傍ら 夏が終わるとこの本丸の周辺は緩やかに秋に向かって染まっていく。
自室の障子窓から差し込む外の光の強さも柔らかくなり、朝の目覚めも穏やかに迎えられようと言う、そんな過ごしやすい季節。
だがしかし、水心子正秀にはここ暫く穏やかな朝と言うものが訪れていない。
寝付けないまま朝を迎えてしまうのだ。
特に心当たりもなく毎日元気に出陣、内番をこなしているのに、寝付けない。
日によっては布団に入って暫くすると入眠しているのに明け方前に目覚めてしまい、太陽が昇るのを待つこともある。
一体全体どうしたものかわからないまま半月程を過ごしてしまい今に至る。
そろそろ日常生活に障りも出て来てしまったのか身体の動きが鈍いように思える。
これは新々刀の祖として看過できない問題だと言うことはわかっているのだが、誰にどう相談すればいいのかもわからない。
不調があれば薬研藤四郎、もしくは白山吉光までとは言われているが寝付けないというだけで忙しそうな彼らの時間を費やしていいものなのか、そもそもこんな未熟染みたことを相談してもいいものなのかと悩んでいるうちに、また朝が来てしまう。
そんな堂々巡りを過ごしていた水心子だったが、陽が昇れば起き出さなければならない。
四肢が重いと感じつつも布団から抜け出して内番着に着替え、朝食へと向かおうと自室を出たところで背後から声をかけられた。
「おはよう、水心子」
「……清麿、おはよう」
穏やかなその声を聴くのはいつぶりだっただろうか、お互いこの本丸に来てそれぞれの役割を担うようになって短くない。
それぞれ別の部隊に所属している為、暫く顔を合わせることはあってもこうして朝の挨拶を交わすのは久しぶりだ。
向こうもそう思ったのだろう。
「元気にしてた? 朝から会えるのいつぶりかな」
「清麿は夜戦に出ることが多いから」
「そうだね。水心子は最近何してた? 連隊戦の後は内番が多かったと思うけど」
「畑に居ることが多い……と思う。主がどうしても収穫しておきたいものがあると言うから桑名江指導の元二日に一度は畑に出てたから」
桑名江に捕まると逃げる事はできないとこの本丸では言われているが、水心子は土いじりも嫌いではない。
桑名江の言う配合どおりに土を混ぜ肥料を播いて行くのは楽しいし、そのこだわりたい気持ちがよくわかるので協力したいと思うのだ。
「そっかぁ…それじゃあ結構疲れるね」
食堂に向かいながらお互いの近況を話しては労い合っていたが、水心子の応えが常より覇気がないと気づいた清麿が足を止める。
「清麿?」
「水心子……悩み事があるのかな?」
「……え?」
「きみの声に元気がないと感じるのだけど」
そんな筈はない。
寝付けない、身体が重い、それを悟られないように意識して発声していたのだ。
元気がない等とは…思われる筈がない。
戸惑いを隠せなくて、数歩だけ先に進み清麿を振り返った水心子の瞳が揺れている。
「隠せてないよ、だって僕は君の親友だよ? 他の誰が気づかなくたって僕にはわかるさ」
穏やかに、ゆったりといつものように。
大切な親友が傷付かないように。
離れた距離はたったの数歩、ゆっくりと近づけば水心子の眉がしょんと下がっていくのが可愛いな、なんて思っていることは表に出さずに。
「なにか嫌なことがあったかな、それとも」
「……誰にも何もされてはいない。ただ、なんでか寝れないだけ……」
「疲れているのに?」
「そうだな、身体を動かした日でも明け方前には起きてしまう」
眉だけでなく、視線も下がっていく水心子の頬にそっと掌を当ててやれば熱があるわけでもないが、少しかさついているようだ。
加州清光や乱藤四郎が知ったらすわ、化粧水を! 等と言い出しかねない。
「うーん、どうしたんだろうね。前はこんなことなかったのに」
「わからない……半月くらいこんな感じなんだ」
「半月くらい? そう……うん、まずは一緒に朝ご飯を食べよう。それから今日は僕と一緒に午前中は手合わせをして、午後はゆっくりしよう!」
一瞬思案した素振りを見せたが直ぐに水心子の手を取って歩き出した清麿に、ぱちくりと瞬きをした水心子が慌てて声をかける。
「えっ、清麿待って、今日の当番はもう決まっているのではないか!?」
「大丈夫だよ、今日の近侍は山姥切だから!」
何が大丈夫なんだ? と水心子が思う暇もなく清麿は食堂で朝食を摂っていた山姥切長義のところへまっすぐ向かう。
何事かと顔を上げた長義が、おはようと挨拶を投げてきた。
彼はふたふりにとって、政府でもこの本丸でも先輩で気安い相手ではあるが流石に驚いた表情を浮かべている。
「何かあったか?」
「おはよう山姥切。今日の内番教えてもらっても?」
「掲示場を見てから来てくれないかな……君たちは今日は揃って畑当番だよ」
手元の端末を滑らせた長義に、清麿が実はね、と耳打ちをする。
その間清麿に手を取られている水心子は何をすることも出来ずに、じっとこちらを見てくる長義の視線に耐えた。
「……成程……まぁ、いいよ。水心子もここのところ畑に良く着いていたし、清麿は夜戦が多かったし少しゆっくりとするといい。ああ、気にしなくていい。畑当番は……そこを行く偽物くんと猫殺しくんに代わってもらおう」
「写しは偽物なんかじゃない……がいいだろう、なんだか知らんが」
「にゃっ!? 巻き込むな、にゃ!」
たまたまなのか長義の視線に応えたのか、食事盆を下げて歩いていたふたふり、山姥切国広と南泉一文字が水心子たちの当番を代わってくれるらしい。
「ありがとう」
清麿が礼を述べれば構わないと言ったように、清麿と水心子の頭をぽんぽんと撫でてふたふりは行ってしまった。
「……水心子、君は少し頑張り過ぎてしまうことがある。無理をしない、と言うことも大事なことだから覚えていくと良い。さぁ、早く朝食を摂って手合わせの準備でもしておいで」
俺もそろそろ行こうかな、と席を立つ長義にも礼を言い清麿が優しく水心子に声をかける。
「ね、ゆっくりしようよ。ここの刀たちはみんな気の良い刀たちだ。今日くらいゆっくりしても誰も怒らないよ。それより無理をしてる方が怒られちゃうかも。昔山姥切国広は無理をし過ぎて堀川に布団に沈められたことがあるんだって」
「……布団に……」
「そう」
初期刀である山姥切に勝てるもの、それは兄弟刀とは聞いていたが物理だとは思わなかったと水心子は慄くが、考えてみれば自分の相棒だって似たようなものだ、きっと無理をし過ぎて怒らせたら同じようなことをする……と考えてはた、と気付く。
「今の清麿も似たようなものではないか」
「気づいちゃった? うん、そういう事だよ。だから今日は楽しく手合わせして楽しくお昼寝しよう」
「寝られるかな……」
お昼寝、と言われて不安げな表情を浮かべる水心子に清麿はずっと繋いでいた手をきゅっと強く握って笑った。
「大丈夫だよ、僕と一緒なら」
午後の静かな秋の匂いと音に囲まれて、水心子がすやすやと気持ちよさそうに寝ている。
その隣には水心子の頭をゆっくり撫でて、腹の上に乗せてやった掌でぽんぽんとリズムを刻んでいる清麿がいる。
「僕が居ないから、不安になってしまったんだね……可愛い水心子……」
実を言うと自分も水心子となかなか時間が過ごせなくて気が立つ事もあったのだが、そんなことは表に出さずにこの時間を手にすることができた清麿は、これ以降また水心子と部隊を共にしてもらえるようにお願いしてみようかな、などとひとりごちるのだった。