神にフォローされて怯えています(6) 人の数だけ頭の構造は違う。
無限にネタが出てくる人もいれば、どれだけ考えてもちっとも思いつかない人もいる。外界のコンテンツに触れることで新たなアイデアに結びつける人もいれば、落ち着いた場所で一人で考えることで自分の思考を整理する人もいる。
もちろん、どれにも当てはまらない人もいる。カテゴライズできない人もいるし、してほしくない人もいるだろう。人と同じ数だけ種類があり、とりわけ文字を書く人間はどこかこだわりが強い者が多い。
そうでなければ、言語を学んでいれば誰でも書ける文字で唯一を作り出そうとは思わないのではないだろうか。
あくまで個人の考えだよ、と。あの人は言っていた。
あいにくの雨は癖毛を容赦なくうねらせ、パンツの裾の色を変える。紺色の傘で守られた己の耳には、ポツポツと絶え間なく雨音が響く。
ようやく入った建物の床はいつもより水滴でつやつやと光っていた。機械へガチャンと入れ傘袋を装着した傘を鷲掴み、ファウストはゆっくりとエスカレーターへ向かう。
くるくると人の波に乗って上へ上へ。目的の場所は最上階にある。黒っぽい室内が見えてきて、ファウストは軽く髪を抑えた。
入り口から少し歩き、パンフレットたちの横を通り過ぎる。そのままカラフルな椅子が置いてある場所の近くに、フィガロはいた。相変わらずの高身長とスタイルの良さは、バラバラな人が集まるここでも随分と目立つ。どこか澄ました顔でスマートフォンをいじっていた彼は、タイミングよく顔を上げた。
「すまない、遅くなった」
「はじまる三十分前だよ、俺が早く着き過ぎただけ」
にこりと笑ったフィガロは、胸ポケットから二枚のチケットを取り出す。
「何か食べる?」
「じゃあ、飲み物だけ」
「俺もそうしようかな。……うん、もう並んでおこうか」
目線の先には映画のフードメニューを買うための長蛇の列が形成されている。現金よりもクレジット払いの方が少しだけ空いていたので、二人はそこに並んだ。
映画に誘ったのはフィガロからだった。相変わらずうまいネタが思いつかず悶々とするファウストに気まぐれに彼は連絡をし、こうして二人は映画を観に来ることになったのだ。
映画のチョイスはフィガロがした。ファウストは今どんな映画が上映されているかすら知らなかったので、特に希望がなかったのだ。
そうして選ばれたのは、公開から随分と経ち、そろそろ上映終了となるアニメーション映画だった。
選んだ理由を聞けば、フィガロは人気だからと答えた。人気には必ず理由があるから、と。
今回観る作品は長年続いている人気漫画が原作で、アニメやゲーム、そして毎年の映画と幅広くコンテンツ展開をしている。
ファウストもアニメを昔テレビで見たことがあった。けれど、そのときの薄っすらとした記憶しかなく、登場人物の名前も覚えていない。大まかな世界観と何となくのシルエットが分かる程度だった。予習程度に何作か映画を観たが、そこそこ面白かったのできっと楽しめるだろう。それぐらいの軽いノリである。
何とか上映前に飲み物を買い、二人は小さめのスクリーンに足を運ぶ。中列から後列は満席で、前列もほどほどに人が座っているぐらいのほどほどの座席の埋まり具合であった。
とりとめのない会話をしていれば、劇場内がゆっくりと光を落とす。
予告映像が流れてからは、二人はずっと前を向いていた。
エンドロールが流れ、会場が明るくなる。わっと人々が話しはじめるように、ファウストとフィガロもお互い顔を見合わせた。
「やっぱり面白いね」
「ああ」
面白かった。その一言に尽きる。
キャラクターはあまり分からないけれど、大胆な展開や最後の伏線、クオリティの高い映像、全てが素晴らしい。作品に詳しくなくても楽しむことができ、原作をつい読みたくなってしまう。
二人の足は同じ商業ビルのレストラン街へ向かっていく。
「時間は大丈夫?」
「おい、今聞くのか? ……別に、大丈夫だけど」
店の前まで来てそんなことを言うな。どこか呆れた表示をしたファウストに、フィガロはニコニコと笑う。
「そう、よかった」
いちいち許可を取らなくてもいいのに。いつでもそう思っているが、そういうたまに見せる律儀さを良く思っているところもある。難しいものだ。
タイミングよく入れた喫茶店で、二人はコーヒーを頼む。一緒についてきた豆菓子をぽりぽりと食べながら、二人は淡々と映画について話し続けた。
フィガロは二杯目を、ファウストはサンドウィッチ(半分ほどフィガロに渡した)を食べながら、だらだらと言葉を連ねていく。
考えていることを口に出す。そうすることで、思考がクリアになる。相手の言葉でさらに考えが深まる。分からないなりに考察じみた話をして、更にはいくつか電子書籍で購入してしまったぐらいだ。
映画を誰かと観ると、その後の余韻に長く浸ることができる。ファウストはどこかふわふわしながら、いつもよりどこか饒舌にフィガロと語り合っていた。
お互いのコーヒーが空になったころ、フィガロはどこか笑いながらファウストを見つめる。まるで慈愛のような瞳は、ファウストの胸をさわさわと揺るがせた。
「いい刺激になった?」
その瞬間、夢から醒めた気分になった。
一緒に楽しめたらいいな。フィガロからの誘いの文章にはそう書いてあった。
ファウストがより良い作品を作るためだろう。もちろん分かっている。
けれど、楽しみたいというその言葉も嘘ではないと思いたかった。
「……ああ」
どこか、言葉に詰まってしまう。フィガロは不思議そうな顔をした。
きっと嘘ではない。けれど、お互いの立場を思い知らされる気がしてしまうのだ。
フィガロは仕事のためにファウストを誘った。ファウストがいい作品を書けば、フィガロの杞憂が一つ減るからだ。分かってはいるけれど、その関係に寂しさを覚えてしまう。
ちゃんと、しなければいけない。
楽しかった、面白かった。それで終わらせてはいけないのだ。次に繋げなければ、アイデアにしなければ。急に心臓がバクバクと動き出す。
結果を出さなければ、また捨てられてしまう。次こそは、次こそは。
「どうかした?」
ファウストの様子がおかしいことに気づいたのか、それともぼんやりとした彼に声をかけただけなのか。
フィガロの問いかけに、ファウストは眉を下げる。
「なんでもない」
うねる髪を揺らしながら、彼はゆるゆると首を振る。
そうするしかなかった。