ありあまる、富。便利になったもんだな。
そう心の中で呟きながら、スマホの画面をタップする。画面には「送金受付完了」の文字。
ATMに行かなくてもいい。リビングのソファから指一本で、チェックカードも電子認証だ。
流石に毎月の事となると、キースにとってこの便利さは有り難い。心なしかATMの画面を触る時よりも、父親の顔はチラつかない気がする。真偽はどうかわからないが気持ちも楽なのだ。
口座に振り込まれるメジャーヒーローの給料。そのうち決して少なくはない金額を送金する。「仕送り」と言う名目の元、キースにとっては父親への牽制だ。毎月多額の「仕送り」は父親からの連絡を途絶えさせるほど生活をするには充分なのだろう。口座が凍結されていなければ、おそらく生きている。わずかな安堵感もそこには含まれている。
このまま一生、金で解決出来るならそれでいい。
すでに操作が完了した画面を無為に眺めながら、キースは自分に言い聞かせる。そうだ。わざわざ連絡も取らなくていい。これから先の人生に踏み入られるのはごめんだ。
……大丈夫だ、これで。
ほんの少し、スマホを握る手に力が入る。その時、突然ディノの声がキースを呼んだ。
「キース!ごめん!ちょっと手伝ってくれないか!」
キッチンでピザを焼いていたディノが焼き上がったピザを2枚も3枚も手に持とうとしているものだから
「おいバカ!!」
と叫んでキースは慌ててスマートフォンを放り出して皿を取りに走った。その画面が隣で寛いでいたフェイスの目に入るとは思いもせずに。
「…何コレ。」
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違和感は、あった。
「オレの貯金額を余裕で超えてやがる…。」
以前、フェイスがビリーに支払った依頼料を聞いたキースが溢した言葉だ。その時はこのだらしなくやる気が到底見られない、自分たちのことを放り出したメンターの事については、多少の憤りも手伝って「ああ、そういう人間なんだな」なんて聞き流していた。いくらメジャーヒーローだからといっても、目の前に居たキースはだらしがなく浪費癖でもありそうで、貯金がないということもその結果なのだろう。とそう思っていた。
けれど、キースの事を知っていくほどその印象は形を変えていった。酒とタバコに費やす金額が大きいであろうことは、まあその通りなのだが、メジャーヒーローの収入で貯金が殆ど無くなると言うほど浪費を好む人間ではないようで。
むしろディノが戻ってきてからはそのすぐテレビショッピングや通販で物を増やしてしまう癖を諫める側だ。飲酒の頻度も減らしている様子だし、日頃からファッションや高級車など贅沢品を好む様子もない。もしかしたら思っていたよりずっとキースは本来堅実な人間じゃないだろうか。
ならば、メジャーヒーロー程の職位の人間の貯金がない理由に違和感が生まれてくる。そして今、その答えは自分の目の前に思いもよらない形で提示された。
ただ、その事に踏み込むような人間でも、関係性でも自分はない。フェイスは何となく不快感のようなものは感じつつも積極的に「理解しよう」とは思っていなかった。
きっと、ディノも知らないのだろう。絶対に心配するからと、キースはそう言う類のことを言いたがらない。
もし、知っているとしたら…。
「お〜。悪い悪い。置きっぱなしだったわ。」
置き去りにされたスマートフォンをキースが回収しに来た事に気付いて、フェイスはハッと我に返った。見てしまったものの気まずさに顔を逸らしてしまってから「しまった。」とも思った。きっと、画面を見てしまったことを存外と目敏いこのメンターは気づいただろう。「ごめん」の言葉を用意すべきか逡巡しているうちに、ドカッとキースがソファに身を沈めた反動が伝わってきた。キン、とライターの蓋を開ける音がして、思わず声が出た。
「…ちょっと、キース。」
「仕送りだよ。」
此処で吸わないで。と言いかけた苦情に返ってきたのは、先ほどフェイスが目を逸らしたものへの回答だった。
「…仕送り?」
「……そ。偉いだろ〜?オレもそう言うとこくらいあるんだって。」
そこまで言うと再びキン、とライターを鳴らして
「やっぱ外で吸ってくるわ。」
とソファから立ち上がり、部屋の外へダルそうに歩いていくキースの事をフェイスはますます納得のいかない表情で睨んでいた。
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屋上から見る空は広くて、嫌いじゃなかった。ゆっくりと吐き出した煙が溶けるように消えていくのを目で追う。
……ちょっと面倒なもん、見られちまったな。
さっきのフェイスの顔を思い出して、キースは少し大袈裟にため息を吐いた。嘘はついていない。送金先が父親なのも、仕送りを兼ねていることも本当だ。
ただ、それを鵜呑みにできる様な金額じゃなかったのは確かだし、フェイスがその事情をわざわざ掘り下げてくるような性格じゃないのも分かっている。だが、その代わりに向けられたのがあの表情だったんだろう。思わず目を逸らしてしまいたくなるような、追及の眼差し。
「…なーんか、どっかで見たことあんだよな。」
「何をだ。」
「おわっ?!」
いきなり後ろから投げかけられた言葉に、思わず小さく声を漏らして振り向いた。
「……ブラッド。…なんだよ、脅かすなよ…」
「驚かしたつもりはないが。…此処で煙草を吸うのはやめろと何度言ったらわかる。」
ブラッドは棘のような厳しい声音のまま近づくと、キースの咥えていたタバコを取り上げ、そのまま自分のポケットから取り出したキースの吸い殻専用となっている携帯灰皿に乱暴に押し込んだ。
「おいっ…おっ前なぁ…今火ィ付けたとこだったんだぞ…」
「知らん。再三の忠告を聞かない貴様が悪い。」
そう言って、キッと自分を睨み遣るブラッドの顔を見て、キースの中で何かがカチリ、と嵌った音がした。フェイスのあの顔は、初めてオレの「仕送り」の話を打ち明けた時のブラッドと同じ表情だ。心配と疑いと、それから少しの悔しさを混ぜたあの時の。
「…ああ。そうか、お前か。」
「…?だから、さっきから何の話をしている。」
「いや?ちょ〜っと昔の事を思い出しちまってさ。…懐かしいな。」
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ブラッドが見たのはメールだった。入所して少しの時間が経ち、10期のルーキーとして日々ディノとキースと時間を共にしていた頃。
『send money.』
テーブルの上に放置されたキースの端末にポップアップした通知。最初は自分の通知が鳴ったものだと思い目を上げたが、違っていた。一目見ただけで読めてしまう、簡潔で理不尽な要求で以外の何者でもないと分かる文章。ブラッドは1度目を逸らした。いくら友人だからとはいえ、キースは昔からプライベートな事に立ち入られるのを好まない。…だが。
「…キース。」
「……んな遠慮して声かけんなら、しっかり見ないフリしてくれよ。」
キースは一瞥もせずにそう言うと、端末を手元へと回収した。画面を少し見て、ため息と一緒にポケットへと仕舞い込む。まるで、貝が蓋を閉めるようなそんな仕草に見えた。
「…見過ごせると思うのか。」
「あー…何か勘違いしてそうなとこ悪ィけど、実家だよ。」
実家。ともう一度繰り返して、ソファに深く沈み込む。
「……別に、厄介な事に巻き込まれてるとか、そう言うんじゃねぇから。」
そのキースの姿を見ながら、ブラッドは咄嗟に「そうか。」と小さく返すことしかできなかった。
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…ブラッドとは、それからその話はしなかったな。今はもう脅迫じみた連絡なんて来なくなったし、あの頃とは何もかもが違うけど。あの頃の自分達には、その蓋を無理矢理に開けるその権利も、関係性もなかった。
だけど今は。今のオレとブラッドは。
「……なぁ、どう思う?」
唐突にされる質問に、ブラッドの顔は先ほどよりも険しくなる。
「具体的な内容を提示した上で質問をしろ。」
予想通りの厳しい返しに、思わず嬉しくなって顔を綻ばせてしまう。
「はは、悪かったって。あー……「仕送り」のことフェイスに知られちまってさ。…まぁ別に、話す義理もなかったんだけど。…睨む顔が、お前にそっくりでさ。」と苦笑いしながらブラッドの方を盗み見た。
今のお前は、どんな顔でオレを見てる?
「…特に心配はしていない。」
ブラッドは、真っ直ぐにオレの方を見ていた。まるで、閃光のような強い眼差し。
「お前にとって必要なものなら、それで良い。それを断ち切るのも、続けるのもお前が選ぶべき事だ。……少なくとも、今はそう思う。」
と続けて言ったその表情が、柔らかく緩むのを見て、少しだけ鼻の奥がツンとする。
「…そっか。」
そう咄嗟に返すのが精一杯で、誤魔化すようにポケットに入ったままのついさっき空になった煙草の箱をぐしゃぐしゃに丸めて、すぐ側の屑籠に向かって投げ入れた。ブラッドの視線が一緒にそれを追った後、オレに戻される。
「それに、将来の心配もする必要はない。」
「…は?」
「貯蓄なら、俺は問題なく管理保有している。」
共に人生を過ごして、有り余るほど。だから、心配の必要はない。と、余裕を超えてさも当たり前とでも言う様な顔をして、暴君は威風堂々とそう告げた。
「……バカだな。お前も。」
まるでご大層なプロポーズだ。苦笑いでそう返すと、フン、と不満そうにブラッドは鼻を鳴らす。
「馬鹿だと言われる筋合いはないが。…実はフェイスからお前のことを心配する連絡が来ていた。」
「…え。…お前に?」
「そうだ。大丈夫だと伝えはしたが。…俺に連絡を取ってくるほどだ。…ちゃんと説明くらいはしておけ。」
りょーかい。と片手で返事をしてから、その手を屋上の手摺にかけられたブラッドの手に重ねる。
「………ありがとう、な。」
ようやく絞り出したその言葉と一緒に、強く強く、その手を握った。
「…タバコの本数、減らすかぁ。」
「…懸命だな。長生きができる。」
「口寂しいから、キスくらいしてくれよ。」
「………。」
「おい、おい無視すんな!おい!」
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……便利なのも考えもんだな。
そう心の中で呟きながら、スマホの画面を起動する。画面に映し出された電話番号を深く息を吸ってから、タップした。
オレにとっては「必要」なこと。
『……hello』
「……hello,Dad.」