「行ってきます!」
「おぅ、行ってらっしゃい」
曇天の空みたいなひたすら先の見えなかった僕の心を晴らしてくれたこの人と巡り会って、
まるで世界が一変した様に毎日がキラキラと光り輝いて、ただそれだけで本当に幸せだった。
だから、今日が何の日かだなんて学校に着くその時まで僕は完全に忘れていたんだ。
「ただいま〜」
「お帰り…って、お前スゲェやつれてないか?」
「今日バレンタインってこと忘れててさ…」
「あーなんとなく分かった」
「校門入った時点でヤバかった」
「マジか…モテる男はつらいねぇ。で、その割には手ぶらのように見えるが?」
「は?当たり前だろ!そりゃ前は結構生活ギリギリの時とかもあったし、デパ地下の高級チョコを前にテンション上げてる麻里を見たら兄として嬉しくない訳ないだろ?彼女がいた時は勿論悪いとは思いつつ内緒で義理もありがたく頂戴して麻里と二人で食べてたけどさ…あっ、不誠実とかそんなんじゃないから。貰ったチョコがちゃんと僕達兄妹の血肉になるんだよ?で、今の僕には生涯を共にすると決めた大大大本命がいるのに馬鹿みたいに無意味に貰ったら女の子達に失礼だろ!」
「ツッコミどころが果てしなく満載だしめちゃくちゃ重い。お前……うん、色々ヤベェよ」
”女子に超絶人気な伊月暁人くんの裏の顔は実はこんなサイコ野郎なんだぜ、やべーよ、早口こっわ”などとブツブツ呟きながら額を抑えるジェスチャーをした彼をよそに、学校の帰りに立ち寄ったコンビニの袋をガサゴソと漁る。
「食後のデザート…と言ってもまだ晩御飯何も決めてないんだけど…なんと、どの店舗でも売り切れ続出中の新商品のチョコプリンを買ってきました。凄くない?これは僕からあなたへの気持ちです。でも目の前にいる本命からはまだ何も頂けていません」
一流シェフがコンビニやチェーン店のメニューを格付けするテレビ番組でも取り上げられ、SNSでも見ない日はないくらい今話題のコンビニスイーツを彼に差し出す。
僕はチェーン店とかちょっと小汚い定食屋のチープな味も大好きだし、食の好みって人それぞれだよね。それを一流だか何だか知らないけどボロクソに評価するのってほんと失礼じゃない?と言いつつメディアやらなんやらに囃し立てられたら食べてみたくなるのが人の性。僕はまんまとブランディングの罠にかかったってわけ。あぁそうだよ、一流シェフに負けたんだ、認めるよ。
「バレンタイン忘れてたやつが最初から渡す気なんて端っからなかったくせに、たまたま立ち寄った時に見つけて自分がソレ食べたくて今日にかこつけて買っただけだろ。それに企業のくだらねぇ商戦にのってたまるかよ」
「えーーーーつまんないなぁ」
「えーじゃない」
僕の卑しい考えもバレバレだし、彼らしい的を得た物言いに吹き出しつつも正直少し不満な部分もある。
バレンタインとかそんなものに現を抜かす様な性格じゃないって分かってはいるけれど、恋人らしいイベントを楽しんだっていいじゃん。だって僕達正真正銘、まごうことなき恋人同士なんだから。
それに僕大学生だよ?そりゃもういちゃいちゃしたくてたまらないお年頃なんだから!
「お前がこの前好きって言ってた店の中華テイクアウトしてきたぞ」
「マジ!?」
冷蔵庫をガバリと開けると一目見て僕の好きなおかずと分かるラインナップばかりが並べられていた。
前言撤回。
世間の風潮にとらわれず、でもちゃんと僕のことを思って気遣ってくれて、不器用だけどそういうさり気ないとこやっぱり好き。うん、大好き。
バレンタインなんてチョコ貰えなくたって好きな人と一緒に美味しい中華食べられたらそれで満足。もう言うことなんて何もない。
あっ、それからあわよくばセックスまで持ち込めたら100点満点。
22歳なんてぶっちゃけヤリたい盛り真っ只中だろ?正直こんなにも好きで好きでたまらない、本当に心から愛してる人目の前に聖人ヅラしておりこうさん振るなんてムリ。
いや、勿論相手の心と体を一番に考えるよ?でもさほら、色々と有り余ってるから週1と言わず最低週3…なんなら毎日でも愛し合いたいけど、それ言ったら多分セックスどころか数ヶ月おさわり禁止令が出てしまうからそこは我慢我慢。
「何ニヤニヤしてんだよ。ほら、さっさと風呂入ってこい」
「オッケー」
テーブルを敷き詰める晩御飯のことと、そのあとの気持いいことに頭が完全にシフトチェンジした僕は足取りも軽く、遠足前の小学生のような気持ちで浴室に向かった。
温かい湯に心も体もほぐれほこほこしながら愛用している部屋着に着替えなんとなくズボンのポケットに手を入れた時、小さくて硬い何かが入っていることに気付いた。
何か入れてただろうか?と何気なしに取り出したそれはコンビニのレジ横などでよく見かける四角形の小さなチョコレート。自ら買った覚えのない物が、恋人以外に見せることのない部屋着のポケットの中にある。
「え、これってまさか…」
これを仕掛けた人物は言わなくたって容易に想像出来る。
僕のことを考えながらコンビニでこれを選んでいる姿や、風呂に入っている最中にこっそりやってきて彼がこの味違いの4粒のチョコレートを忍ばせたのかと考えると…
「うわっ、ちょっと待って、めちゃくちゃ可愛いんですけど!?」
実はノリがいい方だということは知っている。でも今日という日にこんな可愛らしいことをしてくれる彼を正直想像出来なかった分、微笑ましくて愛おしくて居ても立ってもいられなかった。
「ヤバい、めっちゃにやける」
頬が緩みっぱなしだし、顔が熱いのはきっと風呂のせいだけではない。
中途半端に湿っている髪を乾かすこともせずに、僕はチョコを握りしめドタドタと大きな音を立てながら彼がいるであろうリビングに向かって走った。
予想通り、リビングのソファにゆったりと腰を沈め眼鏡をかけた姿で最近購入した分厚い本を読んでいる彼の横に思いっきりダイブした。
成人男性が行儀悪く一気に全体重を乗せたソファーは一瞬嫌な音を立てたが、それを気にせずぎゅうぎゅうと距離を詰める。
「これ、KKだろ?」
「しらね」
即答。
本から一切顔を逸らさず僕と目を合わせようとしないのは、照れ隠しをしている証拠だ。
「うわー、KKから貰えるなんてマジで思ってなかったから嬉しすぎる!どうするこれ?食べるの勿体ないよね、保管しておこうか?あ、僕が死んだ時に棺桶に入れてもらおうかな?」
「だぁーもう、お前うるさい!それに死ぬとか縁起でもないこと言うんじゃね!」
「え、どうせ1回死んでるんだから命の一つや二つくらいどうってことないだろ?」
「お前なぁ…」
溜息を吐いた彼から本を奪い取り、すかさず動きを封じ込めるように僕は彼の上に馬乗りになった。
「そんなことしなくてもオレはどこにも逃げねぇよ」
彼は抵抗する気はないと、おとなしく眼鏡を外しサイドテーブルに置いた。
「で、どんな気持ちでこんなことしたの?」
「………気持ちとか、大層な理由はない。まーあれだ、誰かさんがチョコ欲しいってわーわー駄々こねて手に負えなかったら面倒くさいから、ただそれだけだ」
本当はとっても恥ずかしくて仕方ないであろう彼に理由を聞くなんて野暮なことをしたにもかかわらずちゃんと質問に答えてくれたことが嬉しくて、胸の中を甘く満たされた僕は彼に抱き付き首元に顔をうずめた。
「そっか、うん、ありがと」
「…」
無言で背中を撫でてくれる、たくさんの人を救ってきたその傷だらけの手が温かい。
「ねぇ、小腹空いた。ちょっと味見」
強く握りしめていたことで少し柔らかくなってしまったチョコを徐に紙包装から取り出し、彼の唇に押し当てる。
「…欲張りめ」
一瞬考えた素振りを見せたが本日何度目かの溜息を吐いた口が小さく開き、押し当てられた部分を一舐めしたのでそれを了承と取り、チョコを差し込んだ。
口の中に迎え入れる際に僕の指ごと咥え、溶けかけて付着しているチョコも丹念に舐め取り、最後に指先にちゅうと吸い付き顔を離した。
「…KKそれわざとだろ」
知りませんといった風な飄々とした表情をしながら、無言で口をもごもごと動かす。
しばらく経って、彼の両手が僕の頬をしっかりと固定しながら至近距離で見せつけるようにぱかりと口を開いた。
唇が開かれた瞬間鼻腔を擽る甘ったるい香りが漂い、暗い空洞の中からとろりと茶色に染まった舌がゆっくり突き出される。
「おいしそう」
僕は彼の後頭部に右手を回し、チョコと唾液に塗れぬらりと艶めく舌が覗く唇に荒く嚙みついた。
口の中に挿し込んだ時よりも随分と小さくなったチョコをのせた舌を捕らえ、唇と歯列の間や性感帯の一つでもある上顎や頬の内側など、余すところなく口腔内を舐り隅々まで味わい尽くす。彼の口の中で申し訳程度に形を保っている半固形を奪い取り、僕の口の中で溶かしたチョコを纏わせた舌を突き出すと一度柔く噛みついた後、舌の裏側の付け根をフェラをする時みたいになぞられ美味しそうに僕の舌にしゃぶりつく。キスもそうだけど、フェラの時も僕の気持よく感じるところだいぶ分かってきたよね、すごく嬉しい。
「ン、ふっ…んん、あき、ン」
「ん、け、け、ン」
口の中も、くぐもって抜ける彼の声も、全てが甘くて糖分過多で頭溶けそう…
いつの間にか僕の首に腕を回した彼と密着し、舌同士を擦りつけ合いながらお互いの口の中を何度も行き来していた固形物は跡形もなく消え去り、あとはじっくり残りを楽しむように味わう。
食べ物を口に含んでいたせいか普段よりも唾液の量が増え、より一層粘着いた水音が鼓膜に響いて興奮しながら甘く混ざり合った唾液を夢中で啜り嚥下する。
本当はもっと彼の口腔内を楽しみたかったけど普段とは違うキスのせいか、口が疲れてきた。
それは彼も同じだったらしく、鼻から抜ける呼吸がだいぶ乱れてきたので一旦唇を離す。お互い口の周りを唾液で濡らし、それは酷い有様だった。
無精ひげのある彼の顎を一筋唾液が伝い糸を引いてシャツに染みを作っていたので、それを下から掬い上げるように顎に舌を這わし舐め取ると低く「ん、」と上げられた声に下半身が疼く。彼のシャツの中に手を入れて、しっとりと汗ばんだ素肌を撫でながら口周りに付いた唾液を舐め取り合ったり触れるだけのキスを続けていく。
ぼんやりと熱を孕んだ彼の瞳と視線が絡む。
離れがたくて惰性でキスをしてしまったことで完全に引き際を見失い、結果どこにも熱を逃すことが出来ず腹の中で濁流となり堰き止められている状態がもどかしい。彼のシャツを脱がせながらソファーにゆっくりと押し倒す。
「おい、味見だけじゃないのかよ」
僕もすかさず自分が着ていたシャツを捲り上げ脱ぎ捨てた。
「ムリ」
「即答かよ…うぁ!」
ゆるく硬さを持ち始めた中心を同じく頭を擡げはじめた彼のソレに擦り付けるよう腰を揺らめかせると、ひくりと体を震わせた。
「KK、ン、あんたから与えられるのは、何だって、嬉しいんだ」
彼の腰を鷲掴みセックス中の突き上げるような動作で、先程よりも大胆に中心を上下に揺さ振る。
「ッ、あ、あき、と、それ、やめ、ろ、ン!」
興奮しきった体でこれ以上続けるとズボンの中が悲惨なことになりそうなので、最初にしたみたいなゆっくりとした動きに変える。
「ごめんごめん、でもさ、僕はKKが思っている以上に、あんたに夢中なんだ。だからこれからも、いろいろ覚悟しててね?」
「暁人くんは、本当に重いんだよ。こんなやつ、オレ以外に、手懐けるのは難しそう、だな?」
呆れたように笑う彼に腕を伸ばし抱きしめ、頬にキスを落とす。
「あ、チョコプリン買ってきたけど僕からチョコ渡してない」
「そんなん気にするな」
僕はガバリと体を彼から離すとズボンのポケットを漁り、チョコを一つ取り出し包み紙を開いてソレを自らの口の中に放り込んだあと、彼に向って両手を広げた。
「僕をたんと召し上がれ♡」
「ブハッ!ンだそれ、笑わせんな、きめぇ」
「KK唾汚いし、人の好意を笑うなよ」
ふてくされたようにわざとしかめっ面をして見せていると、彼の膝が僕の中心を軽く押し上げた。
「たんと喰わせてくれるんだろ?それじゃあ有難く頂戴しないとな?」
先程チョコを摘まんだ時に指に付いた分を彼にわざと見せつけるようべろりと舐め上げる。
「よがり狂うくらいお腹いっぱい喰わせてあげる」
変なスイッチ入っちゃった僕はたぶん、今とんでもなく悪い顔してるんだろうな。
そんなことを考えながら、口の中で程よく溶けはじめたチョコを転がしながら彼に覆いかぶさった。
【ポケットの中の幸せ】