【再掲】君さえいれば親も友人も誰も知らないここだけの話、俺にはほんの少しだけ世間一般的に言うところの霊感なるものがある。
あると言っても本当に微々たるもので使いどころは無いし、活用しようとも思わない。
物心ついた頃からなんとなく自分の視界と他人の視界に映る世界や感じる空気が違うのだと気付き、今ではすっかりそういうものだと受け入れている。
視えたところで靄のようにぼやけているからはっきりとした姿形は分からず、近寄りさえしなければ何ら問題は無い。
だから恐怖も無く、ちょっと便利な危機察知能力くらいの認識でいた。
あの男、三井寿が現れるまでは。
バスケ部復帰後、日に日に本来の明るさを取り戻したあの人はそりゃあもう楽しそうにボールを追い、綺麗な3Pを決めてはコートの中で嬉しそうに笑っている。
活躍を重ねる毎に周囲とも打ち解け、校内では部員以外の生徒とも楽しそうに青春を謳歌しているようだ。
そんな平穏な日々が続くかのように思えたある日、部活中のあの人へ縋るようにまとわりつく黒い靄に気付いた。
当然気付いているのは俺だけで、本人だって気付いちゃいない。
けれど少しばかり調子が悪そうにしていたのでなんとなくほうっておけずミッチーと愛称で呼び、手招きをすると不思議そうにこちらへ駆け寄ってくれた。
呼んだは良いものの、俺はその対処法なんて一切知らない。
そもそも触れたことも無いので少しだけ考え、背中に虫がいると嘘を言いながら軽く叩いてみると呆気なく靄は飛び散ったように消え、再び戻ることはなかった。
ありがとなと短く礼を言うあの人も変化に気付いたのか、その場で深呼吸をするといつも通りのプレイへ戻った。
これが俺、水戸洋平十五歳の除霊初体験となる。
以来あの人に靄がかかっているのを見つけては挨拶をするフリをして背中を叩き、何度も除霊らしいことを行った。
方法は簡単だし、時間だってかからない。
ただ一つ難点を挙げるとするならばスパンがあまりにも短いことだ。
暇さえあれば心霊スポットにでも行っているのかと疑いたくなるほど頻繁に靄は現れ、その度に俺の利き手はあの人の背中を叩いた。
何度も続けば流石に本人も何かあると気付き、真面目な表情で気功でも使えるのかと問い詰められた時は笑ってしまった。
正直に除霊の真似事をしていると言えばきっと恐がらせてしまうだろうからまあそんなとこ、と曖昧に返せばなんともあっさり信用され、凄いな、と褒められもした。
その時点でそう易々と他人を信用するもんじゃないよ、いつかきっと痛い目を見るよ、と忠告しておくべきだったと後悔したのはあの人が不調に気付いては靄をまとって俺の元へ現れるようになってからのこと。
「お前って話上手だよな、一生聞いてても飽きねえわ」
「お前のお勧めは絶対に外れないから本当に信頼出来る」
「なあ本当に頼むってこんなことお前にしか言えないんだ」
「お前なら絶対成功するって俺は信じてたんだからな」
「お前のそういうとこって良いよな、大好きだぜ」
あまりにも除霊を行う頻度が増えた頃、俺は校内でのあの人がどう過ごしているのかを密かに監視してみた。
するとまあ呆れるほどあちこちで人たらしの如く愛想よく笑い、誰であろうと相手が自分にとって特別な存在だと勘違いさせるには十分な言葉を吐いていた。
成程、あの靄は全て生霊だったのか、と納得するまでに時間はかからなかった。
正直なところ、これには少し腹が立った。
誰とでも親しく話せるのは良いことだし、周りに馴染んでいるのも良しとしよう。
しかし何だ、俺にはあんな言葉は一度も言ったことが無いくせに何をしている。
毎回毎回眉を下げて水戸ぉと甘える声で名前を呼ぶだけで、除霊が済めばありがとな、と笑顔で去って行くだけだ。
都合の良い時にだけ頼るくらいなら御礼に俺の気功が無きゃ生きていけないくらい言ってみろ。
つまりは自業自得によるものだし、いつまでも俺が対処する理由は無い。
俺に何か得るものがあるわけでも無いのだからいっそ突き放してしまおう。
「なあ水戸、いつものおまじないしてくれよ」
「おまじないって…はいはい」
「よし、ありがとな」
…まあ、実際のところはこんな感じ。
もう二度と助けてやらないと心を鬼にしようにもこのしょんぼりした表情に俺はめっぽう弱く、除霊すれば白い歯を見せて笑う姿に絆されてしまった。
ただし今日の俺はちょっと違う。
こんなことを繰り返していても結局は一時的な効果しか無いのだし、根本から解決させなくてはならない。
「三井さんさあ、なんとなく自分の体調が悪くなる原因とか分からない」
「…分かってたらとっくに対処してる」
いつも通りコートへ戻ろうとする三井さんを呼び止め、あえて冷たい声をかけるとムスッとした表情でそりゃそうか、とつい頷きたくなる返答がきた。
この人にとって他人を褒めることは計算でも何でもない、思ったから口にしたまで、という単純なもの。
飯が美味ければ美味いと言う、これと同じだ。
だけど褒める対象が生きている人間となれば扱いは慎重にするべきだ。
人の感情こそ形が無いのだし、目視出来るわけでもないのだから。
「アンタはとにかく不用意に他人との距離が近いんだよ。スキンシップも多いし、むやみやたらに相手がつけ上がるような発言も気を付けるべきだって思わないわけ」
「いきなり何の説教なんだよ」
「有難い忠告だよ」
「………わかった、ありがとな」
自分でも驚くほど刺々しい言葉にしまったと後悔しても中途半端にはやめられず、そのスタンスを貫くしかなかった。
どうした、予定ではもっと優しく言い聞かせるように伝えるはずだったぞ。
当然ながら三井さんは話の一割も納得せず、渋々と礼を言うと俯きがちにコートに戻ってしまった。
何だか自分が酷い意地悪をしたようで後味が悪いがやってしまったものは仕方がない。
本人が考えるきっかけとなって他人との接し方を改めてくれれば儲けものだし、失敗してまた泣きついてきた時は笑われるのを覚悟で本当のことを打ち明けてみよう。
どうせ数日もしない内にまた助けを求めに来るのは容易に想像出来るから、その時はいつもより優しく接してあげようじゃないか。
「いや何でそうなるかな」
俺の予想は見事に外れ、あれから二週間が経過した。
あろうことか三井さんは徹底的に俺との接触を避けに避け、俺が居ようものなら例え密室であろうと壁をぶち破る勢いで走り去ってくれる。
しかも例の靄は過去最大のサイズに膨れ、全身に重くのしかかっていて本人の体調も過去最悪の不調ぶり。
俺を避けている一方で何をしているんだと怒る反面、どうしてそこまで我慢しているのかと呆れもした。
が、冷静に考えるとあの時発した己の言葉が原因だと気付き、らしくないと乱暴に頭を掻いて盛大な溜息をついた。
友人の話によれば今朝の朝練では登校するのもやっとな様子だったらしく、周りから早退を勧められても意地でも最後まで参加したらしい。
移動教室の際に一度だけ廊下で遭遇した時はいつものように逃げる気力も無く、隣を歩むクラスメイトが原因の一部だとも知らずにその背中に抱き着くよう隠れてくれたのだからこれはいよいよ指導が必要だろう。
「三井さん」
「み、みとぉ…」
だからついに俺は一人で三年の校舎へ行き、昼休みを机に突っ伏して過ごそうとしているあの人の教室まで出向いてやった。
その場の全員に聞こえるよう教室の出入り口から名前を呼ぶとすぐに上半身を起こし、涙目で名前を呼ばれて密かにキュンときた。
どいつもこいつもよく見てろ、これが俺の考えた最大の除霊方法だ。
「おいで」
「はいっ」
両手を広げるとすぐに立ち上がり、ヘロヘロになりながらも駆け寄る姿はまるで雛鳥だ。
到着するなり俺の肩に顔を埋め、ぎゅうぎゅうに抱き着くものだからついつい背中を叩くよりも優しく撫ぜてしまう。
あれだけ他人の心を虜にするこの人に全身で頼られるこの優越感は凄まじいものだ。
おおよしよし大変だったね頑張ったねと続けている内に巨大化していた靄も消え、本人もその効果を感じて抱き着いたまま何度も深呼吸をしている。
何も事情を知らない連中からしたら俺達二人が突然教室の出入り口で人目を気にせずイチャついているようにしか見えないだろうが俺の目的はそこにある。
こうして牽制しておけば二度と自分にもチャンスがあるかも知れないと自惚れることは無いだろう。
「どうおまじないの効果は」
「あー…生き返った。水戸様様だな」
「分かったら今後は俺から逃げないことだね」
「そうだな、水戸さえ居れば生きていけるから一生離れねえわ。よろしくな」
「まあ…よろしく」
なんて俺の期待以上の言葉をとびきりの笑顔で言ってくれるものだから、今夜あたり俺の生霊がこの人に飛ぶんじゃないかと本気で心配になった。