【飯P】りんごと共に煮えるもの 「自炊しているんだな、感心じゃないか」
コンロにかかった小鍋をかき混ぜる後ろ姿は、部屋を見回しながら呟いたピッコロに笑って答えた。
「毎食買ってたら、お金がいくらあっても足りませんよ。大食らいですし」
「……確かにな」
一人住まいをはじめたばかりの悟飯の部屋に、まだ物は少なかった。二人掛けのテーブルとベッド、台所には冷蔵庫と一口のコンロだけが辛うじて並べてある。晩春の午後、真新しいカーテンのかかった窓の外は、穏やかな色合いに晴れていた。
「それに、大きな鍋に作っておけば、毎日作らなくても、何日か食べられるから……ほら、そこにあるでしょ?」
調理台を兼ねているようなささやかなカウンターに、十人分は煮込める容量のシチュー鍋が鎮座していた。
「鍋を置きっ放しにできない真夏どうするかは、考え中ですけど」
火をごく小さくして、悟飯は小鍋をかき混ぜていた木べらを傍らに置く。部屋中に、小鍋から立ち上る甘い匂いが漂っていた。りんごとレーズン、はちみつにレモン。
「それは、何を作っている?」
「職場でりんごを沢山もらったから……日持ちするように煮てるだけ」
「煮ると日持ちがするのか」
「大抵の物はね……」
悟飯の肩越しに、ピッコロも小鍋を覗き込む。ぐずぐずと角のなくなったくし切りのりんごに、レーズンと、レモンの皮が絡んでいる。ジャムというには形を保っているし、コンポートにしてはやや崩れすぎていた。
「味見します? 煮汁の部分だけ。口開けて」
ステンレスの匙が鼻先に差し出され、ピッコロは仕方なく口を開けた。悟飯の手によって差し込まれた匙から、とろりと熱い煮汁が注がれる。舌が焼けるほどに甘く、りんごの香りの奥に、かすかにレモンの風味がある……なんとコメントすれば良いのか分からず、ピッコロはただ頷いた。
「……僕が長いこと煮込んで煮込んで、煮すぎたものも、ピッコロさんは受け取ってくれるのかな」
「今、受け取ったじゃないか」
「りんごのことじゃ、ないですよ」
声をたてて笑いながら、悟飯は匙をシンクに放り込む。ステンレスがステンレスへぶつかる高い音が響き、すぐに消えた。
「ピッコロさんにはじめて会った時の気持……敬愛か、親愛か、憧憬か、どんな料理になるのか分からなかったけど、何年も煮込んでる内に、分かってきました」
一歩身体を寄せてきた悟飯を警戒し、ピッコロは敢えて突き放すように答える。
「……お前が分かっても、おれが受け取るかは、また別の問題だ」
「そうですか? だけど、ほら」
悟飯は引き出しから、無造作に匙を取り出す。今度は木製の匙だ。この家の食器には、統一感というものがない。
煮込んだりんごの上澄みをすくって、悟飯は再びピッコロへ匙を突き付けた。反射的に開けたピッコロの口の中が、蕩けるような甘さと、りんごの香りに満ちる。
「やっぱり。僕が差し出すと、ピッコロさんって必ず、受け取ってくれる。水以外のもの、いらないはずなのに。昔からずっとそう」
なんとも不敵に笑って、悟飯は引き抜いた木匙を舐めた。少し甘いな、と誰にともなく呟く。
「それに、すぐ受け取ってもらえなかったとしても、煮たものは日持ちがしますからね。気持だってそう。今さら長期戦を恐れる理由なんて、ありませんから」
小鍋の火を消して、悟飯が蓋を閉じる。ふつふつと音をたてて煮えていたりんごが、名残惜しそうに静まった。悟飯の片手が伸びてきて、ピッコロの腰を引き寄せようとする。
「それでピッコロさん、どうでした? 味は」
「……おれには、甘すぎる」
「慣れますよ、すぐに」
悟飯が握っていた匙が、再びシンクに放り込まれる。今度は先程より、少しだけやわらかい音がした。