「おはようございます」
「あ、鉢屋おはよう……ちょっと俺トイレ行くね、」
(相変わらず避けられるな)
先日勢いで告白してしまってから早一週間、悉く避けられ続けている。俺の顔を見ると気まずそうな表情で何処かへ行ってしまうということは、俺が告白したのがまずかった、ということで。尾浜先輩も俺のことを好いてくれていると思ったのだが、どうやら俺の気の所為だったらしい。いや、まだ「かもしれない」くらいではあるが。少なくとも、事態はいいように向いていないことだけは理解できる。
「どうするかな…」
「鉢屋先輩?」
「うわ!?あぁ、田村か…」
後ろから突然声がしたと思い驚きつつ振り返るときょとん、とした顔の後輩が立っていた。
「うわってなんですか、うわって。なんでそんなに思い詰めた顔をしてらっしゃるんですか?」
「え?いや別に…」
「そうですか…?いつも怠そうにしているなぁと思ってはいるのですがいつも以上に怠そうだな、と」
「俺の解釈どうなってるんだよ」
「いえ、お客さんがよく言ってらっしゃるんですよ。今日はあの気怠げなイケメンバイトくんはいないの?って」
「イケメンバイトって」
「この辺りじゃ有名ですよ。鉢屋先輩も尾浜先輩も」
尾浜先輩も。ということは、やはり客からの人気があるらしい。
「……尾浜先輩って彼女いるのかな」
「さぁ、どうなんでしょう。いそうですけどね」
「やっぱり?」
ううん、と頭を抱える。嫌われていることと彼女がいる事はあまり考えたくないので選択肢に入れないとして、他にどんな可能性がある?もしかして、同じタイミングで客から告られていたとか?だとしたらあの態度は頷ける。今考え中なんです〜みたいな。うん、この可能性に賭けるとしよう。いや、賭けるしかないだけだが。
「よし、ありがとう田村」
「僕今何かしました?」
「大手柄。帰りレジ寄れ、一杯奢る」
「え、やった!今日から新作出てたからそれにします!」
「ふ、好きに頼めよ。じゃ」
ありがとうございまーす、と手を振る田村に手を振りながらスタッフルームを出る。ぱち、と尾浜先輩と目が合ったがすぐにふいっと視線を逸らされた。バイト中なので引き止めることも出来ず、そのままいつも通りの持ち場へつく。あぁ、今日に限って締め作業の日じゃないのがとても悔しい。いつもよりホイップを乗せる作業が荒くなっているような気がした。
「ありがとうございました!」
品物を渡してにこ、と微笑むと客が黄色い声を上げながら手を振ってまた来るねー、と言い店を出ていった。なんだかなぁ、と思いつつ次の作業へ移る。
「鉢屋、次3つでラストな」
「あ、わかりました」
後ろから声掛けてくんなよ、と店長に半ギレしながら客3組分を仕分けて次の担当と交代する。お先失礼します、と言いながらスタッフルームへ入ると後ろからノック音がした。はい、と返事して隙間を開けると尾浜先輩がこちらを覗いていた。
「…尾浜先輩?」
「ぁ、いや、えっと…その、今日、もう上がり?」
「はい、そうですけど」
「そ、っか…次締め作業なの、いつ?」
「え?いつでしたっけ…確か明後日だった気が」
「明後日、か…うん、わかった。じゃあまた」
そう言って扉は閉じてしまった。何か伝えたそうにしていたのは、何なのだろうか。少なくとも、俺と尾浜先輩の関係に名前が付くんだろうな、という事は薄々察してしまった。
「おはようございます」
「おうおはよう鉢屋、今日もいつもの頼むな」
「はーい」
翌々日。再び出勤すると尾浜先輩はいつも通りレジでの対応をしていた。俺もさっといつも通りの位置に付く。今日はこの間よりもホイップが綺麗な気がする。
「鉢屋さん、今日はなんだかご機嫌なんですね」
「…そう見えます?」
「はい。この間来た時より、なんだかお顔が明るい気がして」
「気の所為、じゃないですかね」
声をかけてきた客に少し態度が悪かったかな、と思いながら対応する。顔が明るいなんてそんなこと、ないと思うのだが。今日、もしかしたら振られるかもしれないのに。
「ありがとうございま…」
「あ、あの!鉢屋さん、明日って出勤ですか?」
「明日ですか?いえ、違いますが…」
商品を渡す時に声を掛けられた。先程の女性に。明日の出勤はないが何事だろう、という顔をする。
「あの、その…もし良ければ、明日…」
あぁ、もしかしてデートにでも誘おうとしているのだろうか。いや、でも今日尾浜先輩に振られるならそれもいいかもしれない。その前に今バイト中か、ならば長々と考えている暇はないな、と考えているうちに隣から人が割り込んできた。
「お客様申し訳ありません、鉢屋は休憩に入るのでまたにしていただけますでしょうか」
「…尾浜先輩?」
「あ、すみません…!では、また来た時に…」
「いえ、こちらはお仕事中ですのでまた別の機会にして頂けると有難いです」
「ぁ…すみません…」
ぺこり、と頭を下げながら店を出ていく客を見届けた。すぐに尾浜先輩に向き直る。
「尾浜先輩、休憩なんてないっすよね…?」
「……店長、休憩くださーい!」
「え、ちょ、」
「ったく、休憩なんて本当はないんだぞ?5分な!」
「あざます!」
尾浜先輩は俺の腕を引きながら雑に店長に休憩宣言をしスタッフルームへ俺を押し込んだ。
「…さっきはごめん鉢屋」
「いえ、僕も助かったんで…」
「その…今日、締めなんだよね?」
「はい、そうですけど…」
「…今日で、終わりにするよ」
そう言い残して尾浜先輩の出ていった扉を見つめる。今日で終わりにする、とはどういうことだろうか。だがこれまでの尾浜先輩の態度的に恐らく振られるんだろう。わざわざそれを伝えるためにこうして時間を取ってくれたのはありがたい。今日の夜までに、覚悟を持てるから。
「ありがとうございました!」
最後の客を見送る。尾浜先輩と二人きりになり、少し気まずい空気が流れる。
「…今日はクリーム食べないんすか」
「んぇ…いや…うん、」
「残ってますよ」
「…うん…じゃあ、食べよう、かな…」
…そんなに俺といるのは嫌なのだろうか。いや、そもそも尾浜先輩にこんな顔をさせて悩ませるなんて事をしたのは自分だ。ならば、自分が責任を取って何とかしなければいいけない。クリームの入った容器とスプーンを持った尾浜先輩を横目に機材を片付けて急ぎスタッフルームへ向かう。すぐに帰り支度を終えて従業員出入口へ向かった。どれだけぼーっとしていたのか、出入口へ向かうところでようやく尾浜先輩は気づいたようだった。
「ぁ、え、鉢屋、帰るの…?」
「え?はい。帰ります。あと先輩、」
「…な、なに?」
待って、と言いながら機材を洗う先輩を見つめる。あぁ、やっぱり俺はこの人が好きだ。かっこいいだけじゃなく可愛いところもあって、優しくて。人一倍余裕そうな顔してる癖に、案外そういう訳でもなくて。人に頼るのが苦手で、本音を言うのが苦手で、でも偶に、会いたいだなんて言ってくるこの人が好きだな、と。洗い終わったらしい尾浜先輩が此方を見る。ごめんなさい、貴方を苦しめてしまって。そんな表情させたかった訳じゃないんだ、と言わなくては。
「尾浜先輩、ごめんなさい」
「え、なにが…」
「この間のは、忘れて。無かったことにしてください。先輩を困らせて、すみませんでした」
「え…」
「それじゃあ、また次の出勤で…送ってもらったの、ありがとうございました。嬉しかったです、では」
そう言い逃げするように店を飛び出す。背中に向かって呼ばれた名前には気づかないふりをして、駅へ向かって兎に角走った。なんだか泣きたかったのに、泣けないのは何故なんだろう、と思いながら電車に揺られた。
翌日は出勤が無かった。でも何となく、スコーンが食べたくなって。それに、田村が言ってた新作も少し気になる。けれど、店に行けば今日は尾浜先輩が出勤だったな、と思い配達サービスアプリを開く。住所と名前を打って、届くまで何をしよう、と思いふと写真アプリを開く。日頃あまり写真を撮ることはないのに、なんだか枚数が多いような気がしてスクロールする。あぁそうか、尾浜先輩と水族館に行った時にたくさん撮ったんだ。2人の写真より尾浜先輩一人の写真が多いのは日頃自撮りなんてしないから、だろう。海月にメロメロな先輩、イルカショーを楽しそうに見てる先輩、なんで撮るんだよと言わんばかりの顔でこちらに笑いかけている先輩、パフェを頬張る先輩、別れ際に車の中で撮った2人の写真。全部、いい思い出になったなと見つめながら微笑む。そう、先輩にはずっとこんな笑顔でいて欲しかったのに。先輩から笑顔を奪って、俺は何をしたかったんだろう。つぅ、と涙が一筋落ちた気がした。
ピンポン、とインターホンがなる。色々考えてたから思ったより早かったな、と玄関を開き商品を受け取る。テーブルに広げてスコーンを皿に移しレンジで軽く温め、1口。うん、やっぱり美味いな、と思いながらフラぺチーノを1口。へぇ、今回はこんな味なのか、と思いながらラベルを見る。と、何かが書かれていることに気づく。なんだ、と思い凝視する。
可愛らしい狸の絵が書いてある。
そして、狸の横には小さな吹き出しがあって。
「会いたいな」、とだけ書いてあった。
シフト表を開く。
今は14時を少しすぎたところ。
目当ての人の今日の退勤時間は14時ちょうど。
…今から行けば、尾浜先輩に会える。けれど、昨日あんな事を言っておいて大丈夫なのだろうか、と悩む。それにもう退勤しただろうし。いやでも、もしかしたら、このメッセージを書いたが故に待っているかもしれない。フラぺチーノもスコーンも置きっぱなしのまま、上着と鍵だけ手にして家を出る。けれど、鍵を使うことは無かった。
いつもの所に、見覚えのある車が止まっている。フロントガラス越しに目が合って、彼は、少しはにかんで手を振った。急いで彼の車の方へ向かう。彼は窓を開けた。
「何、してるんすか…先輩」
「…出てきたってことは、見てくれたんだ」
「…見ました。本当、狡い人」
「へへ…」
乗ってよ、と言う彼に少し待っててくれとだけ言い玄関の鍵を締めに戻る。再び戻って助手席へ乗り込んだ。
「…この席、何人乗ったことがあるんですか」
「…それ、答え重要?」
「答え次第ですかね」
尾浜先輩は、何それ〜と笑いながら段々真剣な表情になる。そして、車出すね、と言って発進させた。
「どこに連れて行くつもりです?」
「…誰もいない、二人きりの場所がいいな」
「なんで連れていく先輩が願望言うんですか」
2人してけらけら笑う。この空気感は久しぶりだな、と思った。
「…先輩、この間の事なんですけど」
「……うん、」
「俺は、本気です。もう1回、言わせてください。俺、尾浜先輩のこと、好きです」
先輩が運転中だから此方を見ないのをいい事に顔を見てはっきり伝える。先輩は耳から頬へ、そして首へ。段々と赤くなっていて、可愛い人だな、と思った。
「…えっと。俺も、言いたいこと、あった」
「…なんですか」
「…鉢屋は、女の子からの人気があるから、いつか、俺以外の子を選ぶ日が、来る」
「それは先輩もでしょう。そもそも俺は、いつか尾浜先輩が女を選ぶ日が来ること前提で話してますよ」
「え?」
「え?ってなんですか、え?って。先輩はいつか俺の前からいなくなる前提で俺は告白しました」
「いや、それは鉢屋の方でしょ」
「いや、先輩ですよ」
「いやいや鉢屋が、」
「いやいや、先輩が…」
「「……ふふっ」」
2人で笑い合う、あぁなんだ、ただ2人とも空回っていただけじゃないか。車は日頃働いているところとは違うスタバのドライブスルーへ入った。
「何飲みたい?」
「今日はラテでお願いします」
「いつもオリジナルコーヒーなのに」
「甘く居たいんです今日は」
何それ、とけらけら笑って注文をする彼の横顔を眺める。やっぱり可愛い。注文を終えて少しだけ車を進めた彼の頬にキスを落とした。
「っな、!」
「ははっ、ごめんなさい。可愛くて」
「……あまい、」
「フラぺチーノといい勝負でしょう?」
顔を赤くして照れる彼を見つめる。可愛い。今日だけで何度可愛いと言っただろう。商品を受け取って店を出た車はすぐコンビニに停まった。次は何を買うんだろう、と思った時、先輩は自分のカバンを漁ってペンを取りだした。ラベルにラテと書かれた方に何かを書いていく。
「…はい、」
手渡されたそれを見ると、またあの狸がいて。今度はさらにもっと小さい吹き出しで、可愛い丸文字で「すきだよ」と書かれていた。
「…ふふ、これは狸くんが俺の事を好きってことかな〜?」
「……いじわるじゃん」
「はは、冗談です。先輩、俺のこと好きなんですね?」
やっぱりこの人は可愛い。余裕綽々で、女には困りませんみたいな顔をしているくせに「好き」の一言も素直に言えないなんて。少し口篭り窓の外を見た先輩は、此方に向き直り小さく口を開いた。
「…好きだよ」
「…俺も好きです」
やっと、やっと伝わった。嫌われている訳じゃなくて本当に良かった。先輩の頬に、手をそっと添えて。暖かいラテを持ったばかりの手だからか、「あったかい、」と呟きながら擦り寄ってくる先輩は本当に目の毒だ。
「…三郎って呼びたい。あと、タメで話したい、」
「いいよ、わかった。じゃあ俺は…勘、にしようかな」
「へへ、うん…」
勘、と呼ぶと彼はふにゃ、と微笑む。三郎、と言いながらこちらを見つめてくる彼にそっと顔を近づけると目を瞑るから、そのまま口付けた。
初めてのキスは、ラテの苦味と先輩のフラッペのクリームの甘さの混じった優しい味がした。