ウェドの様子がおかしい。
久しぶりに別々の仕事を受け、ウェドの帰りがやたらと遅かったあの日…ウェドは帰ってくるなり珍しくすぐに眠りについた。
大抵別の仕事をした日はお互い一日の報告をして、それから…別だった時間を埋めるみたいに…その、求めあったり…するのだけど。
その翌朝ウェドはいつも通りだった。疲れていたんだな、その時はそう思ったのだけど、やはり違和感は日に日に大きくなっていって。
ウェドはどことなく俺に遠慮がちで、どことなく上の空だった。
今俺たちは茂みに潜む蛇がいつ飛び出してくるのか警戒しているような状態だ。きっとウェドは何か情報を掴んだんだ。
…それでも、それを俺に話せないって事は未だ確証がないか、アルがコンタクトを取ってきたか…恐らくそのどちらかだと思う。
問い詰めた方がいいのかもしれない…でも俺はウェドを信じたい。ウェドが今俺に話せないと言うなら、待つべきなんじゃないかなって思うんだ。今俺にできることは、どうか前者であってくれと願う事だけだ。
アルとウェドが俺の知らないところで顔を合わせているなんて危険だ。そんな事考えたくもない。
そういえば、もう一つ気になることがある。彼女…サリアが数日姿を見せていない。
勿論彼女の顔なんて見たくもないけど、毎日のようにちょっかいを掛けてきていたというのにそれがパタリと止んだ…アルと何か動いているのだろうか…どうにも自分だけ蚊帳の外にいる感覚が拭えない─
テッドはもやもやとした感覚に囚われながらも大きな事件もなく、変わらず日銭のために入ってくる小さな依頼をこなしていた。自分なりに情報収集をしてみるも、アルダシアらしき人物の話は全く掴めないでいた。
アルダシアが普段あんなに目立つ真っ赤なシャツを着ているのは、予めその印象をばら蒔いておけば変装などしなくとも色を消すだけで周りの目を誤魔化すことができるからだ。
逆に、サスタシャの入口で赤い影を見かけ単独行動をしてしまったテッドはその印象操作に誘導されとも言える。
(はぁ…今日も収穫なし、か。…あの日からウェドと別の依頼をする事が少し増えた気がする。って言っても数日だし、気の所為かもしれないけど…)
リムサ・ロミンサの上層甲板、アンカーヤードに差し掛かるスロープを登った円状広場でウェドの依頼が終わるのを待つ。テッドが未だ一人ではウルダハへのテレポが覚束無い為、別行動の日はここで待ち合わせてウェドのテレポのエーテルを手網にさせてもらい一緒に帰るのが常だった。
低い塀に腰掛けぼんやりと足元の白い石畳を眺めているとふ、っと視界に影が被さりテッドは顔を上げた。
「ウェド!」
「…じゃなくて残念でした」
「ぅわ!」
見上げた先には美しい少女─サリアの姿があった。サリアはくしゅりとした長い髪を指先で耳にかける。
「失礼な反応ね」
「…君、もうウェドの事諦めて居なくなったんだと思ってた」
「諦める?あれぇ、もしかして─」
「テッド!」
「!」
スロープを駆け上がり壁を飛び越えるようにしてウェドが目の前に現れた。ウェドはテッドを護るように身を呈して間に立つ。ウェドの瞳は焦燥しサリアを睨んでいた。
「あは!ウェド、慌てちゃってらしくない」
「遅くなってすまない、何もされていないか?」
「う、うん」
最後にサリアに会った時とは明らかに違う、激しく警戒するウェドの様子に胸騒ぎがする。
(やっぱり何か俺の知らないことが─)
「ウェド、貴方あの夜の事テッドくんに隠してるのねぇ」
「え、あの夜…?」
抱いていた疑惑が浮上した瞬間、それはサリアの一言で確信へと変わった。
ウェドは目を逸らさずサリアを睨み続けているが、その口元は歯を食いしばり歪んでいた。
「ウェド…?」
「言えないかぁ!そうよね、言えるわけないわよねぇ!ふふ、テッドくん、あたしが教えてあげる。」
「よせ─」
「ウェド、帰りの遅い日があったでしょ?あの日彼はあたしを抱いていたのよ」
「……え?」
「…ッ」
テッドはウェドの青い瞳が揺れるのを見逃さなかった。嘘だ、信じられない。ウェドが?サリアと?そんな訳ない、だってウェドは俺を─
「…うそだ、なんだよそれ、騙されないから!」
「っあは!だってさ?ウェド。ちゃんと言ってあげないと可哀想よ?」
「…」
「ウェド…?なんで…何も言わないの」
「ねぇテッドくん、ウェドって案外乱暴にするの好きよね。力任せに奥まで挿れるからあたしびっくりしちゃった。あ、あと脇腹にある傷…そこも感じちゃうみたい。知ってた?」
「な、んで…」
「ほらウェド、貴方からもテッドくんに教えてあげなよ、あたしのナカ、気持ちよかったって。あんなに夢中で突いてくれたじゃない」
「…ッ」
ついにウェドはサリアから視線を伏せ、耐えるように拳を強く握りしめている。
そんな、どうしてウェドは何も言わないの、どうしてサリアはウェドのそんな事知ってるの、どうしてあの日からウェドの様子は変なんだ、どうして─
何か言えない事がある、それはわかっていた。
何を言われても受け入れられるつもりでいた。
どんな内容であれウェドに協力したい、必ず話してくれる、そう考え信頼し待っていた。それなのに、ウェドはサリアと一夜を過し、それを隠していた?
指先が冷たくなっていく感覚に沈み込む。
そりゃあ、若く美しい女性に誘われたら、男なら願ってもない事だろう。ウェドが彼女を抱きたいと思ったとしても、誰が責められる?
だって…だって自分は男なんだ、柔らかな胸で抱いてあげることも、性器でウェドを受け入れてあげることも出来ない。
自分では足りないことが多すぎる事実に涙が零れそうになり、気が付いた時には石畳のスロープを駆け出していた。
「テッド…!」
背後で呼ぶ、大好きな人の声。
独り善がりな恋をしていたあの頃とは違う胸の痛み。一度愛されてしまった心はなんて脆いんだろう。
***
上層甲板に残された二人。本意では無いが彼女が言ったことは嘘ではない、浅はかで軽率な判断をしたのは間違いなく己の罪だ。どうしてテッドを追いかけることができる。
ウェドはただただその場で俯き肩を震わせる。
「可哀想なウェド…慰めてあげようか」
「…悪いが…ここから消えてくれないか」
「ふふ、残念。またね、ウェド」
サリアはウェドに向けてちゅ、っと可愛らしくキスを飛ばし上機嫌に軽い足取りで去って行く。アルダシアとの約束の日が近いこのタイミングでサリアが現れたのは、恐らくテッドと距離を置かせるための念押しだろう。余計な事をしてくれる。
肉体関係などなんの意味もないと思っていたあの頃とは違い、テッドと出逢いウェドは愛を知った。肌を重ねることは愛欲の衝動と知った。彼を求める気持ちは底なしで、いつだって彼に触れていたくて、熱の籠った彼の手が切なげにウェドの背を抱く時、それはウェドにとってもう意味のない行為などでは無くなっていた。
それはきっとテッドも同じで、あの夜のことを知った彼がどれほど傷付いたか想像に容易い。
心は揺れること無く真っ直ぐ君だけを求めているのに、己の不甲斐なさで伝えることが出来なかった。
いや、こうなるのが怖かったのだ。
君の暖かく美しい魂から隔たれてしまったら、俺はどう生きればいい…?
***
「…ただいま」
キィ、と小さく軋む音をたて扉が開くとそこには焦がれた姿があった。このままテッドは居なくなってしまうのではないか、と恐怖に苛まれていたが、一日後テッドは帰ってきた。
丸一日泣いていたのか、目元が赤くくすんでいる。テッドの姿を捉えたウェドは自分でも制御出来ぬ勢いでテッドに駆け寄り強く抱き締めていた。
「ぉわっ!ウ、ウェド…!」
「おかえり、テッド」
テッドはウェドの背中をとんとんと軽く叩き、「は、離して」とウェドの腕を抜け出し部屋に入る。バツが悪そうにウェドに背を向けたまま結った髪の毛先を弄っている。
ウェドは手早く用意した角砂糖が二つ入ったコーヒーをテッドに手渡す。テーブルに揃って座ることも、ましてやベッドに並んで腰かけるなんて事も出来ず、微妙な距離を隔てそれぞれテーブルとベッドに腰を下ろした。
「テッド、帰ってきてくれてありがとう…聞きたくもないかもしれないが…どうか話をさせてくれないか」
「うん…あの、俺も、話がしたくて帰ってきたんだ」
ウェドが話すよりも先に、意を決した表情でテッドが口を開く。コーヒーカップを持つ手が小さく震えている。
「…俺大丈夫だから、俺じゃウェドを…満足させてあげられてないって事はわかってるつもり…ウェドが俺じゃ満足出来なくても…俺は…俺にはウェドしかいないから…っあんな風に居なくなって、その、ごめん…」
「待ってくれ!ああ、そんな事あるもんか…っ!」
テッドから罵倒され、別れを告げられるかもしれないと覚悟し頭の中で言葉を探していたウェドは思いもしない言葉に大きく頭を振った。
「本当に…すまない、全部俺が愚かだったんだ…!情けなくて君に話すことが出来なかった…こんな形で君が知る事になって…大切な君を傷つけてしまった…」
やっとウェドとテッドの視線は重なり合い、ウェドの乞うような真っ直ぐな瞳を見詰めテッドはこくりと頷く。
「…あの日、俺は依頼人との待ち合わせ場所に行った。だがそこに居たのは彼女だった…」
今あの少女の姿を思い浮かべる事は余りに苦々しく、気を紛らわすようにテッドは甘いコーヒーを啜った。
「彼女は…あの日君が一人じゃない事を知っていた。そして君が無事だという確証はないと揺さぶりをかけてきた…それで俺はまんまと君を人質にとられたと思い込んだってわけだ…冷静じゃなかった、情けないよな」
「えっ…」
テッドが驚いて顔を上げるとカップの中が波打った。
「それってもしかして」
「ああ、俺は彼女の言うことを聞くしか無かった…その先は…まぁ酷いもんだったよ」
「ま、待って!」
「テッド?」
「それって、俺のために…されるがままだったってこと…?」
「俺が彼女の話術にハマっただけだ、君のせいなんてことは─」
「そうじゃなくて!その、俺じゃ満足出来なくて…綺麗な女の人とセックスしたかった…訳じゃないの?ほんとに…?」
「まさか!俺はただ一人、君だけを愛している…君を求めて仕方がないというのにそんな事ある訳が無い!俺を掻き乱すのはいつだって君だけだ」
「そう、なんだ…俺てっきり…ウェドはもう俺じゃ駄目なんだって思って…」
しりすぼみに声は震え、一日中胸を押し潰していた不安と悲しみも、思い違いだった安堵も同時に湧き上がりテッドは泣いてしまわないように目頭を手の甲で抑えた。
ウェドはベッドに腰掛けるテッドの前に膝をつき、その手をゆっくりと包み込み甲にそっと唇をつける。
「本当に、すまなかった」
「事情はわかった…俺もごめん…でも、ひとつだけ聞いてもいい?」
「ああ」
「ほんとにそれだけ、だよね?」
「ああ、勿論」
ウェドは力強く頷いた。
そのウェドの瞳を見詰め、テッドは微笑みを返す。お互いの誤解も解け、ウェドの不貞も致し方なかったものだとわかり問題解決したように見えた。が、テッドは感じていた。
(ウェドは俺に嘘つくの下手になったよね。)
ウェドは表情を作る時、ほんの一瞬だけ浅く瞬きをする。ウェドの演技や嘘が下手になったと言うより、テッドがウェドの事をよく見ていて些細な事も見抜けるようになったと言う方が正しいだろう。
今聞いたウェドの気持ち、それは本心だったと思う。以前ならそれでも愛される事に自信が持てず不安を抱え続けていたかもしれないが、それを疑うことは今のテッドはもうしない。
─しかし、それとは別にウェドはまだ隠し事をしている。
この場で俺に嘘をついてまで明かせない事…ウェドが近頃一人で行動することが多いのもやはり見過ごせない。
一人蚊帳の外に置かれているのは変わってない…ということだ。
ウェドの事を信じてはいるけれど、同じようにサリアに丸め込まれてしまうこともまたあるかもしれない。カナが人質にとられたら?ヤコちゃんやムーさんが酷いことされたら?きっとウェドはまた自分を差し出すだろう。
俺に言えない事にサリアが関係しているのは間違いない。彼女と何か契約を交わしたのかもしれない…
なんと言ってもサリアのあの押しの強さ、これ以上ウェドに触れられるのは…理由がどうあれ嫌だ。
これは俺のワガママな恋心。
セックスなんて人間の一番穢い欲でしかないと思っていたのに、好いた相手が他の誰かに体を許す事がこんなにも嫌だなんて知らなかった。
「どうせ女の子に強く抵抗できなかったんでしょ?」
「君の察する通りね」
「もう!これがもし…命を狙われるような事だったらどうするのさ!」
テッドはウェドの逞しい胸元に少し強めに拳をコツンとぶつけ、唇を尖らせ冗談っぽく睨んでみせるとウェドはいつもの片眉を下げた微笑みを見せる。
ウェドはゆっくりとテッドを強く抱き締め、テッドは彼の背中に手を回し応えた。
この温もりを失う事にならなくて本当に良かった。
ここからは努めて普段と変わらぬように振舞って、今考えている事をウェドには気取られぬように注意しなくては。
人間観察にも長け、人の嘘や変化も直ぐに捉えてしまうウェド相手に何処までやれるかわからないけれど、テッドは決心していた。
(ウェドが話してくれるまで待つ、でも俺だって、大人しく待ってるだけじゃないからな!!)
いつ何が起こってもいいように出来るだけ早く行動に移さなくては。頭の中で必要なものをリストアップする。
まずは発信機…帝国式のものを手に入れるにはあまり良い手段がないだろう。そうなるとガーロンド社の物になる。お金、足りるかな…
それと有事の時に体ひとつで飛び出せるように軽いホルスターなんかもあるといいかもしれない。サリアが実際寝込みにウェドの命を狙わないとも限らないし、ナイフも必要かな…もし駆け付けた時最中だったらすぐに止めさせられるように痺れ薬も必要…?
いや、そもそもウェドに近付けさせないけど!
テッドはぶんぶんと頭を振り邪念を払うと忙しくなる明日に備えて眠りについた。