或る僧侶の独白――僕が僧侶になった理由? そんな珍しいものでもないよぉ。
僕の生家は奥羽の方の商家でさ。昔はそれなりに裕福だったみたいなんだけど、ほら、あれがあったじゃない? 天保のさ。そう、飢饉。
あれですっかり蓄えが尽きちゃったみたいで。一番幼かった僕が、お寺に入れられることになったんだよねぇ。
あ、そんな辛い話じゃないから。そりゃ、家族と離れるのは寂しかったけど……慣れちゃえば、そんなに悪いものでもなかったんだよね。
僕って、ちっちゃい頃、泣き虫で力もなくてさ、近所の歳の近い子たちによくいじめられてたんだ。女みたいだって。だから、そのいじめっ子たちから離れられるんだと思えば、むしろ嬉しかったくらいで。
お寺はさ、そりゃまぁ楽なことばかりじゃなかったけど……毎日の早起きとか掃除とかさ。北の方だったから冬の朝とかすっごく辛かった!
でも、少なくとも飢えないだけのご飯は食べさせてもらえたし、手習いもできた。歳の近い子が少なかったからか、いじめられることもなかったし。むしろ、かなり優しくしてもらってたと思うよ。
だからさ、僕としては、あれも恩返しだと思ってしてたんだよね。
……えーっと、あんまりこういうの、詳しくない感じ? ……そうなんだ。ううん、僕が勝手に知られちゃってるんだろうなって、思い込んでただけ。
つまりね、お坊さんって女の人とそういうことできないじゃない? 女犯って言ってね、罪になっちゃうの。
でも、だからと言って、欲がなくなるわけじゃない。……そうだよ、お坊さんだって人間だもの。お坊さんになった瞬間に、欲が消えてなくなるわけじゃないんだから。
でもね、女の人としちゃ駄目なだけなんだよね。……あ、さすがにもう分かった? そう、男の人とはね、していいんだよ。
大きい町には陰間って言って、そういうこと専門のお仕事してる男の子たちがいるんだけど……めちゃくちゃお代が高くて、そんなにしょっちゅうお相手してもらえる存在じゃない。しかも、僕んとこ田舎だったからさぁ、一番近い陰間茶屋でも、何日もかけて行かなきゃいけないの。
だからね、大抵はお寺の中でそういう役割の人を決めるの。それが、つまり――
……え? いいよいいよ。僕が聞いてほしくて話してるんだからさ。……もし嫌じゃなかったら、続きも聞いてほしいな。楽しい話じゃなくて申し訳ないけど。……いいの? ありがと。
――えっと、どこまで話したんだっけ? ……そうそう、僕がお寺の稚児だったって話ね。
まぁ、嫌じゃなかったって言ったら、嘘になるよね。最初はすごく痛かったし、怖かった。あんなに優しいみんなが、なんで夜になると僕をいじめるんだろうって思った。
でも、慣れてくると――そう、慣れちゃうんだよ、何事も回数を重ねるとさ。毎夜毎夜、代わる代わるみんなの欲を受け止めるなんて、慣れないと壊れちゃうよ。
そう、怖いとか、痛いとか、嫌だとかいう気持ちが薄れてくると、気付いたことがあったんだ。
みんなね、すっごく僕のこと有り難がるの。鈴蘭がいてくれて、自分たちは本当に果報者だって――
僕って、そりゃ確かにちょっとなよっちいけどさ、まぁ普通の男じゃんって思うでしょ? でも、あの閉ざされたお寺の中で男の人ばっかりと生活してると、日焼けしにくい肌とか、筋肉の付きにくい体とか、そういうのだけで女の人みたいって思えたらしいのね。
鈴蘭なんて呼ばれ方するようになったのも――あれっ、言ってなかったっけ? ……そうだよ〜。あだ名っていうか、符牒っていうか……お寺に入るまでは子どもの時の名前で呼ばれてたし、お寺で正式にもらった名前も他にちゃんとあったんだけどね。ほら、“鈴蘭”って、全然お坊さんっぽくないって思わなかった? 男の人の名前としても可憐すぎるし。
そう言えば、なんで鈴蘭なんだっけ……寒さに強い花だから、お寺の近くにもよく咲いてはいたけど。だから、たまたま目についたのかな? あと、春になると咲く花だから、拙僧たちに“春”を感じさせてくれる似合いの呼び名だな、なんて言われたこともあったなぁ。
……そう。大事にされてたんだよね。だから、それでいいと思ってた。僕には居場所があって、お寺のお坊さんたちには極楽浄土を垣間見た気分だなんて言ってもらって、家族は僕一人分の食い扶持を減らせて。
……うん、そう。思ってた、だよ。今はもう、そうは思えなくなっちゃった。
あのね、いつだったかなぁ……あんまりはっきり覚えてないんだよね、すっごく大事なことなのに。
でも、まだその時もお稚児してたから、それなりに若かったと思うよ。お稚児って、育って男っぽくなるとお役御免になるからね。
寒い季節じゃなかったと思う。雨がたくさん降ったから……寒い季節だったら、雨じゃなくて雪になってたはずだもの。
雨がたくさんたくさん降って、そこに地震がきて、色んなところで土砂崩れがたくさん起きた。
お寺は無事だったけど、檀家さんで巻き込まれたところが多くて、お坊さん総出で向かったんだ。お稚児の僕も、人手がいるだろうってついてったの。
……おうち一軒丸ごと、土砂に埋まっちゃったところがあってね。そこんちの人は、みんな巻き込まれて死んじゃってた。
うん……僕の、家族だった。着くまでに、見覚えのある風景で分かったし、何より、そこに、みんないたから。みんなの魂が、見えた。
僕の記憶より、みんな少し歳をとってた。
みんなも、僕のこと、分かってくれたみたいだった。僕は見えるだけで声は聞こえないんだけど、優しい顔で見てくれてた。……僕が元気で生きてるのを、喜んでくれてたように、見えた。
でも、あんな形で再会なんて、したくなかったなぁ……二度とみんなの顔が見られなくても、元気でいてほしかった。
それに。
それにね。
僕、何もできなかったの。
助けられなかったのは、もちろんなんだけど。
お寺に入って、
家族の中で一人だけ生き残ったのに、
僕、お経一つ、上げられなかったんだ。
知らなかった、から。
僕があの時お寺で学んでたことに、お坊さんとしての修行はほとんどなくて。
たおやかな女人のような筆跡で字が書けること。
白くて柔らかな肌を保つこと。
高くて細い鈴の音のような声で話すこと。
みんなを極楽浄土へ連れて行く手練手管――
そんなことしか、知らなかった。
大切だったのに。
大好きだったのに。
家族に、何も、何一つ、してあげられなかった。
……うん、そうかもしれない。
でも、自分で自分が許せなくて。
その足で、着の身着のまま、お寺に戻らず、あてもなく逃げ出した。
そう、逃げたんだよね、僕。自分の罪から。
……罪だよ。僕はそう思ってる。
ねぇ、「門前の小僧習わぬ経を読む」って、知ってる?
お寺の近くに住んでる子どもは習わなくてもお経を覚えてしまう、って意味なんだけど。
近くどころか、お寺に住んでても、覚えようとしなきゃ何も身につかないもんなんだねぇ。
でも、逃げ出してから、お経も祝詞もキリスト教のお祈りも、見様見真似で覚えたよ。
一番大事な人たちには間に合わなかったけど。
何人にお経を唱えたって、僕の罪が消えるわけじゃないけど。
それでも、他に償い方が分かんないんだよね。
――ふふっ。初めてこんなに自分の話したよ〜。
……ううん。別に、単にそんな機会なかっただけ。内緒にしてるわけじゃないし、誰に喋っちゃってもいいよ。
誰に知られてても、知られてなくても、僕がすることは変わんないし。
でも、聞いてもらってちょっと楽になった気がする。
これが懺悔ってやつなのかな?
聞いてくれて、ありがとね。