スキンケア フィガロは戦慄していた。
いや、確かに嫌な予感はしていたのだ。
革命軍の仲間たちと野営を繰り返している。身だしなみにはあまり頓着しない。自分の身よりも仲間の身。
そんな彼が美容など、気にする余裕があるはずがない。
ふわふわした髪を濡らしたまま魔法の練習をする弟子を見て、フィガロは言葉を失った。
「……フィガロ様?」
くるりとした目でファウストは不思議そうに師を見つめる。ズンと近寄ったフィガロは、彼の肩にいまだかけられたタオルで髪の毛をわしゃわしゃと乾かした。もちろん魔法を使ったので、髪はオイルで手入れされたようにツヤツヤのウルウルになる。
「わっ! ありがとうございます!」
己の髪を指先でくるくるしながら、ファウストは恥ずかしそうに笑う。顔を赤くし、伏し目がちに髪先を見つめるその顔に、フィガロは呆れと劣情と庇護欲がぐるぐると駆け巡った。
「……ファウスト、髪は乾かさないとダメだよ」
「すみませんでした……。そうですよね、せっかくのお屋敷を濡らしてしまいますし」
違う、そうではない!
相手が気心知れた北の魔法使いであれば、ちょっと強めな魔法を繰り出しながら大声を上げていた。しかし、目の前にいるのは無垢で純粋で綺麗なかわいいかわいい初めての弟子だ。おまけに彼は未だフィガロのことを憧れの大魔法使いだと思っている。
夢を壊すわけにはいかない、否、彼に醒めない夢を見せたままでいたかったのだ。
だからこそ、フィガロは見過ごすことができない。いくら若いまま成長が止まるといえど、歳を重ねれば身体の劣化は進んでいく。
特に肌は年齢が出る。若いころから手入れをしているのとしていないのとでは、何百年後に差が大きく出てしまうのだ。フィガロは己の身体で体験済みだった。
軽く手を上げ、フィガロは魔法を唱える。片手に呼び出したのはお気に入りのオールインワンジェルだ。本当は洗顔から化粧水、美容液、乳液、クリームまでしてほしいが、この頑固で不器用な弟子がきっと遠慮してしまう。それに、割と大雑把な彼が習慣化するにはいささかハードルが高い気がしたのだ。
「いいかい、ファウスト。髪は乾かしてね、あと風呂上がりにはこれを塗って」
「は、はい! これは、なんですか……?」
まるで知らない薬を見るかのように、ファウストは目をキラキラさせながら瓶を見つめる。物自体はフィガロが己で手作りした特別なものではあるが、もともとは人間世界のものを真似て作ったものだ。薬草も北で取れるものを魔法で水と混ぜ合わせて抽出したものなので、そこまで手間はかかっていない。
「使い方はこうね、触るよ」
「え、あ、冷たっ、フィ、ガロ様、ぐっ、くすぐったいです……!」
何もしなくても若くてモチモチの肌に液を塗りたくる。はじめはパチンと弾き、ハンドプレスをすることで液体はぐんぐんと吸い込まれていった。若いって羨ましい。くすぐったげにしていたファウストに構わず、フィガロは肌に手のひらを押し付けていく。
「いいかい、ファウスト」
フィガロの手によりツヤツヤモチモチになった肌をおそるおそる触りながら、ファウストは彼へ視線を向ける。目の前の師は今日の訓練よりもなぜか威圧感があり、彼は頭が混乱していた。
「は、はい」
緊張気味の返事を聞くと、フィガロは神妙な顔で先ほどの瓶をファウストの目の前に置く。
「髪は乾かしなさい。それに、風呂上がりにはこれを塗ること。絶対だよ」
フィガロは、あと何百年後かにカサカサした肌に悩むファウストを見たくなかった。まだ成長は続いているらしい彼は、これからも少年のような若々しい艶やかなほっぺでいてほしかったのだ。ただのエゴである。
「わ、分かりました!」
そんなフィガロの邪念などつゆ知らず、ファウストは今日一番の大きな声を出したのだった。