指につながるその先は授業中に新選組と聞いた途端、湯水のようにあふれ出した記憶は、自分がその新選組の一員だった事をありありと思い出させた。仲間の事、そのうちの一人と恋仲であった事、驚きと圧倒的な情報量に頭はいっぱいになり、気絶するように倒れたのはつい先日の話。
蘇った記憶を整理して、どう過ごしてきたかを思い出そうとしても、はっきりと記憶していたのは安倍晴明の霊を皆で倒して、その後も新選組として活動したと言う事だけ。思い出したかったのは恋人とどうなったのか、だったのに。肝心なそこは全く思い出せなかった。
思い出したかった理由はただ一つ。こうして自分が生まれ変わっているのだから、もしかしたら彼にも会えるのではないかと一縷の望みを抱いたからだった。ただ一目会いたいと。願わざるを得なかったからだった。
「山南敬助は、自死。つまり切腹したんだよ」
歴史の教員に問うた。彼の最期を知ればなにか分かるかも知れないと。けれど鼓膜を震わせたその言葉に、再び思考は停止した。沖田総司が介錯をして?そんなわけない。白ちゃんがそんな事するはずない。自分の知っている新選組は仲間にそんなことをするはずがない。そう言いたかったのに、言えるはずもなかった。自分が新選組の生まれ変わりで、そもそも新選組は、咎人たちの寄せ集めだなんて。
「そんなに山南が好きだったの?」
あからさまにと肩を落とした鈴蘭を見て、教員はそう声をかけた。
「そんな、所ですかね…」
「あ…なんか、ごめんね」
ははは、と乾いた笑いをもらす彼を横目に、職員室から出る。なにか少しでも手がかりがないだろうか。そんな風に思うんじゃなかった。知りたくない事を知らされて、求めた答えは得られなくて。胸の奥が酷く傷んだ。心臓を鷲掴みされたみたいだ。
「ソウゲンちゃんも、こんなの思いしながら研究してたのかな」
つい先日思い出したかったばかりの恋人の研究熱心な姿を想い、ぽろりとこぼす。発展していない時代に、医学の道を志したのはどうしてだろう。助けられなくて、救えなくて、辛くなかっただろうか。そんな事を考えながら、視界に病院があればじっと見つめてしまう。もしかしたら、今も医者として働いてるかもしれない。背の高い白衣の人を見つめては、想い人ではなく肩を落とす。生まれ変わっているかどうかも分からない人を探すなんて無謀かも知れないと、何度目か分からない大きなため息をつき、昔とは違う髪の短い自分の姿が病院のガラスに写ったのを見て、そもそも姿形が同じとも限らないのにと、重たい足を半ば無理やり動かした。
それからも、ソウゲンの手掛かりを求め鈴蘭はあちこちと歩き回った。ゆかりの地、資料館、図書館。思いつく事は何でもした。けれど、なんの成果も得られなかった。記憶も今以上には思い出せないし、他の仲間たちにだって会えない。段々と諦めの気持ちの方が強くなり、ただなんとなく、彼の影を求めて図書館に足を運ぶ事が増えた。よく分からない難しい本に囲まれていると、なんだか彼の部屋に訪れて居るような気分になって少しだけ満たされた気持ちになった。
「………ん…?」
医学書の間に、古い冊子を見つけた。随分古い書物のようで、なんとなく懐かしい気がする。どこかで見たものかもしれないと、真新しい分厚い本に挟まれたそれを取り出そうと、床に近い本棚に近づくように腰を落とした。しかし、…取り出そうとしても分厚い本に邪魔されて出せそうにない。
「ん…なんでだよぉ〜」
体重を利用して後ろに引く。けれどその本はするりと手から抜け出して鈴蘭の身体だけが後ろへ倒れる。頭を打つと思ったのに、後ろ頭はどこにも打たず優しい何かに支えられた。
「大丈夫なのです?」
鼓膜に響く柔らかい声、背中に触れる骨張った指。のぞき込んだその顔には長い前髪の影が掛かっている。
「…ッ!…そっ!」
ソウゲンちゃん!と名前を呼ぼうとしたら思ったよりも大きな声が出て、その声が響く。口を彼の手で優しく覆われて、シーッと歯を見せて笑われた。そういえばここは図書館だったと慌てて口を手で塞ぐ。すると、彼が何やらひどく楽しそうに微笑んで、黙ったまま鈴蘭を立たせた。腰やお尻の床に着いたところをポンポンと優しく払い、右手を握って歩き出す。どこに行くの?それを聞こうにも、驚きのほうが強く動揺を隠すように、口を覆う方の力ばかりが増していく。
成すがまま、ソウゲンの後をついて歩きたどり着いたのは、図書館の外にあるベンチだった。座らされて、ギュッと口を覆っていた手を少し強い力で引き離された。その手を包みながら、ソウゲンは芝生へ膝をついて鈴蘭の顔をのぞき込んだ。
「もう、声を出しても大丈夫なのです」
彼の容姿は相変わらず、するりと長身で心配になる位細い。長いのは前髪だけではなかった。お団子にはしていないけれど後ろで一つに纏められたその髪は、まるで動物の尻尾のようだった。話して良いと言われても、色んな事で頭がいっぱいで何から話したらいいかなんて、何も分からなかった。話したい事はいっぱい有るのに、じわりと視界が歪み、目の前のソウゲンが困った様に眉間にシワを寄せる。
「泣いてしまうほど、嬉しかったのです?」
優しい指が下睫毛を撫でる。温かい指が頬に触れると同時に視界を歪ませていた涙がぽろりと溢れた。
「ん…」
絞り出した声は、言葉なんかと言えるものでは無くて、ただただ小さく唸っただけだった。1つ涙が溢れれば次々と涙は頬を流れて、ソウゲンの指先だけでは掬いきれなくなって。今度は慌ててポケットからハンカチを取り出した。
「…ありがと…」
高そうな柔らかい生地なのに、シワシワになっているのが彼らしくて、本当にソウゲンちゃんに会えたのだと実感して。顔に触れて感じた香りが昔を思い出せてまた目頭が熱くなって、そこを隠すようにハンカチでぎゅうとそこを押さえた。
「……実はずっと、鈴蘭殿が近くに居ると知っていたのです。時々すれ違って居たのですが…鈴蘭殿はとても小さくて、小生に気がついていないようでしたので…それでも良いのかなと思っていたのです。……貴方が元気に過ごしてくれていれば」
ハンカチから顔を上げると、地面を見つめ静かに話すソウゲンの姿。その目には僅か涙が浮かんでいるのが見えた。僕よりもずっとずっと長い間僕を探していたのか。そう思うとまたギュッと胸が締め付けられた。鈴蘭がハンカチの隙間から見つめているのに気がついたのか、ソウゲンは恥ずかしそうに涙を払いその手で、髪を撫で付けるように鈴蘭の頭を撫でた。
「髪はまだ短いのですね、…高校生でしたか?それなら仕方ないのですが…小生は指の隙間を流れる綺麗な菖蒲色の髪が好きでした」
未だ短い髪を耳にかけ、今度は耳朶を指先でなぞる。そこには昔のような飾りも、それをつける穴もまだ無い。
「ピアスも、まだですね。白い肌によく映えていて好きでしたよ。……開ける予定はあるのですか?もしそれなら小生に開けさせてください」
口を開けば次々溢れる愛の言葉にその白い肌は真っ赤に染まる。
「…なんで、そんなに……雄弁になってるの?」
相変わらず、ハンカチで顔を隠したまま。それでも繋いだ手はそのままで、嬉しいと伝わればいいと少しだけ力を込める。それなのに、ソウゲンの方がその手を離して、手の平の上に鈴蘭の手をのせて、優しく撫でる。そして、額をそこに寄せて祈るように瞼を閉じた。
「どれ位長い間、この気持ちを秘めていたと思うのです?」
長い前髪が掛かりよくは見えないけれど、薬指の付け根に。カサついた唇が触れた。
「…何があっても離せないと思うのです。覚悟は出来ていますか?」
もう一度、今度はしっかりとそこに唇の感触。持ち上げた瞼の奥にある瞳は、静かに火を灯しながら、じっと返事を待っていて。返事をするまで手も、唇も離さないと言っているようだった。鈴蘭は小さく小さく頷いた。するとどうだ、さっきまでの射抜く瞳は再び瞼の裏に隠れてしまって、安堵からか、深く息を吐きだしてそこに座り込み、鈴蘭の膝の間に顔を埋めた。眉間に深く深く皺が寄り、何度も何度も肩が上下した。
「……良かったのです」
小さく掠れた声がして、鈴蘭は彼が自分よりも長く不安の中に居たのだと理解する。膝の上にのった彼の額。落ち着かせるように撫でると、肩に乗る長い髪が目についた。優しく撫でて、指の隙間に通す。すると、前にもこうした事を。そしてそれがひどく好きだったのを思い出して、胸の奥がぶわりと熱くなる。
「僕も髪、伸ばすね」
聞こえない位の小さな声で言ったつもりだったのに彼の耳にはちゃんと届いてみたいで、顔を上げたその表情は嬉しそうに破顔していた。