弱み
「エースたちに聞いたよ。ルークのこと」
隣で自分の作ったケーキをつつくヴィルに、トレイは切り出す。トレイにしつこくお茶会に招待されたヴィルは、ついに根負けしてトレイに着いていくことにした。正直、ヴィルは今の精神状態でトレイに会いたくはなかった。一方のトレイは、何としてもヴィルに会いたいと望んでいたのだ。
「聞いたって、いったいどれを? いろんなことがありすぎて、どれのことだかわからないわ」
「俺がお前を誘ったんだ。何のことだかわかってるはずだけどな」
眼鏡をくいと上げてヴィルを見つめる。全てを見透かしたような笑顔を浮かべて。
「意地悪ね。別に気になんかしてないわ。ただファンってだけでしょ」
そう言ってはいるが、これは強がりだとトレイはわかっていた。ヴィルもまた、この男の前で強がったところで無駄であることは理解していた。
「だから俺にしておけって前から言っているのに」
「ホント、懲りないのねアンタって」
ヴィルは以前からトレイに好意を伝えられていた。何度もあしらってはいるが、今もこうして熱烈に思いを伝えてくる。
「俺ならお前だけを一途に愛し続けるけど」
手のひらで包み込むように、ヴィルの手の甲に触れる。普段こんなことをしようものならすぐに振り払われてしまうが、今日はいつもとは違った。ヴィルは触れられた手をじっと見つめる。
「手、振り払わないのか」
「嫌な男。人の弱みにつけこんで」
「はは。俺は利用できるものなら何でも利用するよ」
トレイはその手をヴィルの手に絡ませ緩く握る。ヴィルは小さく抗議の声を上げるが、どうしてもその手を振り解くことができなかった。
「別にアイツと付き合っているわけじゃないんだし、悪いことじゃないと思うぞ」
トレイは握る手を強め、ヴィルの顔を覗き込む。ヴィルは顔を背けるが、トレイは決してヴィルから目を逸らそうとしない。その視線に、ヴィルはたまらず目をつむる。そして大きく息を吸い、ゆっくりと吐きだした。まるで衝動を抑えるように。
「……お願い。これ以上今のアタシを甘やかさないで。簡単に流されてしまいそうになるもの」
「わかっててやってる」
間髪入れずにトレイは答える。そんなこと、ヴィルだってわかっていた。ただ本人の口からそう言われると、もう逃げようがない。
「今無理やり抱きしめたら、引っ叩かれるか?」
「絶対にやめて」
「引っ叩かれないんだな」
ヴィルはまぶたを開け、トレイを見つめる。こちらを真剣に見据えるマスタードの瞳に捕らえられ、胸が脈打った。ヴィルはみるみる眉尻を下げ、唇を震えさせる。どうか流されまいと耐えているのか。
「――悪い。そんな顔をさせたいわけじゃないんだ」
そう言って、トレイはヴィルの手を名残惜しそうに離す。
「……どんな顔よ」
手を解放された安堵と温もりを失った寂しさに、ヴィルの心は掻き乱された。しかし何とか取り繕い、キッとトレイを睨む。
「その苦しそうな顔も正直そそるが、やっぱり俺はお前の笑顔が好きなんだ」
どこででも聞くようなチープなセリフ。しかしヴィルが別の男からほしい二文字の言葉を、この男は簡単にくれるのだ。その甘い誘惑に、思わず溺れてしまいそうになる。
「弱みにつけこんだりしなくても、振り向いてもらえないとな」
「そんな日は来ないでしょうけど」
つれないこと言うなよ、そう言ってトレイは笑う。これ以上何も仕掛けてこないと悟ったヴィルは、小さく息をついた。流されてしまわないかと本気で心配したが、この機を利用しようとしないところにトレイが本気でヴィルを落とそうとしていることがうかがえる。
――この男に身を委ねることができたら、どれだけ楽だろうか。一瞬頭をよぎった選択肢に気付かぬふりをして、ヴィルは最後の一かけらを口に運んだ。