現パロ風オ…オウミナミ。長髪プリンス。20歳大学生
み…みつうろこ。若ショーグン。25歳社会人
ラ…タカラブネ。アナカラポニシノ。高校生
オウミ様ことオウミナミ様は、旦那様の3番目のご子息である。
オウミ様は頭の良い大学に通っておられる。生活費もアルバイトで工面され、慎ましく立派な方だ。そして帰宅なさってからは本を読み、調べ物をする精力的な面もある。
オレはそんなご多忙なオウミ様をお支えするために、このオウミ様が住まわれるアパートの一室に送られたのだ。段ボールの中は狭かった。
まだオレは16なので、世間体のためにオレ自身も学校に通う必要がある。しかし高校のほうが授業が終わる時間は早い。
掃除、洗濯、買い物……。このために学んできたこと全てを実行してオウミ様に楽をしてもらうつもりでいた。あとアルバイトもして、オウミ様のご出勤の時間を減らすのも目標だ。
オレが影で全てを整えて、オウミ様はただそれらを利用する。これが理想だ。オレが来る前よりも、便利な生活に快適さを感じてもらいたい。
でも1週間と4日が過ぎそうな今、なんだかあまりうまくいってない。と言うより、やること全て裏目に出て、オウミ様に怒られてしまっている。
掃除も洗濯も、実行のタイミングがよくなかった。オレが来てから4日目くらいにやめてほしい、と言われた。その後なんとか説得して、掃除はやらせていただけている。
買い物の方はオウミ様の息抜きでもあったらしい。オレが勝手に買ってくるのはやめてほしいと言われた。
ならばと週末の買い出しに荷物持ちとして着いて行った。そこで無駄な物の購入を指摘したら、怒りのこもった目で睨みつけられてしまった。
あの人にはもう生活のペースがあって、オレはそれを汲み取って上手く合わせながらやらなくてはならなかった。
一応バイト先はいくつか目星をつけている。でもオウミ様の生活ペースを把握できてないのにシフトを組むことはできない。早く稼がないといけないのに。
さて今日は学校帰りから夕食の支度をしていると、大学からオウミ様がお帰りになられた。鞄を預かるのはやらなくてよい、とのことだったので挨拶だけして夕飯作りを進行していた。
台所は玄関入ってすぐの廊下にあるから、すぐにオウミ様のお顔は見れた。感情のない顔でこちらを一瞥しただけだったので、体が緊張し始める。
靴を脱いで廊下に上がったオウミ様は、オレの後ろを通り際におっしゃられた。「もうそんなことはするな。帰れ」 オレの返事が遅れてしまい、オレがその後見れたのは、オウミ様の後ろ姿だった。
その時はカレーを作っていて、やっとルウを入れたところだったから、せめて火を通してとろみをつけてからお暇することにした。
自分の荷物は廊下に置いていたので、その辺は全く問題はなかった。熱い鍋は粗熱をとってから冷蔵庫に入れたかったけど、多分そんな時間は無かった。だから鍋をタオルで巻いて、蓋をして、冷蔵庫に入れた。メモも『カレー 食べてください』と書いてシンクの隅に置いておいた。大丈夫だったかな。わかったかな。
どうしよう。オウミ様に楽してもらうつもりだったのに、むしろ怒らせてしまった。しかもオレはオウミ様に何もしないまま飛び出してしまった。
これは疑いようなく失格だ。オウミ様のご実家に戻ってご報告すべきなのだが、多分殺される。当然である。
このまま逃げてしまおうな。そしたら寝る場所はどうしよう。初春は過ぎても今が一番寒い時期だ。いやそこはどうにでもなる。
この先、お金、住む場所、飯。飯は何とかならないかな。学校を卒業して就職するまではあと2年くらい?バイトをして、月に10万くらいは稼げるかな?そのくらい稼げるなら何とかなるかもしれない。
でもやっぱりバレた後だ。どうなるんだろ。もう要らない、って言われて、どんなことをされるのか。しかし粛清は受けるべきものだ。
じゃあ今日はどこで寝ようかな。飯はいらない。
そういえばオウミ様はカレーを食べているのかな。食べ物を粗末にする人ではないから、我慢して食べてるんだろう。あのカレー、1人だったら丸2日分あるかもしれない。なんでカレーにしちゃったんだろ。
とにかくオレは今は生きておかないと。清算するときにみんな困っちゃう。早く迎えに来てくれないかな。
一度駅まで歩いたが、また引き返した。繁華街を抜けて住宅街まで歩く。
ここまで来ると公園がある。今の時間帯は静かだが、周辺には人が住んでいるからあまり使う気にはなれない。もっとどこかへと足を伸ばす。
家が少なくなり、道路が広くなる。車と雑草が目立ってくる。どこまでもアスファルトが続く道に公園はない。
自然公園や運動公園みたいな、広い場所があればよかったのに。または河川敷ある川があればよかった。川ならば道を歩いているうちに見つかるかもしれない。
携帯で地図アプリを開けば目的地を定めることはできた。でも携帯はリュックの奥に入れてしまっていて、取り出すのが面倒くさかった。
道路を伝ってやってきたどこかの土地に、やっと原っぱが現れた。公園ではないが、コンクリートの上よりは休まる。土の上にしゃがみ込むと、体がいくらか楽になった。もう民家は無い。
リュックから携帯を取り出す。一応、己の愚行がバレているか確認するためだ。
ロック画面の通知履歴は、電話が数回かかってきていたことを知らせる。宛先はオウミ様ご本人からであった。
携帯の画面に記されている時間は20時を超えている。もういい時間だ。明日掛け直すのがよいかもしれない。リュックを枕にして横になる。
横になりかけた瞬間、携帯が鳴る。見ればオウミ様からだ。出るか迷い、だが出る以外の選択肢などない。電話のアイコンをタップして、恐る恐る端末を耳に当てた。
「おい、あの…今どこにいるんだ」
紛れもなくオウミ様の声であった。
「帰路の途中にございます」
「電車は使ってないのか?」
横を車が通る。それから連続して数台通っていく。
「迎えにきてもらう手筈になっておりますので」
「あの家の者がか?それが本当ならいいのだが。だが俺の元によこされるお前がそこまでの扱いを受けるのか?迎えにきてもらう話は本当なのか?」
「もちろんです」
舌の奥が痛い。少し泣きそうになっている。まだオレには余裕があるみたいだ。安心する。
電話越しに「そうか」と聞こえた後、他の男性の声がして間が空いた。それから次は「もしもし」と聞かれる。これはオウミ様の声ではない。
「もしもし、聞こえてますか?俺、みつうろこっていうんですけど、あのオウミの彼氏ヅラの」
「聞こえてます。何か用ですか」
このみつうろこと名乗る人はオウミ様の彼氏を名乗る不届ものだ。会社に勤めるいい大人のくせに、お忙しいオウミ様にやたらと絡んでくる。
週末の買い出しのあと、オウミ様がこいつの家に泊まりに行くことになってしまったのだ。もちろんオレもついて行った。
この人の作るご飯はおいしかったけど、オウミ様を、その、喜んでいたとはいえ、あの、あんなふうに……酷い目に合わせてたことは許せない。
「今どこにいる?オウミん実家って別にそんな離れてるわけじゃないのに、まだ車に拾われてないのはおかしい」
「庶民とは訳が違いますから」
「馬鹿なこと言ってんな。今使ってるスマホから今の位置教えろ。車出して迎えにいくから」
「必要ないです」
「オウミがまだ飯食ってないんだけど。お前が心配だからって。それでも迎えに来てもらわないつもり?」
「オウミ様が?まだ夕飯を取られていないんですか?でもオレ作りましたよ。…カレーはダメでしたか」
地味にショックだった。中辛はまだオウミ様には辛すぎたのだろうか。
「お前が帰んない限りたべないってよ。ほら早く場所寄越せ。オウミからも言ってやれ」
「そうだ。帰ってきてくれ。俺も怒られて悪いことをしたと気付かされた。お前の作ってくれたカレーを皆んなで食べよう。その方が美味しい」
「オウミ様が、そうおっしゃるなら」
オウミ様の言葉はお芝居のようなセリフだ。それがかえって居心地が良かった。
通話を切り、地図アプリで表示されている場所をメッセージに送る。
膝を抱えながら端末の画面を見ていると、返事が来た。ここから少し離れたところを表示している画像と、ここに移動しろという旨の簡潔な文章だった。指示に従い、移動する。
向かいからは走ってくる車はスピードを落とさない。相手はやりずらいだろうなと思いながら道の端を歩いていた。
指示されたところは、道路脇の少し開けている広場だ。車1、2台なら容易く停められる広さだ。隅に座り込んで待つ。走ってくる車のヘッドライトが眩しい。
それから30分した頃に1台の車が広間に入ってきた。この車がそうなのか?と思っていると見覚えのある長い金髪の人が降りてきた。オウミ様であった。
オウミ様は何かを探すようにあたりを見回している。それから車から紺色の髪の男も降りてくる。運転席側に座っていたこの人がみつうろこさんだ。
みつうろこさんはすぐにオレを見つけて寄ってくる。それでやっと気づいたオウミ様も寄ってきた。
「そこにいたのか。寒かっただろう」
「早いとこ乗っちゃって。お話は車の中でもできるから」
オウミ様に手を差し伸べられる。その手を握る。立ち上がって、オウミ様と一緒に車の後部座席に乗る。
中は意外にも綺麗だった。暖房が暖かい。
車はオレが進んでいた方向に走り出す。どこかで曲がってオウミ様の部屋があるアパートに向かうのだろう。
「あの、お前の名前…忘れてしまって」
「タカラブネです」
「タカラブネ、タカラブネ。すまない。人の名前を覚えるのが、苦手で」
「いえ別に」
「ほら話し合いが少ない。2人でどのくらい会話した?」
「だから、良くなかったと反省しているんだ」
このみつうろことかっていう人、まさかオウミ様に説教でもかましたのだろうか。何様のつもりなのだろうか。
「オウミ様に何を偉そうな口をきいているんですか」
「オウミは人見知りするから喋りづらいだろうけどさ。タカラブネ君、お目付け役を名乗るんならもっと積極的に話しかけないと。オウミの部屋来てから何日経ってんだ?」
「2週間、くらいですけど」
「うーむ。とりあえず家着いて飯食ったら、部屋のルールを2人で決めろ。この感じだと実家は頼らない方が良いんだろ。ならなおのことだ。ついでにある程度抵抗できる手段も作れりゃいいけど」
「オレ相手にそんなこと言うなんていい度胸してるじゃないですか」
「本当のことだろ」
信じられない。まるでオウミ様のお父上が悪者みたいな言い様だ。この人がオウミ様をたぶらかしているのだ。
「だがそれはなかなか並大抵のことではない。例え今の俺が社会人だとしても、対等な立場に立つことすら困難だ。タカラブネ、も分かっているだろ」
横入りしてきたオウミ様の声は穏やかだ。この人に同調にしているのか、オレを宥めているのか、どちらとも取れる。どちらにしても今話す内容とは外れていると言いたいのだろう。
オウミ様はそのまま誰の返事も待たず、言葉を続けた。
「ルールを作るならどこから決めていこうか」
「まず今お互いが思っている不満点と、譲れない点を出してみれば?そんで共有するものの扱い方も決める。その後にも各自の行動が噛み違うどこが出てくるだろうから、その都度我慢しないでちゃんと言う。ちゃんと冷静になってだぞ」
「なるほどな。お前は、タカラブネはどういうところが嫌だった?」
勝手に話が進んでいく。オレがしたい話はこんな日和見な会話ではない。
「今のような、こんな馴れ合いをするのが、オレは一番嫌です。オレはオウミ様に仕えるために来たのです。オウミ様も人を使う立場だということを理解してください。こんな男となんか連まずに」
思ったままのことを言った。オウミ様はオレをしばし見つめたのちに、目線を上にやった。何かを思案している。特に怒りはぶつけられない。
もう1人の男の方は、ミラー越しでも目が見えないので、何を考えているのか分からない。ただ黙っている。
「タカラブネ」
オウミ様に名を呼ばれた。そちらへ顔を向ける。表情は普段と変わらない。
「お前は俺に仕えるために来ていて、俺にも相応の振る舞いをしてほしいんだな。分かった。ただそれをするには場所は選ぶ。どこでもできるわけじゃない。なんでかは分かるよな?」
「オウミ様は庶民ではありません」
「そうか。あのな、タカラブネ。例え俺が父上の子供でも、今あの場所で生活している俺はただの大学生だ。そう振る舞うのが自然であるし、安全だ。目立たないことは大切なんだ。あの街に金持ちは馴染まない」
「じゃあなんでそんなところに」
「俺が落ちこぼれだからだ。期待されていないからあの場所に住むことを許されている。お前はそんな男の元で暮らさなければならない。こればかりは我慢しろ。ここに配属された己の無能さを憎め」
無能、という言葉に自分の勢いが削げるのを感じた。たった今オレがオウミ様に自虐をさせてしまったというのに。
「かりに、仮にあなたが落ちこぼれだったとしても、オレはあなたを支えます」
「そうか。ならもっとお前の言う庶民らしい振る舞いをしてくれ。お前はちょうど俺と同じ金髪と青い目をしているから、年下の親戚ということにしよう。学校が近いから俺の部屋を間借りしている。そういう体で生活をしろ」
「承知しました」
オウミ様は頷くと、窓の外を見始めた。
オウミ様はオレの欲求に応えてくれた。つまりオレはオウミ様に我儘を聞いてもらってしまったのだ。こういうところがオレの無能さなのだ。
「ただまあ、俺に支えたいと言うのであれば、先手で行動して誘導くらいはするべきだったと思う。受け身では、俺自らに命令させることはできなかっただろう?俺が今まで会ったことのある世話係は皆そうしていたぞ」
「申し訳、ございませんでした」
本当にその通りだ。少し違うと思うところもあるが、今のオレに言い返せることは何もない。
「あのさー。俺のことは?どーする?」
そんな時、前座席から能天気な声がする。悪い立場にいないこの男が羨ましい。
「みつうろこにも懐いてほしい。まあ敬語を崩すだけでもいいが」
「承知しました」
「オウミはそういうつもりでいんのね。まあ俺もタカラブネ君と関われる方が楽そうだし。可愛げあるもんね」
「誰がだ?」
「タカラブネ君」
「ハ、年下がお好きなんて趣味が良いですね」
こいつはまだ馴れ合いを続けるつもりなのだろう。わかりやすい機嫌取りは、ますます気分を荒れさせる。
すると舌打ちが聞こえる。さすがにこの男もたびたびの口攻撃にイラついてきただろうか。
「大人のくせに舌打ちなんて」
「オウミ、やめろ。車ん中で暴れんな。今のは俺が悪かった」
男の言葉に、オウミ様の方を見た。
オウミ様はオレのことを見ていたが、その顔は無表情だった。
「こんなやつ降ろした方がいい」
冷たく、いや威厳のある声だ。
「絶対やんなよ」
「迎えにいく必要なんてなかったみたいだ」
「オウミ」
男の声は獣の唸りにも近かった。腹の底から発せられた音に泣きそうになる。
「降ります。オウミ様がおっしゃってます」
「そっちは一旦待て。オウミ、俺のために怒ってくれんのはありがたいけど、嬉しくない。この子の立場なら、お前の近くにほぼ犯罪まがいのことをしている奴がいたら排除したくなんだろ。タカラブネ君はお前を守りたいんだ。そこは分かってやれ」
「だとしても、お前のことをここまで悪く言うのは許せない。こいつが俺の駒使いだというなら、いらない」
「オウミ、お前は自分がされたことをその子にもやるつもりなのか?タカラブネ君は全部お前への善意で動いてたのに」
「それは、でも、上手くやれなかったこいつが悪い」
「へえ。オウミは上手くやれたの」
オウミ様が追い詰められている。全部オレのせいだった。オレがこの人を挑発しなければ、オウミ様はオレを叱ることはなかった。そもそもオレが何もしなければ、オウミ様は悪者になることはなかった。それ以前にオレがオウミ様の元にいかなければ、こんなことなんて起きることもなかった。
「降ります!止めてください!どこかに行きますから!コンビニとか、ありますよね、ねえっ」
「もう少しで家着くから、それまでの辛抱」
「わ、かりました。……オウミ様はなにも、なにも悪くありませんから……」
怒らないでほしい。自分の声が思ったよりも震えていて情け無い。隣からは深いため息が聞こえた。
車が停まったら、駅に行こうと思う。そこから今度は真っ直ぐオウミ様のご実家まで行って、お役に立てなかったことを正直に告白しよう。そしたらまた明日とか明後日が来る。
それから窓の外の景色ははっきりと見たことがあるものに変わってきた。オウミ様が住んでいるアパート近くまで来たらしい。車は今朝も横を通った駐車場に停められた。
車のエンジンが完全に停止し、各自が荷物をまとめ始める。身軽だったオウミ様が先に扉を開けて出た。オレも出なければ。腰を持ち上げるのが怠かった。
みつうろこさんが車に鍵をかけるのを眺めていた。オウミ様がみつうろこさんの近くに寄る。2対1でちょうどいい立ち位置だ。挨拶をしてから歩こう。
「拾ってくださってありがとうございました。それと、今までの愚行の数々、大変申し訳ありませんでした」
頭を下げているから、2人がどんな顔をしているのか知らない。こちらを見ていないかもしれないが、そのくらいがいい。
「お世話になりました。嫌な思いをさせてしまって、すみませんでした」
2人の顔を見ないようにして公道に向き変える。尻拭いをしないなんて酷いものだが、これ以上怒られるのも耐えられないのだ。
歩き出すと同時くらいに、肩を強い力で引かれた。本当に強い力なので体が強張る。
何事かと思えば、みつうろこさんがオレを掴んでいた。疑問と、やはり逃げられなかった悔しさと怖さが混じる。
みつうろこさんは明確に怒っている。そりゃこの人はオレを連れ帰るために、わざわざ車を出したのだ。ここでオレがまたどこかに行けば、この人の行動は無駄になる。
「逃げられませんよね。すみません」
「ここ以外に帰る場所なんてねえんだろ」
「少し面倒臭いやり取りをすれば帰れます」
「嘘ばっかだな。ホントお前らの保護者のこと殴りたくなる」
失礼なことを言ったみつうろこさんは、オレを掴んだままオウミ様へ振り向く。態度だけでオウミ様を呼んだ。
そのままみつうろこさんに引っ張られるように、3人でアパートの部屋に向かった。
オウミ様のお部屋に入るなり、みつうろこさんは勝手を知ったように廊下を抜ける。そして明かりをつけた。
オレはオウミ様に背中を押されて部屋に入る。荷物はいつも廊下兼キッチンに置いていたが、それも邪魔だから部屋に持っていくように言われる。なのでリュックを持ったまま部屋に入ると、今度はみつうろこさんが風呂に入れと言う。あれしろこれしろ、と煩わしい。
少しヤケクソで荷物をテキトウな所に置いて、寝巻きをとって浴室に向かう。浴室はキッチンと同じく廊下にある。キッチンではみつうろこさんがカレーを温めようとしているところだった。
シャワーを浴びている最中、浴室の外から会話が聞こえる。口論みたいだ。無視して体を洗う。
お湯で体が温められると、縮こまっていた部分が元に戻ったような気分になる。顔も洗えば、結構さっぱりした。
洗い終わり浴室から出ると、みつうろこさんから髪を乾かすのか訊かれる。寝る前に乾かすと答えれば、後でご飯を皿によそうように言われる。炊飯器は保温状態になっていた。
奥の部屋を見ると、折り畳みの座卓が出されていた。オウミ様はこれからシャワーを浴びるそうで、オレ達の後ろを通った。
オレは食器入れから皿3枚としゃもじを取り出す。炊飯器の中の白米をほぐす。
「少し落ち着いたか?」
みつうろこさんに声をかけられた。カレーをかき混ぜている。
訊かれて、少し前の自分を思い出す。確かに冷静ではなかった。大分情けなかった。
「はい。衝動的になりすぎていました」
「そうか。なら良かった」
みつうろこさんはコンロの火を止めた。その時ちょうどシャワーから水が出る音が聞こえ始めた。それに反応したみつうろこさんは、浴室の扉に顔を向ける。それからじっと見ている。
「あの、お米」
「ああうん。オウミが風呂上がってからにすっか。皿出してくれてありがと」
「オウミ様に変なことしないでください」
「変なこと?」
「今みたいに見たりとかです」
「見てるだけじゃん」
「覗きと変わりません!これをオウミ様が知ったら、なんて思われるかとか、想像もできないんですかっ」
「えー。だってえ、可愛いんだもん」
そう言いながらみつうろこさんがこちらに向けた笑顔は、なんだか心の底からのもののように見えてしまった。だからといって安心できる材料には一切ならない。でもこの人の少しお節介な行動のせいで、信用してしまいそうになる。
みつうろこさんは体ごと浴室に向けて、キッチンの柱みたいな壁に背中をつけ、ドアを眺めていた。
「オウミ様は美しい人ではありますけど、可愛いというのは不適切です」
「性格も含めての話。ちょっとトロいし、不器用だし」
「思慮深いのです!」
「ラブネ君はオウミのこと好きなんだなあ」
またみつうろこさんに微笑みかけられる。さっきからずっと警戒心のない緩い笑みばかり見せられている。こんな笑い方をする大人はあまり見たことがない。
「当然ですが」
「わははっ。良い子だねえ。ラブネ君でよかったなあ」
この人はオレのことを手懐けようとしている。
「何が言いたいんですか?何が狙いですか?」
ありったけの警戒心と敵意を態度で示す。当然のようにみつうろこさんは何も変わらない。
「オウミってさ、ずっと味方居ねんだと思ってたんだよ。でもラブネ君みてえな子がいるって知れてさ。ちょっと安心した」
オウミ様の扱われ方が他の人と比べてどうだったのかは、実はオレは知らない。ただ小耳に挟む話は、オウミ様は出来があまりよろしくないという内容が多かった。
なのでオウミ様の元に送られることが決まった時、多少の不安はあった。でもどうしようもない人であるなら、その分働きがいもあるというものだ。オレはそのために産まれて育てられたのだ。
みつうろこさんの言葉になんて返すか迷う。そうしている間に、みつうろこさんがまた口を開いた。
「でもさー。だから逆に不安なんだよ。向こうが何考えてんのかなって」
声は低かった。浴室に顔を向けたまま、遠くを見ているようだ。
「親心でしょう」
「息子が楽しく暮らすことを望んでんなら良いけどね。そうじゃねえのに、例えば立派なリーダーになってほしいとかで、ある程度コントロールしたい時、不出来な息子に付けるのって」
ここで一度こちらのほうを見られる。
「そういう時はもっと事情を知ってる人で、教育もできる大人を選ぶと思うんだよね。息子と一緒に楽しく暮らしちゃいそうな子を連れてくんのかな」
「オレは遊びません」
「一緒に遊んでやった方がオウミは笑うな」
「そうでしょうか?オレなんかと遊んで」
この1週間と数日のことを振り返れば、オレはオウミ様を煩わせてばかりいた。オウミ様はオレといて楽しいなんて思わないと思う。
「さっき車ん中でも言ったけど、話し合いはちゃんとしろよ。お互い意固地にならないで。その上での話だな。でもあんたらならできると思う。だからこその不安でもあんだけど」
「不安とは?」
「仲良くなった関係を利用されたりさ。もっと追い詰められたり。気をつけろよ。まあ、どう気をつけるかって話になっちゃうけどね」
雰囲気がよく変わる人だと思った。多分ただの喋り方の問題なんだろう。
みつうろこさんとの会話が途切れてから、あまり時間が経たないうちにシャワーが止まった。オウミ様は髪の毛が長いのに、お風呂の時間は短い方だ。こういうところが不出来なんだろうか。
磨りガラス風のプラスチックのドアの影が動き、みつうろこさんがドアに吸い寄せられる。それは流石に許せないので引き剥がす。
小競り合いをしているとドアが中折れに開く。出てきたオウミ様はオレ達を見て、少し固まった後に吹き出して笑った。
そして泣いてしまった。
「オウミ〜、お前が泣いてどうすんの」
「いや、わるい。悪かった、と、思って」
「お、オウミ様」
「タカラブネ、すまなかった。すまん。本当に、俺は良くなかった」
「オウミ様は何も悪くないです、謝らないでください!」
オウミ様は肩にかけているバスタオルで目元を強引に擦る。そんなことをしたら痛いに決まっている。
「オウミ様、泣いていいんですから、そんなふうに擦ったらダメです」
「だが、俺が泣くのは、おかしい」
「泣いてしまったものは仕方ないですよ。それに擦って止まるものでもありません」
「そうだぞー」
みつうろこさんがオウミ様の両手を握った。オウミ様は手を自由に使えず、鼻を啜っている。ティッシュを持ってこなければ。
そしてティッシュを探して取ってくると、みつうろこさんはオウミ様の涙を舐めとっていた。なにしてんだ。
「みつうろこさん!なにやってんすか!」
「お、ティッシュだって。気が効くう」
「ああ、ありがとう」
オウミ様はティッシュを一枚取って鼻をかむ。ちょっと落ち着いたらしい。
「オウミ様、大丈夫でしたか?いや大丈夫じゃないですよ」
「ああ、まあ舐められて、結構冷静になれた。気持ち悪い奴だと思ってはいるぞ」
「まさか俺のこと?」
「そうだが」
オウミ様はみつうろこさんの顔を見ずに言い捨てた。それから俺に向き直る。
「タカラブネ、ありがとう。俺なんかよりもよほど気遣えて大人だ」
「いや、やめてください。そんなことはないので」
「だが、あんな酷いことをした俺のことを心配してくれただろ」
「それはオウミ様が特別だからです」
「そんなことをしてくれるのは、お前とみつうろこだけだ」
オウミ様が微笑む。また涙が滲み始めている。赤く潤んだ目が痛々しいが、でも優しい穏やかな表情に安堵する。
気が昂ってオレも泣きそうになってしまったが、そこは修行を思い出してなんとか堪えた。
3枚の皿にご飯をよそう。みつうろこさんは大盛り、オウミ様は中盛り、オレは大盛りにした。それらの皿に、みつうろこさんがカレーを容赦なくかけていく。とろみが強めのカレーではあったが、それでも少し溢れそうだ。
出来上がった皿を1枚オウミ様が運び、オレもそれに続いた。オウミ様は部屋に設置された座卓にカレーを置くと、またキッチンへ戻る。みつうろこさんからスプーンを受け取り、そのまま部屋へは戻らず、シンク下からコップを取り出した。水道から水を汲んで、1つ目、2つ目をオレに手渡した。
こんな雑用をオウミ様にやらせてしまって申し訳ない。でもオウミ様はオレが来る前からこうして配膳とかをしていたのだろう。変えない方が気持ちは楽だというのは確かにある。
3人が卓について、食前の挨拶をする。風呂上がりから喉が乾いていたので水を飲み、そしてスプーンでカレーを掬う。
口に含むと、カレーの味と辛さが後からくる。2掬い目はご飯と合わせてから頬張る。ルウの旨さと程よい粘り気にまた次が欲しくなる。でも辛い。
「少し辛いな。美味しいが」
「オウミ辛いの苦手だっけか?」
オウミ様は水を飲む。
「あ、すみませんでした……」
「いいや、匙が進むから余計に辛いだけだ」
「次からは甘口にします」
オレも少し口がヒリつくので、水を飲む。
「それがいい」
「牛乳あんならそっち飲めば楽になんよ」
「なるほど」
オウミ様が立ち上がる。
「オレが行きます」
「いやいい。食ってろ」
オウミ様はそのままキッチンに行ってしまった。追いかけようかと思ったが、みつうろこさんは首を振った。これもオウミ様の心の安寧のためなのか。
カレーを食べ進める。じゃがいもを割りほぐして口に運ぶと、思っていたより熱い。辛味に追い打ちをかけてくる。
みつうろこさんは水も飲まずに食べているので、この人は辛味に強いんだろう。大人だしな。
水を飲んでいると、オウミ様が戻ってきた。コップ2つに牛乳を注いできたらしい。そのうちひとつはオレの方に置かれた。
「え、これは?」
「お前の分だ。お前も辛いのダメなんだろ」
「別に平気です」
「嘘は分かるぞ」
そう言われると言い返せない。
渡されているコップを持って牛乳を含むと、確かに舌から辛味が引いていった。
「辛くない」
「水とは大分違うな」
「乳製品は舌にくっついた辛いのを取ってくれんだって。ラッシーとかあんじゃん」
みつうろこさんはここで水をぐいっと飲む。一息ついた。カレーは3分の2になっている。
オレもカレーを食べようとスプーンで掬うと、みつうろこさんがまた何か言う。
「つまり、その牛乳は俺みたいなものってことだな」
意味がわからず、反論の意を込めてみつうろこさんを見る。神妙な顔で頷いている。この人をどうにかしてどうにかしないとだ。でも何をすればダメージを与えられるのだろう。
オウミ様へ視線を送る。オウミ様も眉を顰めていた。それから発言をしてくれた。
「今日お前に感じた感謝の念が全て吹き飛んだ」
「お?照れ隠し?」
オウミ様の言葉はまあまあ鋭くも、じゃれあいの範疇だ。ならばこちらからも援護射撃をする。
「いやオレも、全部無駄になった気がしています」
「そっちは思春期かあ……」
みつうろこさんは暖簾みたいな人だった。オウミ様はもう構うことなくカレーを食べている。この2人の信頼が垣間見える。
悔しいけど、ぽっと出のオレには太刀打ちできない。でも一緒にご飯を食べられているのは嬉しいから、オレもオウミ様にならって食べるのを再開した。
2人とも綺麗に食べてくれて、美味しかったとまで言ってくれたから、お世辞でも照れ臭かった。
みつうろこさんは風呂に入り、そのあいだにオウミ様と2人で片付けをする。これはこれからの生活の練習だった。
食器を洗うタイミング、干す場所、しまい方など。オウミ様の今までのやり方を教えてもらって、その上でオレが行いたい方法を伝え、承諾を得たり役割分担を考えたりする。
話し合ってみれば簡単なことも多いし、やってみてから決めた方がよさそうなこともあった。オウミ様は積極的に話し合ってくれたから、オレも臆さずに意見を出せた。
それにしてもお互いのテリトリーを知ることは、こんなにも大切なことだとは思わなかった。オウミ様の領分はもちろん把握しなければならない。だがこちら側の領分も相手に知ってもらうことは、結果的にオウミ様のためになる。我慢ばかりすると、かえって相手を傷つけることにもなる。
もちろんオレがもっと徹底して従者として働けるなら、オウミ様にオレのことを曝け出す必要はなかっただろう。これはオレのいたらなさだ。
いたらないから、いっそ諦めてオウミ様にオレのことも知ってもうのだ。オウミ様もその方が嬉しそうにしていたし。
みつうろこさんは風呂から上がってからざっくりと髪を乾かすと、明日も仕事だからと帰って行った。オウミ様と2人で、車が見えなくなるまで見送った。
時刻はもう日を跨ぐ直前である。オレ達も寝支度をする。カレーの残りは冷蔵庫にしまった。明日の朝食べよう。
布団を2枚敷くと、オウミ様がすぐ隣にくっつけた。2枚の掛け布団も半分重なるように掛け、毛布でさらにカバーする。
布団に潜ればオウミ様も真横にはいる。腕で引き寄せられると、触れる部分が温かい。
「オウミ様」
「寒いからな」
すぐ近くのお顔は機嫌が良さそうに見える。ぱっちりしたアーモンド型の目が猫みたいだ。
「兄弟でもこんなことしないですよ」
「そうなのか?」
「知らないですけど」
オウミ様はにんまりと笑い、オレの顔にかかっていた髪の毛を払った。それから少し体を動かして、寝る姿勢をとった。
オレもオウミ様の方に向くように寝転がった。布団の中はまだひんやりとしているが、オウミ様に触れれば温かい。
「タカラブネ。これから、よろしく頼む」
「はい。なんでも申しつけてください」
「ああ」
オウミ様はすごい距離の取り方をする人だと思う。先ほどまで嫌っていた奴に、こんなに無防備に触れさせるなんて結構危ない。みつうろこさんの苦労を少し覗いたような気がする。
でもオレもついさっきまではオウミ様を前にすると固くなっていたのに、今はこんなに近くにいるのが心地よいとすらかんじる。
オウミ様は少し起き上がって電気を消した。布団の中に戻ってくるなり、オレの背中に片腕を回す。オレもオウミ様の背中に片腕を伸ばして、もう片腕は目の前の胸板に押し付ける。
ふふ、という笑う声がすると、頭を撫でられた。とても落ち着くので、眠るまでに時間はかからなかった。
明日からはきっと、もっと頑張れそうだ。
終わり!