【飯P】手の中の秘密 「ピッコロさん。僕に秘密にしてることって、ありますか?」
午後おそい光に満ちた僕の部屋で、ピッコロさんは机の本を見るともなしに捲っていた。窓から吹き込む初春の風はまだ少し冷たいが、ピッコロさんのマントを揺らすほどの強さはない。昼というには遅く、夕方というには早い、なんとも間延びした時間帯だ。
「……話したら、秘密ではなくならないか」
「まぁ、確かに……じゃあ、そろそろ白状してもいいかなっていう秘密」
ピッコロさんは本を閉じて、少し思案する。窓からのやわらかい光がその横顔を照らし、よりいっそう思慮深い印象にしていた。
「人に話させる前に、お前はあるのか?」
「僕は、いーっぱいありますよ。荒野でマント踏んづけて汚したのに、知らん振りしてたのとか……」
覚えていたのかいないのか、ピッコロさんは少し嫌な顔をする。尤も、あの時はすぐに新しいものに取り替えていたから、僕も人知れずほっとした記憶がある。今ならすぐ「踏んじゃった、ごめんなさい」と言うだろうが、あの頃はまだ、僕らはさほど打ち解けていなかった。思えば、あれからずいぶん経ったものだ。
「神殿の前庭でピッコロさんのグラスを落として割ったのに、風で落ちたのかな? って、誤魔化したこととか」
あれ以来、ピッコロさんは風の強い日はガーデンテーブルで水を飲まなくなった。逐一、水を飲むためだけに神殿の中まで戻っていくのだ。僕はそのたび、罪悪感を覚えているが、時間が経つにつれ言うに言えなくなっていた。まったく、妙な秘密など抱えるものではない。
ピッコロさんは椅子を引いて、ゆったりと腰掛ける。窓に背を向けているから、身体の輪郭が陽光でくっきりと浮かび上がる。長身のピッコロさんに、僕の部屋の椅子は座面が低すぎて、長い脚がもて余されていた。
「創立記念日ですって言って会いに行った時、本当は悩みがあって、学校サボってたこととか」
この時は、翌年の同じ日の夜に会った時に「今日は休みじゃなかったのか」なんて尋ねられて、すっかり忘れていた僕は冷や汗が吹き出た。けれど、素直に「悩みがあって、休みました」と言えなかったのは仕方がない。この人への思慕や尊敬が、いつしか恋慕へ変わってしまっていたことこそが、僕の悩みだったのだから。
窓から遠く見える蝋梅には、透き通った黄色い花が華やかに咲いている。近くまで行けば、きっと匂いも分かるだろう。小さな蝶の姿もあり、いよいよ本格的に春が訪れることを感じさせた。
ピッコロさんは脚を組み直し、それから大きくため息をついた。
「呆れたな。もう終わりだろうな?」
「まだありますよ」
僕は無造作に膝へ置かれていたピッコロさんの手をとって、少し見下ろす形になる瞳をじっと見つめた。
「……この前、ピッコロさんがうたた寝してる時、こっそりキスしたこととか」
ピッコロさんは、ほんの一瞬だけ息を呑んで、戸惑うように目を逸らした。なのに意外にも、再び僕の方へ戻されたまなざしは、穏やかなものだった。
「……そうか」
なんとも平らかな返事に、僕は軽い混乱を覚える。良い、とも悪い、とも言わないピッコロさんの面差しからは、感情が読み取れない。
「おれの秘密は」
僕が握っていた手を、ピッコロさんがゆるく握り返してくれる。
「お前が話した秘密の中の一つを、とうに知っていたことだな」
途端、僕の鼓動が早まる。
手のひらを伝わって、ピッコロさんにも分かってしまうのではないかと焦り、慌てて深呼吸した。
「……それ、どの秘密のことですか?」
ピッコロさんが椅子から立ち上がる。僕はいつも通り、見下ろされる形になる。窓からの陽光で影が伸び、僕はその中に飲み込まれた。
「……秘密だ」
逆光の中で、微笑のかたちに変わった瞳が、くっきりと際立つ。
その「秘密」は、いずれ共有させてもらえるだろうか? 握られたままの手のひらの体温を感じると、少しは希望が持てそうな気がした。