眠れない夜の話夜の空は思ったよりも明るい。
月も星も良く視える。
久しぶりのベッドはあまり寝心地が良くなかったようで、ふいに目が覚めた。
起き上がりぼんやりと窓から外を眺める。
小さな溜息が漏れる。
我ながらその溜息に女々しいなと感じた。
世界のためなら例え人々に後ろ指を刺されても、罵られても平気だと思っていたが。
存外に好意を寄せている相手からの嫌悪にはさすがに堪えるようだ。
ふと相手の顔を思い浮かべる。
この間少しだけ手助けした時に随分と怒られたものだと。
「手出すなよ」
パチンと手を払わられた。
その時に叩かれた感覚が手の甲に過ぎる。
手甲をしているのでどちらかといえば叩いた相手の方が痛かったのでは?と心配した。
その想い人に自分がした悪逆非道とも言える仕打ち。
彼の大切な人を殺した。
助けられなかった事は殺したも同義だろう。
自身の命の炎を消してしまうような酷い悲しみから復活した彼の身を案じるが、そんな資格はない。
一人部屋にいると良くない方向へ考えがループしてしまう。明日にはまた慣れた土地から離れ戦場に出るのだ。
思考を切り替える為と、眠る為にもアークは軽い運動がてら、外の空気を吸いに部屋を出た。
夜の石造りの神殿は音がよく響く。
なるべく気をつけては歩くが、静寂が際立っているせいで自分の足音がうるさい。
今日みたく眠れない夜に散歩をしていたら、厄介な相手に見つかってしまいそのまま酒盛りの席に座らされた事もある。未成年なので呑みはしないものの、随分と絡まれたものだ。
だが、それは仲間の優しさなのだとアークは知っている。
あくまでも普通に、何に悩んでいてもいつも通りに振る舞ってくれる心遣いがとても嬉しい。
しかし今日はその相手もいないようだ。
もうすぐ夏も近いというのに夜の風は少しだけ冷たい。
変に頭が冴えてくる。
ずっと休まずに駆けた怒涛の日々を過ごしていたアークの睡眠はいつも気絶のようなものだ。
目を閉じたと思ったら次に目を開ける時にはもう朝である事が多い。
二度寝を決め込んでみたいがそんな暇はない。
ほんの数年前の学生時代が懐かしく思える。
水場に行き少しだけ喉を潤す。
飲み慣れた土地の水がすっと身体に溶け込む。
そして岸壁までと身体を動かす。
岸壁に停泊しているシルバーノアが月明かりに照らされている。
白銀の装甲が美しい。
しかしこの機体には沢山の憎しみが染み付いている。
戦艦をゆっくり眺められる場所で近くにあった石場に腰を掛けた。
夜風が頬を通り過ぎる。
その時わずかだが匂いがした。
炎の匂い。
ハッと息を飲みそうになるが、気付かないフリをする。
彼も眠れずに来たのか。
「夜更かしするんだ」
「エルク」
初めて声がしてからその方向へ振り向く。
昼間の格好とは違い、タンクトップと緩めのズボン姿の想い人が立っていた。
「…起こしたか?」
「べーつに」
少し離れた樹に背をあずけているようだ。
隣に、と誘おうとするがその言葉は飲み込んだ。
艦を降りてから彼と言葉を交わしたのは全て作戦の話ばかりで、勇者という鎧を外して彼と向き合うのはほぼ初めて。
何を話せばいいのか。
いや、何も話さないのが正解なのか。
それとも立ち去るべきなのか。
いざ素の自分になると何をすれば正解に近いのかよくわからないものだ、と心の中で自嘲した。
エルクも佇んだままで特に会話があるわけでもない。
起こしてしまったなら申し訳ないなぁ…とアークは立ち上がり再び部屋へ戻ることにした。
「部屋に帰るよ」
「そうかい」
君はどうする?いや、どうせ答えはうるさいとしか返ってこないかもしれないと思いまた言葉は飲み込んだ。
そんな短い言葉でも彼の声を聞くと少しだけアークの心に火が灯る。
彼がこれからの世界を駆けていく若い力だと一つの道標のように感じるからだ。
それを恋だとか愛だとかそんな言葉で片付けるのも何か違う。
だからといってこれ以上彼の印象を悪くするのも嫌だとアークは秘かに思う。
何も言わずエルクの前を立ち去る。
するとエルクもそれに伴うようにアークの後ろを歩く。
不思議に思いつつも来た道をまた歩いて帰る。
後ろに炎の気配を感じつつ神殿の中を歩く。
一定の距離を保ってお互いに無言で。
ふとアークは気が付いた事があり、足を止めた。
すると彼も足を止める。
「エルク」
「何」
「君の部屋は方向が…」
そう言うと彼の顔が少しむっとしたように顔を顰めた。
なんだかまた質問をしくじってしまったかと残念な気持ちになる。
「けっ、じゃあな」
くるりときびつを返し彼の背中を見送った。
何も声をかけなければ部屋の前まで一緒だったかもしれない、勿体無い事をしてしまった。
背中にあった暖かさを消えてしまい、アークは一人自室に帰っていく。
その途中にあっと気付く。
お礼を言えば良かった。ここまでわざわざ足を運んでくれたのに。
「バカだなぁ…俺は」
当たり前だが振り返ってもそこに彼の姿はもうない。
きっとまた彼の心が自分から去ってしまったかもしれない。自室に戻り寝付けないがベッドに身体を預ける。
主人がいない間にベッドはすっかり冷え切っていた。
その冷たさが心地が良かった。
「おやすみ…エルク」
届かない言葉が夜に消える。
もう少しだけ君と話ができる日が来るといいな…とアークは眠りについた。