きみと俺の物語 叶わない約束だと分かっていた。
『次の月食も、君と見たいな』
来主が来主である限り、俺が俺である限り、添い遂げることなど出来はしないと理解していた。
それでも、願う気持ちは抑えられなくて。
『願わくは、この子との時間をもう少し』
この世に奇跡というものがあるのなら、どうか、あと少しだけ―――
「僕は来主操。君は…だれ?」
***
波の音だけが辺りに響いている。空にはいつかの夜と同じ満月が輝いているのに、隣にあいつがいない。綺麗だと思った月が色褪せて感じるのはそのせいだろうか。
「……甲洋」
波音の間を縫って聞こえた静かな声。振り返らなくてもどんな顔をしてるか目に浮かんで、そんな顔をさせてしまう程に心を隠せていない自分に内心舌打ちをした。
「どうしたの、一騎。こんな時間に出歩いてたら心配されるだろ」
「お前が心配だから来たんだよ」
随分とストレートな物言いをするようになった親友は、俺が振り返らないことを悟るとゆっくり歩いて俺の隣に立った。放っておいて欲しいと思っていたのに、こうして当たり前のように隣に来てくれることに心が安らぐ。なんて我が儘なんだろう。
「……会いに行かないのか。まだ、名前も教えてないんだろ」
そっと、けれど一気に踏み込んでくる一騎に思わず苦笑してしまう。それはきっと、遠見や剣司をはじめ、俺とあいつのことを知ってたみんなが言おうとして言えなかった言葉だ。
「どんな顔をすればいいのか、分からない」
一騎が驚いたように俺を見た。素直に答えたのが意外だったみたいだ。そうだろうね、俺もびっくりしてる。
今更取り繕ったところで意味がない、ただそれだけ。
「どんな、って……普通に、してればいいだろ」
「あの日のお前みたいに?」
これ以上踏み込まれたくなくて、敢えて視線を交えてから意図的に痛いところを突く。瞠目した一騎は目を伏せると小さく「ごめん」と呟いた。謝らなきゃならないことをしたのは俺の方なのに。どこまでも優しい奴だ。
諦めて帰るかと思った一騎は、しかしその場を動こうとはしなかった。何を言うでもなく、何をするでもなく、ただ、俺の隣で海を眺めている。
どれくらいそうしていただろう。再び、一騎が沈黙を破る。
「……ひとりでいても、いいこと、ないぞ」
「…経験談?」
「ん」
一騎がこくりと頷いた、そのとき。
「かーずきー!」
潮騒を掻き消す元気な声が聞こえた。少年にしては少し低めの、それでもよく通る声。それは、飽きるくらい傍で聞いていたかつてのあいつと同じものだ。
混乱しながらもほぼ条件反射のように声がする方を見たら、遠くからぱたぱたと走ってくるあの子の姿が見えた。随分と薄手の服を着ているが寒くはないのだろうかなんて的外れの思考が浮かぶ。
「だからさ、話せよ、ちゃんと。あいつは、それを望んでる」
……この親友の行動力を舐めていた。こんな実力行使に出るとは思ってもみなかった。というかそんな奴じゃなかっただろ、誰が一騎をここまで積極的にしたんだ。
「ごめんな。でも、これくらいしないと、甲洋がどっかに行きそうで」
―――怖かったんだ。
音にならない声は震えていた。心配するのは俺の役目だと思ってたんだけど。……いや、それはただの思い上がりか。
現実逃避紛いの思考を巡らせている間にもあの子はこちらへ近づいてきている。逃げなくてはと思うのに何故だか足が動かなかった。いや、理由なら分かってる。俺はあの子から逃げたくないんだ。
向き合いたい。あいつじゃないあの子と、ちゃんと。
「あ! 君もいたんだ!」
目の前まで来たあの子は、俺を見るとにこにこと人懐っこい笑みを浮かべた。目が覚めて一番最初に出会った存在として彼の中で一定の特別感はあるのだろう。逃げるように姿を消したというのも、俺のことを印象付けてしまう要因になっているかもしれない。
「君の名前を教えてよ。なんて呼べばいいか分からないじゃないか」
『君はあまり好きじゃない。ねぇ、君は他の場所に行きなよ』
脳裏を過った懐かしい声を振り払う。
忘れるわけじゃない。なかったことにするわけじゃない。
「……春日井、甲洋」
「かすが、い、こう、よう……うん、覚えた!」
全部抱えてはじめるんだ。この子と俺の物語を。
「僕は来主操。よろしくね、こうよう!」
「……ああ。よろしく」
それまで見守っていた一騎がほっと息を吐いて姿を消す。いきなり二人きりにするなと思ったけど、これくらいしてもらわなければ俺はずっと逃げていたかもしれない。だから、これで良かったんだ。
「あれ、一騎どっか行っちゃった」
「ほんとだ。少し話そうか、……くるす」
「! うんっ!」
初めて見た笑顔は、満月に負けないくらい輝いていた。