花これはポピー、これが鈴蘭で、こっちがネモフィラだよ。
スバルがひとつひとつ紹介する花を見て、その花の香りの具体性を観察する自分が嫌になる。
ほら、今も冷蔵庫の奥に一つ、まだ試作中の粉末が眠ってる。あれはカモミールを加工したもので、うまくいけば次の実験に薬用効果をもたらしてくれるだろう。まあ失敗すれば、普通にゴミ箱行き。花によっては毒に変化することもザラにあるし、取り扱いには注意に注意を重ねている。
仕事場でもらった春真っ盛りの花束を瓶にさしながら、スバルは手際よく葉や茎を整えていた。
「で〜、これはね、ポインセチアかなぁ。うちの母さん特に花が好きなわけではなかったけど、たまに何かの機会でいただいた時にはよく説明してくれたの。肉じゃがと同じくらい好き」
唐突に現れた「肉じゃがと同じくらい好き」の意味がわからなかったが、話の飛躍はいつものことなので突っ込むのも後回しに、とりあえず「残念、今日はカレーの予定だよ」とだけ伝えてスバルの落とした葉や茎を掻き集めて包み紙と一緒に丸めた。
「あ、冷蔵庫に茹でたブロッコリー入ってた。昨日食べたの?あれ入れたい。入れたいっていうか、カレーに一緒に添えたい」
「そウ、昨日食べたノ。そうだネ、添えようカ」
「俺、大吉の散歩行ってくるからあっためる係はお願いね!夏目またスマホに熱中しすぎて焦がさないように気をつけてよね」
「いや、スマホに熱中してたんじゃなくテ、お上からの連絡に集中してただけだヨ。言い方次第で廃人だからバルくんこそ気をつけてそういうノ」
「ごめんごめん。あっ、そうだあとね、これ、黄色い子が、夏目にって。渡しといてって、この前」
「この前!?いつノ?」
夏目は夏目で次のアルバム制作とSwitch単独イベントの詳細固めで一週間ほど家に缶詰になっていた。
宙とはしばらく会えていない…会いたい、と思っていたところの、よくわからない包み紙にくるまれたもこもこした物体。
ワンチャン生モノがあり得そうだなとも感じられるそれを、恐る恐る手に受けて、これ何?と聞こうとした矢先にまたスバルが口を開く。
「これな、」
「あのねー、そう、ザキさんに会ったよ。夏目によろしくって言ってた。少し前に遠征した際の土産を渡したかったが賞味期限が3日と短かったので、もうやめておくことにした、とか言ってた」
「…そっカ、どこの何ていう食べ物か気になるけド、ソーマくんに会えたらとりあえずお礼を言うヨ」
手の平で空を感じている包みが揺れる
「ねぇバルくんこれ、」
「いつものゲーセン通ったら、夏目が気になってた猫のガチャ、熊のキーホルダーに変わってた」
「うん、そっカ」
「ESビル前の花もツツジになってたよ。前はツツジなんて咲いてたっけ?端の方にパンジーの花壇があったのは覚えてるんだけど…」
「そっカ」
きゅ
真隣にいるのに突然くっつかれてうぅ、と小さく声が漏れる。
突然スバルの体温がゼロ距離になることには慣れているが、いつものテンポより気持ち緻密なので体がまったく準備できていなかった。
「えぇ…何?」
「は〜、会いたかった〜」
「一週間デ?」
「そお〜」
手のひらに乗せていた包みを、手の甲ごとテーブルに置く。
なんだかトトロが持ってきた木の実の包みのようにも見えてきて、それを宙がくれたのだとしたら死ぬほど可愛いような。
そんなことをぼんやり考えながら、肩に置かれたスバルの頭に頬を寄せる。
「はァ、相変わらずふわっふわの髪だネ…、でも汗かいてるじゃン、早く大吉くんの散歩行ってきなヨ」
「へへ〜、そうだねぇ〜…」
頭はもたれたまま、花瓶に差した花の位置を少しずつ調整して、最後に瓶周りを布で拭く。
その作業が終わっても頭を上げようとせず、ただこの空間でじっとしていたいだけみたいな様子に、仕方なく肩で息をついた。
「バルくん、ボク、言ったよネ」
「ん?」
「慌てなくてもここにいるヨ」
この一週間、早く喋りたかったのだろう、少しも間を置けない犬みたいに、大人になったのに珍しく少し焦って、隙間を埋めるよりも自分の欲求を優先してしまう幼稚な行動に、前みたいに呆れるよりも寂しげな愛しさの方が優った。
何をそんなに急くことがあるの?
意地も悪く顔を寄せれば、スバルが聞き取れないくらいの声量で「そうだよ」と呟いた。
「…早くこの花を見せたいと思ってたんだ。だからちょっと走ったりして帰ってきた…。お花のせいにしてた。早く会いたかったの、俺が」
頭を寄せて、右手では宙がくれた包みをそっと開けた。
前に話していたSwitchの新しいグッズの、布と綿、ビーズで作られた小さな試作品。
ちゃんと製品化する前に装飾に興味を持った宙が、遊びがてら作ってみると言ったものだった。
その布を軽く撫でて、そろそろと視界に入ってくる散歩に行きたそうな小さな大吉を見やる。
「バルくん、お時間だヨ」
言ったよね。
ここにいるって。
だから安心してまた帰っておいで。
家主が連れてきた贈り物と土産話が、部屋の密度と暖かさをぎゅっとあげた気がした。