七灰ワンドロワンライ35.『花火』.
最近ちょっといい感じになっているバイト先の先輩に誘われてやってきた花火大会。
本当にここが東京?と信じられないくらいの田舎だったけれど、駅前から続くお祭りの出店も都心にはない懐かしさがあって楽しかったし、結構いい雰囲気になっていたと思う。
しかし、花火が見えやすいという神社の敷地内の端っこで場所を確保した時、さっきの通りで最近流行っているスイーツの屋台を見つけたからと、私は一人ポツンとその場に残されることになったのだ。
さっき色々食べたから大丈夫ですと言ったが、張り切っている様子の彼は遠慮しないでと聞き入れてくれなかった。ちなみに、その屋台のスイーツは私が今一番ハマっているものだ。
それに、実は先輩が同じバイト先の私の友達に、私の好きな物のこっそりリサーチをしていたことも、先輩の携帯のメモ画面にその一覧が載っていることも私は知っている。(勝手に見たわけではなく先輩が迂闊だから見えたのだ)
そこまで頑張ってくれているところも、本当は神社へ来る途中に買うつもりだったのをうっかり忘れた抜けているところも可愛い。きっと今日告白されるんだろうなぁ、と先輩の挙動のぎこちなさから感じとっていたし、もちろん私の返事はオーケーだ。
でも、せっかくなら打ち上がるまでの時間も二人で楽しみたかったな。こんなドキドキ、きっと一度きりだと思うのに。
そう少ししょんぼりしながらあてもなく携帯をいじっていると、数歩離れたところに背の高い金髪の男の子が立っていたことに私は気がついた。
ここは花火見物の穴場らしいが、神社の敷地内では少し外れた場所になる。それでも、家族連れに数人組のグループ、私と先輩のようなカップルもちらほらいるから、治安としては然程心配しなくても大丈夫だろう。
ただ、私はどうにもその男の子のことが気になった。染めたものではなさそうな綺麗な金髪、高い鼻筋、ちらりと見えた瞳は不思議な緑色をしていて、気難しそうに結ばれている口元もクールで格好いい。正直、それだけならモデルさんかなと少し感嘆しているくらいだったはずだ。
ただ、学ランに似ている上下黒の服は砂埃に塗れていて、所々破けていたのだ。
もしかして……ヤンキー?
男の子はスタイルの良さに加えて、美少年と言っていいくらい整った顔立ちをしていた。
けれど、眉間には深い皺が刻まれていて、薄めの唇も不機嫌そうなへの字で固定されている。さらには、頬には擦り傷があるように見えるし、時折携帯をいじる右手にもぐるりと微かに赤く滲んだ包帯が巻いてある。
右肩に掛けている真っ黒な鞄も一見フルートやピッコロのケースにも似ているけれど普通のものより大きくて細長いし、そもそもこんな場所にフルートやピッコロなんて似合わない。(服の汚れや傷がなければ彼の雰囲気にバッチリ合っているけれど)
どこかで喧嘩したあととか?
カバンの中身はもしかして凶器?
なんか、醸し出す雰囲気がただのヤンキーっていうよりもっと裏社会っぽい感じがする。
どこかのチームのトップとか?
えー!あんな綺麗な顔してるのに!?
別に人をまじまじと観察する趣味はないはずだが、一人ぽつんと残され暇を持て余していた私の脳内は、ミステリアスな美少年について好き勝手に妄想を繰り広げていた。
しかし、私の意識は遠くから聞こえた大きな声の方へ引っ張られた。
「あっ!いたいた!!」
ちらりと振り返ると、遠くの方から黒髪の男の子が小走りで駆け寄ってくるところだった。その男の子も上下黒の服だったが、上着の丈はとても短い。最近珍しい短ランというやつだが、中の白いTシャツがやたらと爽やかに見えてなんだかアンバランスだ。
「おーい!ナナミー!」
まだ結構距離があるのに、彼はまた大きな声を出した。けれど明るくて朗らかな雰囲気の声は威圧感も不快感もどこにもない。
誰かと待ち合わせだろうか。ナナミと言っていたから彼女かな?そう思った時。予想外のところから声が聞こえ、私の脳内は一時停止した。
「そんな大きな声で呼ばなくても聞こえてる」
声の出どころは私の数歩隣。金髪ヤンキー美少年。
当たり前と言うべきか、爽やか黒髪少年は金髪ヤンキー美少年の隣で足を止めた。
「ごめんごめん!待たせちゃったからさー!あ、なんか美味しそうな出店あったからいっぱい買ってきた!」
「それを買ってたから遅くなったんだな」
「だって今日の任務すごい走り回ったからさぁ、お腹ペコペコなんだもん」
「先に言ってくれたら適当に買っておいたのに」
「それは悪いよー!だって七海も今日の任務は大変そうだって、朝行くときぼやいてたじゃん」
「でも私の方が早く終わったわけだし、変に遠慮なんかしなくていいからな」
「わかったぁ。ありがと、七海」
フリーズする私なんて知る由もない二人は、一通り会話し終えるとその場にしゃがんで黒髪の男の子が持つたくさんの出店のビニール袋の中身を広げだした。
七海と呼ばれた金髪の子は随分と大人びていて正直何歳か分からなかったけれど、黒髪の子は高校生っぽいからきっと同年代なのだろう。私のいる方に灰原くんが座ったから七海くんの顔は見づらくなってしまったが、どことなく雰囲気が柔らかくなったような気もする。
「僕はまずイカ焼きー!七海は?」
「じゃあ溶けそうだから先にかき氷をもらうよ。灰原はどっちの味にするんだ?」
「えー、迷うなぁ。七海好きなの選びなよ」
「そうだな……じゃあイチゴで。というか、あとで交換しないか?」
「いいよー!」
灰原と呼ばれた男の子は大きな瞳をキラキラと輝かせながら返事をして、イカ焼きにかぶり付こうとしている。七海くんの方も、灰原くんの大きく膨らんだ頬を見てからイチゴのかき氷をスプーンでシャクシャクと崩し始めた。
なんだ、友達と待ち合わせだったんだ。なんか全然普通だったなぁ。
でも、いくら一人残されて暇だからって変な妄想して盛り上がるなんて、ちょっと反省。
だが、灰原くんの方も結構服はボロボロで、よく見るとTシャツの裾が破れている。ハムスターみたいにまん丸くなったほっぺたには絆創膏が貼ってあるし、イカ焼きの棒を握る手も節々が赤く腫れて薄っすら血が滲んでいるようにも見えた。
あんなにいい子そうなのにあの子もヤンキー?だって、拳が赤くなるのって何かを殴った時くらいだよね。服が破れるなんて、普通に暮らしてたらそうないし。
実はツートップとか、二人で一つとか、地元じゃ負け知らずとか。
そういえば、なんか任務とか言ってたよね。
えっ……任務って何?
一度は冷静になったはずの私の頭は、再び謎の少年二人組について思考を巡らせ始める。
そんな時、夜空に光の花が咲いたと思えば、腹に響く炸裂音が鳴り響いた。
「わー!始まったね!」
「きれーい!」
「あ!また上がった!」
反射的に顔を上げた私の視界に、カラフルで眩しい花火が次々と弾けては散る。周囲の人たちも一様に夜空を見上げているようで、耳に届くのは楽しそうな歓声ばかり。
しかし、視界の端にふとある光景が入った。
私が今の今まで盗み見ていた方向。
七海くんと灰原くん。
いつの間にかイカ焼きを食べ終えていた灰原くんは、花火の上がる夜空を見上げながら焼きとうもろこしをかじっている。それだけなら、まあ食いしん坊ならよくある光景だろう。ただ、私が釘付けになったのはその向こう。
花火が打ちあがる夜空ではなく、隣の灰原くんをじっと見つめている七海くんだ。
最初見た時は深い皺が刻まれていた眉間はすっかり緩んでいるし、鋭角のへの字だった口元も綺麗な逆向きのアーチを描いている。そして何よりも、スッと細まった切れ長の瞳は灰原くんだけを捉えているのだ。
灰原くんが来た時から雰囲気が柔らかくなっていた。ただ、それは友達が来たからで、それ以上でも以下でもないと思っていた。
でも、あれは違う。ただの友達に向ける表情じゃない。
恋した相手へ向ける表情だ。
その結論を導き出した私の頭から、二人がヤンキーや裏社会の人間かどうかなんて疑念はすっかり消え去っていた。
えー!なにもしかして片想い中?
待ってる時あんなに不機嫌な顔してたのも早く灰原くんに会いたかったからとか?
携帯何回も触ってたのも灰原くんへメールを返してたからかな?
うわー!なんかかわいー!
勝手に予想を繰り広げているうち、ミステリアスだった七海くんが一気に思春期の不器用な男の子に見えてくる。その間も花火は何発か打ち上がっていたが、七海くんはたまに夜空を見上げるフリをしつつ、視線はずっと灰原くんを捉えていた。
ていうか、灰原くんは七海くんのことどう思ってるんだろ。
失礼だけどなんか鈍そうだから、全然気がついてなさそうだな。
七海くんかなりガン見してるけど。
うん、頑張れ七海くん。
ここの花火大会は規模が小さくて、花火と花火の間に少しインターバルがあるらしい。一旦辺りが静かになり、夜空を見上げていた人たちがそれぞれ談笑し始める。
「思ってたより迫力あるねー!」
「本当だな」
「今年は地元の花火大会行けないなー、って思ってたから今日ここで花火大会あるの教えてもらえてよかったぁ」
「そうだな。夏油さんに感謝だな」
「うん!それに七海も任務終わりなのに付き合ってくれてありがとね」
「別に帰っても報告書を書くくらいだからな。私こそ、誘ってくれてありがとう」
おやおや?花火大会に誘ったのは灰原くんの方だったんだ。
友達と夏を楽しもうって感じなだったのかな。
でも、七海くんに取ったらラッキーだよね。
チャンスをものにしろ七海くん!
先輩は全然帰ってこないけど、初々しい恋路のおかげで退屈せずに済んでいる。
内心感謝しつつ、唐揚げを摘んでいる二人を微笑ましく見守っていると再びの花火が打ち上がった。どうやらさっきのはオープニングだったようで、次々と夜空に弾ける花火はさっきよりも数倍迫力がある。
私もちょっとくらい花火楽しもうかな。
そう思い、顔を上げようとした時。また私の視界にある光景が入り込んだ。
灰原くんの横顔をガン見していた七海くんも、流石に視線を夜空へと移している。
ただ、唐揚げからベビーカステラへとシフトチェンジした灰原くんは、紙袋からベビーカステラを摘むたびチラチラと七海くんの方を向いていたのだ。
えっ、なに?
しかし灰原くんはそういう小細工が上手くないらしい。不自然な動きを繰り返しているうち、七海くんがおずおずと灰原くんの方へ顔を向けた。
目が合ったのか慌てる灰原くん。食い下がるように何か言う七海くん。
花火の音のせいで二人がどんな会話をしているのかは分からない。ただ、七海くんの顔がじわじわと赤くなっているように見えたのは、赤い花火が打ち上がっただけではないと思った。
何かを誤魔化すように手を振っていた灰原くんの手首を七海くんが掴んだ。灰原くんの方へ距離を詰めた七海くんの口が大きく開いていく。
「気持ち悪くなんてない!私もさっきずっと見てた!……灰原が好きだからっ!」
ちょうど花火の合間で静まっていたから、七海くんの声がはっきりと耳に届いた。
待って待って待って。
チャンスをものにしろとは思ったけど、まさか告白まで飛ぶなんて。
七海くんああ見えて結構大胆だな。
いや、そんなことよりも今は灰原くんの反応だ。
七海くんの方を向いているから灰原くんの表情は見えるわけもない。ただ、灰原くんの手首を掴んだままの七海くんが、ぐっと唇を結んで灰原くんを見つめていることだけは分かった。
そうこうしているうちに、次の花火が打ち上がった。二人の声は聞こえない。
しかし、ちょうど大きなピンク色の花火が打ち上がった時。
七海くんの方へ灰原くんの顔が近づいた。
ほんの一瞬、灰原くんの後ろ姿に七海くんが完全に隠れる。その間に何があったのか、私には何も分からない。
けれど、少し身体を引いた灰原くんの向こうに見えた七海くんの表情が驚きと喜びで満ち溢れていることは、誰が見ても明らかだった。
二人はもう花火なんてそっちのけで、顔を見合わせてもじもじしている。ようやく前を向いた灰原くんも、嬉し恥ずかしといった様子で残っていたチョコバナナへ口を付けた。
ただ、半分ほど食べたところで、七海くんが灰原くんの口の端についたチョコを指で拭ったから、こっちの方が恥ずかしくなってしまった。
すごい。まさか恋が成就する瞬間を目撃してしまうなんて。
ていうか、七海くんあんな涼しい顔して積極的なのか。末恐ろしい。
想いが通じ合った途端イチャつき始めた二人を横目に、火照った頬をパタパタと手で扇ぐ。するとそこでようやく先輩が戻ってきた。
「ごめん!!」
思ってたより時間かかって、メールも電話したんだけど。ううん、俺が悪いよな。ごめん、花火最初から見れなくて。
そうゼイゼイと息を切らして弁明する先輩の手には、可愛らしいカップに入ったシフォンケーキとアイスのパフェがある。ちゃんと私が好きなチョコ味だ。
全然いいですよ。ありがとうございます。可愛い、美味しそう!
そう笑って返し、先輩を隣に座らせる。けれど、先輩は申し訳なさそうに膝を抱えていた。
こんなに落ち込んでいるから、もしかすると今日は告白してこないのかもしれない。これだけ待たせたのだから、当然と言えるだろう。
別にそんなことで先輩を嫌いになるわけはない。けれど、いつもの私なら次の機会を待つ選択をするところだろう。
しかし、ついさっきあんなに可愛くて初々しくて情熱的な恋の始まりを目撃してしまったのだ。
私も自分で恋を実らせてやる!
なんて気持ちが芽生えるのは何もおかしくない。
先輩をチラリと盗み見る。しょんぼりしながらもちゃんと花火を見上げている真面目なところがなんだか可愛くて、つい小さく笑いがこぼれた。
花火が終わったら、その情けない顔を満面の笑みにしてあげるから。
そう思ってから、私は先輩の向こうに見える出来立てホヤホヤの可愛いカップルへ心の中でお礼を言った。