏口へ案内される。本当に、あっさり帰されてしまった。
おかりんは社用車を事務所に置いてから帰るそうで、そっちに乗せてもらおうとすると、二人にものすごい形相をされた。
「帰りはユキくんになんとかしてもらってください。モモくんはしっかり反省して、明日の病院までに仲直りしてくださいね!スケジュールは影響ないのを優先して調整しておきます」
ではお疲れ様でした!と颯爽とおかりんは病院を後にした。思いの外クールだ。モモちゃん、ちょっとショック。
隣に立っているユキの様子を伺うと、まだまだ全然不機嫌そうだった。こちらを見ようともしないで「ホラ、帰るぞ」とぶっきらぼうな仕草で車に促される。
「あっちの駐車場に停めたから」
「う、うん……」
「帰ったらお説教の続きをするからな」
「えっオレんち帰るよ?」
「帰らせるわけないだろ。これ以上変なことさせないからな、夜通し見張ってやる」
すぐ寝ちゃうじゃん!って突っ込んだら怒られるんだろうなあ。おかりんからも「ユキくんからしっかりお説教受けてください」て釘を差された。けれど、このままの体と気持ちでユキの家に帰るのは落ち着かなかった。今までと違う体ってものすごい違和感を感じるのだ。小さく華奢なったお陰で洋服も隙間からスースーし、思い通りの位置に手足が伸びない。混乱する状況で、ちょっと一人で落ち着いて、気持ちの整理をしたいし仕事の対応も考えたい。もちろん、ユキに対しての態度だって今まだ決めかねている。だって、体が女なんだよ!?
まごまごしていたら、有無を言わせない態度で病棟から離れた駐車場まで連れられて車に押し込まれた。入院する人しか近くの駐車場に停められなかったらしい。こんな面倒くさい距離をユキが走って息を切らして駆けつけてくれたことに、胸が苦しくなる。嬉しい。けど、迷惑をかけたいわけじゃない。
「あ、あの……ユキ、ありがとう」
「別に」
運転席に向かって声をかけても、ユキは顔も合わせようともせずに頑なだった。それ以上掛ける言葉が見つからない。そもそも、無茶をしたのはオレだし、だからこそユキには大丈夫って言いたいのに。
「……なんで僕にすぐ連絡しなかった?」
イライラした言い方だったけれど、優しい言葉だった。確かに、すぐに呼んだのはおかりんだったし、それは合理的な判断だったと我ながら良い采配だった思う。思うけど、この人もしかして、自分がすぐに呼ばれなかったことに対して怒ってる?
「え。ユキ、もしかして、拗ねてる?」
「へえ、僕は怒ってるのに拗ねてるように見えるのか。残念、違うよ。めちゃくちゃに怒ってます」
「怒ってますってそんなアピールする必要なくない〜?」
「怒ってます。もう良いから、さっさと帰ろう。眠いし、お説教も足りない」
眠気が隠しきれてない言い方で可愛かった。ユキと一緒にいれたら良いな、とも思うけど、でも体が慣れてなくて、感覚の違和感がすごい。肌に触れる洋服の感覚がいつもと違うのだ。
「う……でも、オレ、買い物したい……」
「コンビニ寄る?」
「あるかわかんない……。ブラとパンツ、欲しい……。なんか動くと揺れるし、ちょっと居座りが悪いっていうか……」
パッパーッ
ユキが盛大に頭をハンドルにぶつけた。その反動で大きなクラクションが無人の駐車場に響き渡る。
「ちょ!ユキっ!深夜!」
「あ……はい。……うん」
何事もなかったような顔でユキは冷静に「この時間で開いてる服屋ってさすがにないよね」て車を発進させた。公道へ出て、車は明確に、ユキんちの方向に向かっている。
「うう〜……じゃあ姉ちゃんちに服借りに行くから、一旦モモちゃんちに返して……」
「なら、明日朝イチで服買いに行けばいいじゃない。姉弟だからって下着をシェアするのは浮気。今日は僕のパジャマで我慢しな」
「……はい」
「素直でよろしい」
深夜の道は空いていて、スルスルと車は進む。しばらく無言のままで運転してたユキが、ぽつりと言った。
「それに、体調だって心配だ。いくら先生が大丈夫って言ったて、急に具合が悪くなることもあるだろ。誰かそばにいないとだし、それなら誰かじゃなくて僕がいるべきだろ」
「……ん、ありがとう」
「別に、当たり前だろ。恋人なんだから」
満足そうにうなずかれた。
そう、オレたちは、恋人なのだ。三日前から。