「ヒューベルト……可愛かったよ」
ベッドの中で散々に絡み合ったあと、事後の火照りをそのままに、あまりにも艶っぽい表情のヒューベルトが、フェルディナントに縋り付く。
「どうかしたかい?」
「あ……あの……」
もごもごと恥じらいながら甘える恋人を、極力怖がらせないようにフェルディナントは頭を撫でる。
撫でられながら、ヒューベルトはだんだんと強張らせていた体の力を抜いた。そして口下手な彼は、すり、とフェルディナントの胸板に顔を擦り寄せた。
「あの……もう一度愛して頂くことなど、できますか……?」
まだ貴殿が足りなくて、と彼が小声で寂しさを打ち明ける。
「! ヒューベルト……!!」
愛らしさといじらしさにフェルディナントは鼓動を高鳴らせ、「願ってもないおねだりだとも!」と歓喜した。無理をさせてはならないと自戒していただけで、フェルディナントはいつ何時でも彼への愛を漲らせている。
フェルディナントは一度目の愛の交わりで愛しすぎてぽってりと腫れてしまったヒューベルトの唇を労るように塞いで――
……フェルディナントは、そんな夢を見た。
「…………」
星辰の節から守護の節に移り変わる時期。朝になるまでの時間が遠く、普段の起床時間より早く起きてしまったフェルディナントの頭上に広がる空は、朝焼けの色を残している。未だ人が活動し始めていないガルグマク修道院の水飲み場は、フェルディナントの地を這う呻き声だけが響いていた。
「ぐぬぬぬぬ」
苦悶の声の理由は、彼が爽やかな朝から淫夢で汚れてしまった下着を洗っているせいに他ならない。
同級生の令嬢たち。憧れの歌姫からのお誘い。記憶の中にある水浴びする少女。魅惑の女性達のしどけない裸体や誘惑する姿が夢に出てきてこのような事態に陥ることはままある。そして、普段ならそういった時は恥を感じつつ、これも男の性だと割り切った照れ笑いをして下着を洗っていたフェルディナントであったが、今日見た淫夢に関してはひたすら屈辱しか感じていなかった。
何故ならば、今回夢に出てきた相手は、あのいけすかないヒューベルトであったのだ。
ヒューベルトの卑猥な夢を見ただけならば悪夢を見たものと片付けられただろう。問題は、その悪夢でこの通り、下着をガビガビに汚してしてしまったという事実であった。
フェルディナントは中腰の姿勢になり、複雑な気持ちをも振り絞るようにして腰を入れて下着を絞る。
だが、夢の中のヒューベルトは二十代後半ほどで、もっさりとした印象の中途半端な髪型は今よりもさっぱりと切られ、陰鬱さを減らしていた。ゆえに、自分は本物のヒューベルトで遂情したわけではない!!
――フェルディナントは誰に訊かれている訳でもないのに内心で言い訳をする。
あんなものは紛い物だ。数年経とうと本物のヒューベルトならば、フェルディナントの名前をか細く呼びながら淑女のごとく自分に縋り付くことなどあり得ない。たおやかに、はにかんだ笑いをフェルディナントに浮かべるはずもない。
そう頭では分かっているが、下半身は類を見ないほどスッキリしている。そのことがフェルディナントには大変な屈辱だった。
『いけませ、ぁ…ッそんな、ご無体な……』
いや、だから、あれは紛い物だ。
『んっ……好きです……フェルディナント殿…ッ、好きぃ……っあ、あんっ……!』
そう、あんなものは、紛い物……。
「ぬおおおおおお……」
「先程からなんですか。朝早くからうるさいですな」
「ッッッッッどわあーーーーッッッ!?!?」
陰鬱な声にフェルディナントは飛び上がった。
バクバクと鳴る心臓が治まらないまま振り向くと、そこには剃刀と手桶を手にしたヒューベルトが軽蔑しきった顔で立っている。
「水車のごとく口を回すにしても、時と場所くらい弁えたらいかがです」
今が何時とお思いで、という嫌味。眉間の皺に、とどめの舌打ち。いつものフェルディナントならば朝から不快な顔を見たと気分が盛り下がるところだ。しかし夢に見たヒューベルトとはまったく異なる表情を浮かべる本物の彼を見られたことで、今だけは少し救われた気持ちになる。
当然顔を見ても、夢と違って心臓が締め付けられるようなときめきなど微塵も起きはしない。そのことを実感することによって、やはり自分はヒューベルトにはやましい気持ちなど露ほども抱いていないという安心感を得ることができた。
気分が上昇したフェルディナントは、珍しくヒューベルトの嫌味に快く応える。
「いや、君に指摘されるまで独り言の自覚が無かったのだ。すまない、以後気をつけよう」
パァ、と太陽のように笑うフェルディナントを見て、反対にヒューベルトは更に顔を歪めた。
ヒューベルトが目を瞠り、体を一瞬固くしたことに気づいたフェルディナントは、「どうかしたかい?」といつになく下手に出て問うたが、返事はつれない。
「用が無いなら部屋に戻ったらどうですか。これから人が起き始めますよ。……まあ、見苦しいものをひけらかす趣味がおありならば別ですが」
言われ、両手に握ったままの下着を思い出したフェルディナントは慌てて下着を背中に隠し、失敬した、と謝罪しながら慌てて立ち去った。
フェルディナントを追いやったヒューベルトは、フェルディナントの後ろ姿を注視していた。
睨むという表現が適切な険のある目つきは、フェルディナントが遠ざかるにつれ拍子抜けという風に緩んでいく。
「ふん……」
ヒューベルトもまた、悪夢を見ていつもより早く目が覚めた。
落日の髪に囚われ、自ら暑い胸板に縋り付いて、捉えられて、それでもなお寂しくて。
なおも夜を繰り返したいと恥知らずに縋れば、その男は太陽のように破顔して、今まで自分に与えられたことが無い、愛というものを教えてくれた。
――ヒューベルトは、そんな現実とは似ても似つかぬフェルディナントの夢を見た。
やはりあんなものは紛い物だ。水飲み場の水に近づき、脳裏にこびりついたまやかしを洗い流すためにヒューベルトは顔をすすいだ。