久々の共闘あるいは素直になるのは苦手だという話**
「で。どうして自分がそんなことに関わらないといけないんですか」
「あなただって嫌でしょう。きな臭いのは。わたくしはあくまでも、自身に降り注ぐ火の粉を振り払うつもりで提案しているのです」
茨は、真剣な表情でこちらを見つめている男を横目で睨みつけた。
本当にたまったものではない。どうして彼に協力しなくてはいけないのか。……話は今から二時間前に遡る。
***
その日、茨は珍しくも伏見弓弦からの連絡を頂戴していた。彼からの連絡なんて、記憶にある限り一度もない……。いや、SSの本番前。彼の主人が行方不明になったときに、呼び出されたことがあったっけ。
(まあ、応じずにいたら空き部屋に引きずり込まれたんですが)
本当にあのときは酷い目に遭った。手加減というものを知らない件の男はぎりぎりと茨を締め付けて、彼の愛する主人の居場所を吐かせようとしたものだから。
ふーっと息を吐いて首を振る。今はそんな昔のことはどうでもいい。ただ、それ以来自発的には連絡を寄越してきたことのない弓弦から、何らかの連絡が来たということで。
茨はメッセージを確認してため息をつく。どうせ、『坊ちゃま』のことだろうとは思ってたけれど、文面にはそうは書いていない。ただ、『茨。お願いがあります。あなたにしか頼めないことなのです』と。そう書いてある。
……嫌な予感しかしない。弓弦が有能であることは認めざるを得ない事実であるので、そんな弓弦が誰かを頼らなければならない状況なんて、絶対面倒に違いない。それに他でもない茨の手を借りたいことなんて、背に腹は代えられないのっぴきならない状況なのだろう。茨を頼ってまで解決を望むなんて、ますます桃李関連でしかない気がしてきた。
もう一度メッセージを開いてちゃんと文面に目を通した。どうやら、その『お願い』とやらについて相談したいので、十六時半頃に共有スペースに来いということらしい。
……正直に言って行きたくない。絶対面倒なことでしかないからだ。けれど、これが本当に桃李関係だった場合、SSみたいにどこかで奇襲に遭うのもごめんである。わずかの間思案して、茨は仕方なしに彼の指定する場所に向かったのだった。
***
そうして、時間は冒頭へと戻る。
「『自身に降り注ぐ火の粉を』って、よく言いますね。あんたじゃなくて姫宮氏でしょうが」
「坊ちゃまに降りかかる災難は、わたくしに降りかかる災難も同然でしょう」
平然とそう言ってのける目の前の男に頭が痛くなる。
「百歩譲ってあんたたちに災難があろうが、自分には全く関係ないですけどねぇ? 自分が協力することで得られるメリットを提示してもらいたいものです」
「もちろんご用意しておりますよ。さすがのわたくしでも、あなたに無償労働を強いたりはいたしません」
彼はにっこりと笑って、自身の席の隣に置いていた封筒から書類を取り出した。
「……これは?」
「Atlantisで商売を行なう権利についての契約書です」
「は!?」
茨は驚いて、渡された書類を机にぶちまけた。
Atlantis。それは弓弦の愛する主人、姫宮桃李が任されていた企画のはずだが。あの絶妙に手の出せない土地を活用するため、英智の策略で立てられた遊園地。
(そりゃ、そこに噛ませていただけるのはありがたいですが……)
もう一度目の前の机にぶちまけてしまった書類を手にする。確かにそこには弓弦に言われた通りの事柄が記されていた。
「姫宮氏ご本人にはご相談されたんですか?」
「もちろんでございます」
「……よく了承していただけましたねえ」
書類から顔を上げて弓弦の方を見れば、にっこりと微笑んだ顔をしている男がそこにいた。
……仕方ない。話を聞いてやるくらいは価値があるでしょう。まだ書類の隅々まで目を通せたわけではないけれど、サインをするかどうかは話を聞いた後で決めてやってもいいわけだから。
はぁ、とため息をついて口を開いた。
「それで。協力してほしい内容とは?」
「おや。力を貸してくださるんですか?」
「……そんなもの持ってこられては、こちらとしても誠意を見せないと」
まだ、協力すると決めたわけではないですけどね。内心舌を出して、相手に話を促す。聞かないことには始まらないから仕方なくだ。
「さすがでございます」
弓弦はそう言ってにこりと微笑んだ。
***
「一週間後、坊ちゃまが任されることになった事業関連でパーティーを開くことになったのです」
「あぁ、つい先ほどあんたが持ち出したAtlantisですか。……そもそもそれ以前に、どうやら夢ノ咲のほうは何かとごたついていたようですけれど、そちらは大丈夫なんですか?」
「……それはあらかた解決したから良いのです。……そう、そこなんですよ。解決した矢先にどうやら坊ちゃまがせっかくここまで成し遂げられた計画が、完遂しては問題のある輩がいるようで」
「輩て」
愛する主人のことになると熱を上げて話し出す目の前の男にドン引きしながら睨みつけるが、彼は茨のことなんて目に入っていないようだ。
「それを秘密裏に葬り去りたいと、そういうわけなのですけれど」
「なにが、『そういうわけなのですけれど』ですか? あんた、自分に手を汚させるおつもりで? 日本は法治国家だったはずですが」
頬杖をついて、真面目な調子で本気か冗談かわからないことを言う男を真正面から見つめる。いくらなんでも冗談、冗談だと思いたいのだが。
「あなただって、すこし前まではDouble Faceなどとよからぬ企てをしていたじゃありませんか」
「ちょくせつ命を奪ったことはありませんよ、まだ」
「まあ、わたくしだって人の血が流れておりますから、いくら茨といってもそんなことをさせようなどとは言い出しませんが」
……実行させるつもりはなかったとはいえ、『口には』出していたと思うのだが。ただ、それを突っ込んでもお小言が十倍になって帰ってくるだけだろうから、反論は飲み込んだ。
「……冗談がわかりにくいんですよ。で? そもそもが、その『姫宮氏の計画を邪魔しようとする輩』は何をする予定なんですか?」
「どうやらそのパーティーで坊ちゃまを別室に誘拐し脅して言うことを聞かせようとしているようですね」
妙に具体性のある情報だ。そこまで詳しくわかっているのなら、わざわざ茨に頼まずとも弓弦たちだけでなんとかできそうではないだろうか。
それにそんなにもこちらに情報が筒抜け、だなんて。わざと偽の情報を掴まされている可能性はないのだろうか。
「……信用に足る情報なんでしょうね」
「安心してくださいまし。あなたが覚えているかはわかりませんが、今は花屋を経営しているあの方からの情報ですので」
茨は顔をしかめた。なんであの男とまだ繋がっているんだか。
『あの』花屋の男は茨や弓弦が一時期を過ごした民間軍事会社にいた男だが、今はその世界から退いて花を売って生計を立てているらしい。茨も人のことを言えないが、人生というのはわからないものである。あんな血で血を洗うような世界にいた人間が今や夢や花を売っているなんて。
だが、その花屋の男の為人を知っている。知っているこそ、信用に足るというのは事実なのだが。
「はぁ……、まあ……認めたくはないですが、それならいいでしょう。……それで? 結局どうやって阻止しようって寸法なんですか?」
「おや。わたくしが立てた計画で踊ってくださるんですか?」
わざとらしく目の前の男は目を丸くして見せた。その一挙手一投足が癇に障る。
「……あんたのほうが詳しいでしょう、そういった事柄に関しては」
茨もパーティーと名のつくものに出たことはある。彼が強引に引き継がされた潰れかけた会社たちのせいだが、『他企業の経営者の皆々様方』と親交を深めるという名目で。けれど、それとこれとはすこし様相が違うだろうから。
「今回、坊ちゃまが参加されるのはいつものパーティーというよりは、茨が普段参加されているような経営者の集まり、というほうが近しいのではないかと思います」
「それで、自分に白羽の矢が立ったというわけですか?」
「そうですね、そういった側面もあります」
側面『も』らしい。最近は自分が計画しそれに従って動くことの方が圧倒的に多かったから、他人の指示で動くことはあまり好ましくない。なにせ、計画が不透明で見通しが悪いからこそ、不測の事態が起こったときに動きづらいからだ。
だが、全容を把握していないのに計画を立てることを申し出るほど愚かでもなかった。
「そもそも、姫宮氏が狙われているとわかっているのなら、ボディーガードを雇えばよい話では? 姫宮家にそんな力がないわけないでしょうし」
そこまで言うと今度は弓弦がこちらを一瞬睨む。けれどもすぐ貼り付けたような笑みになってこう続ける。
「もちろん、坊ちゃまにボディーガードをお付けしております。ですが、……信用ならないことがありましたから? そんなに人数も増やせないんですよね。ほら、一昨年の春のことでしたか、どこぞの族が姫宮の警備会社にスパイを送りこんでよからぬことを企む、なんてことが」
「おや! そんなことが? それは恐ろしい! そこまで身内を信じられないなんて可哀想ですね」
茨の返しが気に入らなかったのか弓弦は眉を寄せた。
「まあ、茶番はこのくらいにして。そもそも茨であれば、そのパーティーで自然な形でターゲットを坊ちゃまから遠ざけることができますでしょう。恐らくですが、件のパーティーは茨にもいち経営者として招待状が来ているのではないかと思いますし」
「……本人が直接手を下すとも言えないじゃないですか。部下に姫宮氏を攫うよう指示しているかもしれない」
こういった計画で、本人が出てくることほど愚かなことはない。自分が関わらなければ、最悪『部下が勝手にやったことだ』とでも言えばいいのだから。しかし、弓弦は茨の反論を想定したようで、続けてこう口にした。
「可能性は否定できませんが、彼は本当に用心深い人物らしいのです。部下でさえあまり信用していないのだとか」
「おや、ここにもいましたね、可哀想な人が」
じろりと睨みつけられる。
「万が一、坊ちゃまを部下に攫わせるようにしたとして、坊ちゃまとの交渉は彼本人がすると思われるんですよね」
なるほど、彼が交渉の場に行けなければ、結果的に計画はうまくいかないと。そういうわけなのだろうか。
「……まあ、話はあらかたわかりましたけれど。今度は、『坊ちゃま』を、『攫われないように』気を付けてくださいね」
暗にあのSS本戦の本番前のことを示唆すれば、わかりやすく雰囲気の変わった弓弦に睨まれた。
(こっわ……)
「心配には及びません。パーティーの間はわたくしが坊ちゃまの隣に常におりますから。それで? サインはしていただけるんでしょうか?」
そう凄まれてはサインせざるを得なくて。まだ詳細まで目を通せてはいなかったけれど、仕方なく茨は目の前に置かれたペンを取った。
***
パーティー当日。茨はパーティースーツに身を包んで会場にいた。
よく見れば見知った顔がちらほらいる。誰も彼も最近出席したパーティーで見た人物ばかりだ。
(てか、デカ……)
会場までは車で来たが、改めて外観を見てその大きさに慄いた。姫宮の持ち物なのか天祥院の持ち物なのか知らないが、明らかに高級そうなホテルである。よくもまあ金持ちというものは資金が尽きないものだ。住む世界が違っていた。
会場の入り口で持ってきた招待状を見せて受付を済ませると、簡単に会場を歩き回る。
あまりに広すぎて、短時間ではすべてを網羅しきれない。弓弦に強引に押し付けられた会場図は頭に叩き込んできたが、もしこんなところで誘拐なんて起きようものなら探すのは骨が折れそうだ。
(お願いですから、容易く攫われたりなどしないでくださいよ……)
愛らしい彼の主人を頭に思い浮かべてそう問いかける。まあ、この場で桃李が攫われるなんてことがあれば、その責任は弓弦の方にあると思うけれど。
ちらりと腕時計を見て、そろそろ開始時刻が迫っていることに気付いた茨は、ホールの方に歩みを進めた。
ホールに入ると見覚えのある目立つ頭が目に入った。ぴょこぴょこと揺れ動く桃色の頭髪とその横で、その相手に何やら囁く紺色の頭だ。
今日は、あくまでも茨と彼らは接触しないことを約束している。同じESのアイドルであるから、なんらかの繋がりがあると知られていてもおかしくないが、仲が良いなどと誤解されては今後の計画に問題が出る。だから他人として押し通そうとそう決めていた。もし万が一何かあれば弓弦からはインカムを通じて指示を飛ばされる手はずになっていた。……これを使うことがないのが一番なのだが。
茨は再度会場を見渡して、彼が本日接触すべきターゲットを探し出す。
(あれですね)
今回のターゲットである、そのすこしでっぷりとした中年男性は、快活に笑っていた。周囲に何人かちらほらと人がいるが、皆一様にしてうんざりとした顔をしている。
この計画を実行するにあたって彼のひととなりを調べたが、自慢話が長いと嫌われていたようだから仕方ないのだろう。茨は深呼吸をして彼らに近づいていく。
「これはこれは! お世話になっております、先生!」
大した功績もあげていないくせ、彼はこう呼ぶと喜ぶのだと彼の周りで評判だった。実際、そう呼ばれたターゲットはぱあっと笑みを浮かべてこちらを見た。
(うわ……)
「やあ、君は? ああ! 七種くん、というのだね。噂はかねがね。若いのにやり手の実業家として私の耳にも届いているよ」
にこにこと機嫌よさそうに話すその姿にも嫌悪感しか抱かないというのは、些か一種の才能なのではないだろうか。
茨は笑みがひきつりそうになるのを懸命に堪えて、口を開く。
「なんと! 先生のお耳にも自分のお話が届いているとは! 不肖七種茨、あまりに光栄で涙で前が見えません!」
「はっはっは、そこまで言ってくれるか! 君はなかなか見込みがあるな。もっとこっちに来なさい」
男に言われるがまま、彼の隣に歩いて行く。すると彼は馴れ馴れしく肩に手を置いてきた。
(うっわ……)
彼の前では媚びへつらっていたが、茨は今までに彼の話など聞いたこともない。つまりはそれほどの価値しかない男なのだけれど、どうやらかなり自分に自信があるらしく、茨に簡単に乗せられて大層ご機嫌が良さそうだ。
ちらりと腕時計に目をやる。パーティーはあと三時間。……この男の相手を三時間しなければならないかと思うと苦痛でしかない。下手なことを安請負したか? と、何回目になるかわからない後悔をしつつあった。
そうして。自慢話がやたら長い、小太りの男の相手をして早数時間。パーティーも終わりに差し掛かったころのことだ。そろそろ、この男の長ったらしいだけで中身のない話も、それに笑顔で頷いてご機嫌をとるのも限界になっていた。
そんななか突如として会場にスモークが充満した。
(な!?)
こんなこと、パーティーの計画にはなかったはずだ。
パニックになる周囲と人混みに流されて、瞬く間にターゲットとの距離が開く。
(まったく! 何だってこんな目に!)
人の波に逆らって、ターゲットの方へ向かっていたときのことだった。
『……し。もしもし?』
この会場に来たときから付けさせられていたインカムに何か音声が流れた。
「……なんですか?」
苛立ちを押し殺して返答する。相手はこのろくでもない計画の依頼主だ。
『……いま、ターゲットはそちらには?』
「見失いそうですが、まだ見失ってないです……って、こうして話している間にどんどん引き離されているのですが!?」
語気が強くなるのも許して欲しい。茨の返答に弓弦はわずかに言い淀んだ。なんだ。嫌な予感がする。
「はやく、要件を話してください」
『坊ちゃまの行方がわからなくなってしまったのです……!』
「ちょっと、それなら自分に連絡している場合ではないでしょう!? はやく探しに行ってくださいよ!」
視線は遠のいていく小太りの男に固定して、マイクに向かってそう返答する。だが、弓弦はすこし冷静さを欠いているようで、まだ何か言い募っている。
「何!? 聞こえないんですけど?」
『茨。ひとまず合流できますか?』
「このままだとターゲットを見失います!」
『……別に今、茨が会話して引き留めているわけではないんですよね』
「そう、ですが」
『こちらの手の人間がターゲットを見つけました。必ず捕まえてくれるとのことですので、あなたはひとまずこちらに来ていただきたい』
仕方なしに弓弦が指示した場所に行く。彼はその小部屋の真ん中で一人突っ立っていた。
「……なにやってるんですか」
そういった声に非難の意味はなかったけれど、弓弦がゆっくりとこちらを向くのは怖かった。
「なにがあったんです?」
「それが……」
あの煙幕が会場を飲み込んだとき、当然弓弦は桃李とともにいたらしい。咄嗟の判断で隣に向かって手を伸ばしたものの、なぜか彼は弓弦の手をすり抜けて離れていった、のだとか。
「姫宮氏が弓弦のもとから離れる理由なんてありますか?」
「……わかりません。ですが確実に、坊ちゃまと思しき影が遠ざかっていくのは目撃いたしました」
「スモークに写る影?」
「そうです」
スモークに写る影では本当にそれが桃李だったかどうかなんてわからない。見間違った可能性だって大いにある。この男は確かに桃李を見間違うことなんてなさそうだけれど、そう妄信するのも問題だ。
「……もしかしたら、ですけど。今日までにわたくしの知らない手段で坊ちゃまに既に接触されており、今日周囲の目を欺いてこっそりパーティーを抜け出すように脅されていたのかもしれません」
「過ぎたことを悔やんでも仕方ないでしょう。まずできることは姫宮氏の現在地をいち早く知ることです」
うじうじと自分を責めている弓弦を放置して、茨はロッカーに預けていたタブレットを取り出した。今日のこの会場の地図は頭に叩き込んではいるけれど、こうしてタブレットにもデータ化して用意した。念には念を入れて、もしもの時のために準備しておいたのだ。
「ホールから一番近い部屋は既に探したのでしょう?」
「当然でございます」
「それじゃ、この部屋は?」
「もちろん確認いたしました。……この部屋はどうでしょう? 階段を使えばホールからも比較的近くて、移動がたやすいのでは?」
「いえ、その階段は通路を塞ぐようにして荷物が置かれていて使えないんです。ですから、むしろ積極的に排除される選択肢でして……」
そうしてふたりで小さな画面を睨みっこして。ああでもないこうでもないと言って、残ったのはある一部屋だった。
「……坊ちゃま!」
桃李がいる可能性のある部屋がひとつに絞られたとわかるやいなや、弓弦はそう言って止める間もなく部屋を飛び出していった。
「……おいおい、一言くらいお礼を言ってもいいんじゃないですか?」
呆れかえってしまったが、それほど切羽詰まっているのだろう。はぁ、とため息をついて、タブレットを片づける。
茨がタブレットを収納し終わったときのことだ。インカムから声が聞こえてきた。
『茨。無事坊ちゃまを保護いたしました』
姫宮氏の安全がわかってしまえば、もう焦る必要もないだろう。それに、今彼の傍に弓弦もいることだろうし。茨はゆっくりとした足取りで、ふたりが待つ部屋へと向かう。
「もー。それにしても弓弦ったら。まさか七種先輩を巻き込んでまでこんなことするとは思わなかったよー」
がちゃりと音を立てて、目的の部屋の扉を開くと、真っ先にそんな声が聞こえてきた。
声の主、桃李はそう言って頬を膨らませている。すこし怒っているような、その様さえ愛らしいのが彼の長所である。
「ですが、坊ちゃま! わたくしは坊ちゃまのことを心配して」
「それが余計なお世話だって言ってんの!」
「やや! 姫宮氏、ご無事で何より。あなたになにかあっては、自分、どんな酷い目に遭わされていたかわかりませんから!」
ふたりが話しているのをわざと割って入る。すると、彼らの顔がこちらを向いた。
「あ! 七種先輩! 七種先輩も本当にごめんね」
「いえいえ。本当に良かった。弓弦、あなたがいなくなったと知って惨めなほど落ち込み、取り乱していましたから」
「茨」
わずかに誇張しているとはいえ事実である。彼の指摘を無視してにこにこと桃李に微笑みかけてやった。
「あ、そのことなんだけどね、実は今回の件はボクに責任があるっていうか」
「というと?」
茨が首を傾げると、言いづらそうに桃李は口ごもった。その様を見て、弓弦が口を開く。
「坊ちゃま、ひとりでも十分仕事ができるとわたくしにアピールするために、このパーティー中にわたくしの目を盗んでとあるステージを計画されていたそうなのです」
困った、というような顔をしている弓弦だが、そこには安堵も浮かんでいた。彼が事件に巻き込まれたわけではないのが嬉しいのだろう。
「う、今回の企画で目玉になっているところとか、まとめた映像を作ったからみんなにも見てもらおうと思って。それでサプライズしようと思ったんだけど、なかなか弓弦の監視があって抜けられないからさぁ、スモーク焚いてもらってそのうちにこっそりステージまで行こうと思ったんだけど、視界が悪いせいで道に迷っちゃって」
まさか。あのスモークは犯人側ではなく、桃李が用意したものだったらしい。茨はすこし驚いて目を見開いた。
「まあ、今回のパーティーは坊ちゃまが最後に折角そういったサプライズを計画されていたにもかかわらず、スモークを焚かれ視界が悪くなったのをいいことに、悪事を働こうとした輩がいたので、彼を捕まえるためにそれどころではなくなってしまったのですが」
……もしかしなくても今回のターゲットのことだ。どうやら無事弓弦の仲間が捕まえたらしい。
「えっ! そうなの? スリとかそういうこと?」
「もう解決したので、坊ちゃまは気になさらないでくださいまし」
弓弦はそう言って桃李の頭を撫でている。
「そう……?」
すこし不安げに、彼は弓弦の顔を見上げている。
「はい。もう捕まえられたと報告を受けておりますから」
「それならいいんだけど……」
そこまで言って桃李はもう一度こちらに向き直った。
「でも本当に、七種先輩に弓弦がそんなこと頼んだなんて知らなくて……。折角のパーティーだったのに本当にごめんね」
「はは、まあ、姫宮氏に免じて許してさしあげましょう」
茨はにこにこと笑う。桃李の手前そうせざるを得ないが、とんだとばっちりだ。例の約束は必ず叶えてもらいますからね。そういう眼差しで弓弦を睨みつけた……。
***
後日。
「……『Atlantisで商売を行なう権利』ではありませんでしたっけ」
「えぇ。現にあなたは今。商売していらっしゃるではありませんか」
あの一件での報酬を貰うべく。茨は例の遊園地を訪れていた。……遊園地内のアイスクリームを売る売店の売り子として。
「違うでしょう!? 約束が違います! 普通、『商売を行なう権利』って言われたら、自分の会社の商品を取り入れたグッズとかフードとか。そういうのを売り出させてもらえるのかと思うでしょう!? しかも何ですかこれ『新鮮な海の幸★シーフードアイスクリーム』? センスもなければ明らかにゲロ以下の味がしそうな……」
「こら、売り子の分際で、商品を貶めるようなことを言うのはおやめなさい」
ぴしゃりと弓弦は言ってのける。でも、絶対これ、おいしくないですよ。弓弦は食べたことあるのだろうか。茨は頼まれたって食べたくないが。
「でも誰もがそう思ってるのか、ひとつとして売れませんけれど!?」
「あなたのような騒がしい男が店頭に立っているから、誰も来たがらないのでは?」
「どう考えても、アイスの売店なのに海の幸特有の生臭さがあたりに広がってるからでしょうが!?」
本当に失礼なことを言う。そしてどう考えても茨の方が正論を言っているはずなのに、弓弦はやれやれと言った様子で頭を抱えた。
「はぁ……うるさいですね。物を売ってその売り上げの一部をあなたに支払うと言っているのですから立派な商売でしょう」
「自分が言っているのはこういうことではなくて!」
そうして二人で言い争っているときだった。
「わぁ! 桃李くんに聞いていましたが、本当にいばにゃんに会えるなんて! 伏見先輩もお疲れ様です」
「じ、じめにゃん?」
そこに現れたのは紫之創。そして、その横から桃李が顔を覗かせる。
「よかった~。創に言ったら『絶対に会いに行く』って聞かなくてさ~」
桃李がこの遊園地を案内する、という形で今日はふたりでここで遊ぶ予定らしい。……弓弦をどうにか説得して、こんな無駄なこととっとと終わらせる算段だったのだが、そうも行かなくなった。ちらと隣を見ると弓弦はにこにこと笑っている。絶対奴が仕組んだに違いない。茨が創に強く出られないのをいいことに、この男は。
じろりと睨みつけていると、創が口を開いた。
「へへ、折角ですからいばにゃんが売っているそのアイスクリーム、おひとつください! いくらですか?」
彼は目の前にある、明らかに美味しくなさそうなアイスクリームのサンプルを指さして首を傾げている。
「え、いや絶対これ、マズいと思いますので、買わない方がいいですよ……」
「そ、そうだよ創。これ、プレオープンのときに英智さまに言われて弓弦が食べてたけど、マズそうだったもん」
食べたことあんのかよ、と茨は隣に立つ男を睨みつける。弓弦は完全にスルーしていた。どうしてそんなマズいものを売らせようとするのか。何かの嫌がらせにしか思えない。
「そ、そうなんですか? 折角だから買いたかったんですけど」
しょぼんとしている創は可哀想だが、これを食べるよりマシだろう。
「会いに来てくれただけで嬉しかったですよ」
「それならいいんですけど」
桃李はまだ納得していない様子の創を連れて、その場を離れていく。
それにふたりで手を振って応対した。
「……食べたことあったんですね」
「ええ。端的に申し上げて、ゲロ以下のお味でした」
「……自分たちが売るものに対してその言い草はいかがなものかと」
「それにしても、今回はご協力いただいて本当にありがとうございました」
珍しいことだ。弓弦から素直に感謝の言葉が飛んできた。
「や、でも自分何もしてないですよ」
「……坊ちゃまを見失ったときに、一緒に探していただいただけで助かりましたよ」
まあ確かにあのときの弓弦は動揺し憔悴して目も当てられなかったが。
「……ふうん。そう」
「えぇ。ですから『ありがとうございました』」
隣を見ると、頭を下げている弓弦の姿が目に入る。
「まあ。いいですけどね。こうしてあんたたちに貸しができたことはいいことだと思っているので」
なんだか素直な態度の弓弦に体が痒くなる。だからか、つい素直ではない言葉が口から出た。
「わたくしが折角感謝の言葉を述べているというのにあなたという人は……」
苦々しい口調だったが、声音はどちらかというと困ったような感じだった。
「……まあ、もし。今度何か茨が困ったことがあれば、わたくしが手を貸すこともやぶさかではありませんから」
……言外に、以前彼のことを頼らなかったことを責められている。……別にこんな『恩返し』が欲しくて弓弦に手を貸したわけじゃないのに。
「そうですね」
そうできたらね。そう答えるので精いっぱいだった。