風呂キャン撲滅キャンペーン!(まーた寝てる……)
大和敢助、風呂キャン3日目。
【風呂キャン撲滅キャンペーン!】
念願叶って最愛の人と正式に夫婦になって、はや数ヶ月。夢見ていた甘くて幸福な毎日は、思ったよりもあっけなく終わりを迎えてしまった。というのも、最近は事件続きで敢ちゃんが家にいる時間が極端に短い。特に今回の事件は捜査が難航しているのか、帰ってきてもどこか上の空。まともに食事も取らず、考え込んだままソファで力尽きてしまうこともしばしば……。
結局、新婚生活らしい甘さなんて、とてもじゃないけれど味わえていないのが現状だった。
「敢ちゃんってば、起きて。お風呂入ってきて」
「んん、……」
リビングに置かれている、通称“人をダメにするソファ”ことビーズソファに飲み込まれている敢ちゃんを揺さぶる。そりゃ最初の頃は可愛いお嫁さんでいたかったから「起きなきゃちゅーしちゃうわよ♡」とかなんとか言ってみたこともあったけど、悲しいかな、全ていびきに掻き消されてしまった。その内だんだんと虚しくなってきて、そういう“かわいい”起こし方はやめてしまった。代わりに今はこうして強く揺さぶるか、酷い時は顔を引っ叩いて起こしている。
「着替えも洗面所に置いといたし、お風呂も沸かしてあるから」
肩を揺さぶると敢ちゃんは私の手を振り払い、体を丸めてビーズソファに顔を埋めた。それから「あー」だの「うー」だの呻きながら、もぞもぞと――まるで新生児のような動きを見せる。
「もう、これじゃ赤ちゃんじゃない……」
赤ちゃん。アラフォーの、あの敢ちゃんが。
「……かわいい……」
不覚にも、ちょっと可愛いと思ってしまった。
鬼の警部様も家に帰れば、こんなに聞き分けの悪い駄々っ子になるなんて、職場のみんなが知ったらきっと驚くに違いない。もしかしたらイメージがガラリと変わって、今よりもっと老若男女から愛されてしまうかもしれない。
でも残念、この姿を見られるのは世界で私だけ。幼馴染で妻である私だけなの。そう思うと自然に口元が緩んでくる。
「んぁ、……」
眠そうに手で目を擦る仕草なんかまさしく赤ん坊そのもの。……まずい。どんどん可愛く思えてきた。
本当は早く起こさなければいけないのに、ふと見せてくる仕草のひとつひとつが愛らしくて、もっと眺めていたくなる。気付けば、寝かし付けるように彼の肩をとんとん叩いていた。
「……はっ!だめだめ、敢ちゃん寝ないの!お風呂!」
「う、……あ、したにする……」
「だーめ、今入ってきて。それにベッドで寝なきゃ疲れ取れないわよ?最近ずっと疲れたまんまじゃない」
こうして敢ちゃんが風呂に入らずソファで寝る、つまり風呂キャンするのは今日で3日目だ。職務上、血液のついた証拠品など感染源になり得るものにも触れたりするので、流石に風呂に入らずベッドで眠ることはしない。朝になれば渋々シャワーを浴びているけど、それでもベッドでちゃんと眠らないせいか疲労は取れてないらしく、職場へ向かう足取りもなんだか重そうに見える。
変わらず丸まって眠ろうとする敢ちゃんを再び揺さぶると、不満そうな返事が返ってきた。
「あー……うるせぇなぁ」
「何よ、心配だから口酸っぱく言ってるんじゃない」
「面倒なんだよ……風呂場ですっ転んだらシャレになんねぇし……」
「それは……」
たしかに、まだ足が完治してない(と言うか完治手前で毎度無茶して負傷、結局振り出しに戻っている)から入浴も多少は気を遣わなきゃいけないけど。でも、だとしても、このままぐだぐだ風呂にも入らずろくに休めず、疲弊したままの夫を黙って見送るだけの女にはなりたくない。そうよ、私もうただの幼馴染でも部下でもないんだから!
「ふぁあ……とりあえずもう寝るから、ほっといてくれ」
「ちょっと!……あーもうわかった!私も一緒に入る!これでどう!?」
「あ?」
「え?」
急に向けられた鋭い視線に、思わず息を呑む。さっきまで赤ちゃんみたいに丸まっていた人と同じとは思えない。敢ちゃんはビーズソファから上体だけ起こすと、今度は私の方をしっかり見据え、低い声で尋ねてきた。
「由衣、それマジで言ってんのか」
「へっ?」
「風呂」
「なにが?」
「お前も入るって」
「えっ、あ……そ、それは勢いで、つい言っちゃっただけ……!ほら、起きたんだからちゃんと入る!」
必死にごまかす私を見るなり敢ちゃんはふいっと顔を逸らすと、興味を失ったように再びビーズソファへと沈み込んだ。
「こら!」
「寝る。やっぱ明日にする」
「はぁ?……も〜っ!わかったわよ!入ればいいんでしょ、入れば!」
「……言ったな?」
「うっ」
また、あの鋭い視線が私を捉える。心臓をぎゅっと掴まれたみたいで、逃げ場がなくなる。
これは良くない――とても良くない。そうでなくとも私は昔から敢ちゃんに弱いのに。恋を自覚し始めたあの頃からずっと、彼の目に射抜かれると、まるで蛇に睨まれた蛙のように動けなくなってしまう。拒もうとしても、言葉が喉奥で溶けて出てこない。
こうなるともう勝ち目はない。敢ちゃんは自分の意思を通す時、絶対に目を逸らさない。今だって、そうだ。
「だから、その」
「一緒に入ってくれるんだろ?」
「えぇっ?」
「由衣」
だめだ。名前を呼ばれただけで、私の心が観念しましたと白旗をあげている。
「……わかった」
しぶしぶ答えると、敢ちゃんはようやくビーズソファから腰を上げた。重い身体を持ち上げながらも、口元にはしっかり笑みが浮かんでいる。ずるい。こんな時だけ、子供みたいに嬉しそうな顔をするんだから。
こうして私は、予想だにしない形で――敢ちゃんとお風呂に入ることになってしまったのだった。