【飯P】学びたくば 殆ど使われない神殿の客間で、悟飯は今日も机に向かっていた。少し前までは鬱陶しいほどピッコロにまとわりついていたのに、ここ数日は、ちょっと頭を下げただけですぐ客間に閉じ籠ってしまう。
社会で普通に生きていくためには、武術にだけ打ち込んでいれば良いというものでもないのだろう。戦いの中に生きていた悟飯が、全うな大人になろうとしていることは、ピッコロにとっても喜ばしいことのはずだった。
日が暮れかけて、部屋は薄暗い。ピッコロがさっき様子を見に来た時と同じ位置にティーカップがあり、量は全く減っていなかった。
「ずいぶん根を詰めているな」
「まぁ、ちょっと……」
「体がなまっていやしないか?」
ああ、とかええ、とか、気のない返事をして、悟飯は顔も上げない。ピッコロは妙に苛立ち、本を取り上げた。悟飯がはじめて目線を寄越して、驚いた顔をする。
「話しかけられているのに、その態度はどうなんだ」
悟飯はむっとした様子で立ち上がり、ピッコロから本を引ったくった。
「ピッコロさんこそ、勉強の邪魔をするなんてマナー違反です」
「なんだと……わざわざここまで来ているくせに、毎回、来るなり閉じ籠りやがって。それなら、自分の家でやれ」
「だって、神殿の本を外に持ち出せないでしょう」
――神殿の本?
意外な返答に、ピッコロは言葉に詰まる。自分の本を持ち込んでいるものとばかり、思い込んでいた。
神殿には確かに、先代の神が残した本が多くあった。歴史書に、生物、植物、海洋、地学、天文、美術に宗教……いったい何の本なのか気になり、ピッコロは悟飯の手元を覗き込もうとする。途端、悟飯は脇に置いてあったノートを引き寄せ、本を隠した。
「……何の本だ?」
「何でもいいじゃないですか、別に」
悟飯は目を逸らし、早口に言い捨てる。これは、後ろめたいことがある時の口振りだ。
「そうか。続けるなら明かりを灯せよ」
気のない言い種で、ピッコロが扉の方を振り返ると、明らかにほっとした空気が感じられる。不意打ちで手を伸ばして、ピッコロは再び本を奪い取った。悟飯が声を上げるが、もう遅い。
それは、ナメック語で書かれた医学書だった。
「なんだ……デンデの本か? 何故お前がこれを読める?」
「それは……読む部分をそのノートに、デンデに訳してもらってて……本は、図を見るために……」
歯切れ悪く白状する悟飯に、ピッコロは呆気にとられた。仮にも神であるデンデに、下働きのようなことを……本来なら叱りつけるべきだろうが、それ以前に脱力感に襲われる。
「神を顎で使うな……」
「ほら、怒られると思ったから隠したのに」
「当たり前だ。おれに言え、デンデにやらせるくらいなら」
「頼めませんよ! ピッコロさんのために勉強してるんだから」
悟飯は半ば自棄になった様子で、本のページを開いてピッコロに突きつけた。医学書といっても専門的なものではなく、万人に理解できるごく易しいものだ。ナメックの柔軟性の高い身体、骨と筋肉の構成、内臓の役割、ちょっとした不調に対応する術。
「何故それがおれの……不調など起きたことはない」
「違うよ! 今は性別のないピッコロさんたちが、ここを使って弊害はないのか、位置的にどんな臓器が影響を受けそうか、心配になって……今更だけど……デンデに相談したら、関係がありそうなところを訳してくれるって言うから……」
ピッコロは再び、呆気にとられた。
つまり、悟飯はデンデに、「ここを使う」時のことを洗いざらい話したと言うことか? 一体いつ? デンデが、悟飯が来る日に、やけに「ゆっくりして下さい」「たまには、どこかへ泊まってきたらどうですか?」と薦めて来たのは、つまり……。
「……こんなものを読むな。学びたくば、おれを見ろ」
「え?」
「実技で学べ」
ピッコロが静かに告げると、悟飯はわずかに赤面した。赤面したいのは、ピッコロの方だ、この後どんな顔でデンデに会えば良いのか……。
「いいな、もう余計なことを考えるな。気がかりあらば、お前になら何でも教えるし見せる」
途端に悟飯のまなざしが熱を帯びたのに、ピッコロは気付かない。自分がどれほど、危ういことを言っているのかにも。
「……じゃあ、今夜ぼく、泊まりに来ていいですか?」
「ああ、外へ泊まりに行って、変な風に思われるよりずっと良い。誰にも見つかるな」
窓から這い込む夕陽が、すっかり冷えたティーカップの水面を眩しく彩っている。もちろんです、勉強させてもらいます、と微笑んだ悟飯には、もはや赤面の名残すらなかった。