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    炎柱握手会
    ■アイドルパロ
    ■終始モブ目線、猗窩煉です

    #猗窩煉

    アナウンスを受けて整理番号順に整列する。会場は熱気を帯びているものの、ロープパーテーションで仕切られた順路を守って皆行儀よく前進している。速度は牛歩、安心と安全が守られた行進だ。「炎柱握手会」チケット倍率は目が眩むほどのもので、当選お知らせメールが届いた瞬間、メール画面に向かって声を上げたのは大学受験の合格発表以来だったと記憶している。あの日の興奮を思い出しながら、今日この日まで実際の日数よりも随分と長く感じられた日々を回想する。この日があるから生きていられると、自分を鼓舞してきた、それほど楽しみにしていたのだ。整理番号を指で隠してチケットを撮影し、SNSを更新すると炎柱ファンのフォロワーから直ぐに反応が返ってくる。落選お祈りメールを受け取った本名は知らない大切な友人たちの分まで、自分が代表して炎柱の握力を感じて来るからね、と心の炎を燃やして待機列で拳を握る。
     一歩、一歩と炎柱が待つブースが近付いてくる。パーテーションで仕切られた向こう側に、推しが"存在する"と想像しただけで心拍数が上がってしまう。顔を合わせて、言葉を交わしながら、差し出される右手を握る。それだけのたった十秒そこらだ。ここに居る全員が、その十秒足らずの為に何十倍もの時間をかけてやってきている。

     煉獄杏寿郎。通称、炎柱。アイドルグループ「鬼殺隊」を支える9人の柱の一人だ。5月10日生まれ、牡牛座、身長177cm、体重72kg、東京都出身、20歳。均等の取れた引き締まった身体、明朗快活、明朗闊達とした性格がよく出ている芯の通った声、凛とした佇まいは静止画で見ると少しだけ近寄り難さすら感じる程に、折り目正しく精練されて見えた。
     グループの後輩たちの前では、先を行く先輩としてその背を見せ、アイドルのなんたるかを優しくそして時に厳しく導く頼もしい存在。人気に火が付き徐々に増えたメディアへの露出や、グループ内の一部メンバーが始めたSNSを皮切りに、メンバー同士の交流や個々人のひととなりが露わになっていくと、パフォーマンスでしか知る事の叶わなかった煉獄杏寿郎という人物像がファンの前にも明らかになっていった。
     初めてバラエティー番組へ出演した時、初々しさを隠さない後輩メンバーに挟まれる形で、初露出だというのに堂々とした立ち居振る舞い、はつらつとした声音はステージ上で輝く彼の姿そのままだった。
     その凛然とした印象が覆ったのは、メンバーが更新したSNSが切っ掛けだった。炎柱本人は自身のアカウントを開設していないため、彼の挙動が確認できるのは他メンバーの更新の中でのみとなる。時折映り込む彼のオフショットは、ステージで見せるものとは雰囲気ががらりと違っていた。楽屋裏であっても姿勢の良さはそのままに、仕事用のレンズで抜くのとは違ったリラックスした表情は、ファンの見慣れた凛々しさよりもずっと柔らかく、朗らかな笑顔が多かった。その表情のギャップを見るだけでも、表舞台に立つ彼がどれほど気を張って、完璧なパフォーマンスを発揮しようと努めているかが垣間見えた。レッスン風景を切り取った写真では誰よりも楽しそうに汗を流し、違う日には楽屋の椅子で船を漕ぐ極々自然体な姿が見切れていた。
     炎柱推し以外にも反響が大きかったのは、オフの日の食事会の写真だ。メンバー全員分の皿が集まってきているのかと疑いたくなるような、姿が隠れる程に山積みされた空皿を目の前に、わんぱくにデザートを頬張る笑顔が映し出されていた。画面中央には男女混合グループとは言え比率の低い女性メンバーの恋柱と蟲柱が頬を寄せ合ってセルフィーを撮っているというのに、背景として見過ごすにはあまりにもインパクトの強い光景だった。それでも、彼女たちの表情や、一緒に添えられたコメントで炎柱の大食漢ぶりに触れることはなく。あくまでも日常の何のことでもないように更新されたセルフィーとのギャップで大いにバズったのだった。

     炎柱フォルダーに収納した画像をスワイプしながら、本人を目の前にする気分を高めると共に、画面というレイヤーを通さずに対面することへの準備運動を兼ねる。握手会開始一時間前に更新された音柱のSNSでは、ケータリングを前にきらきらと瞳を輝かせる恋柱と炎柱の姿が映し出されていた。美味しいものをたくさん食べてね、という謎の親心で胸が熱くなる。わんぱくで何でも美味しそうに食べる炎柱の姿は何とも心の柔らかで暖かな部分をくすぐるものがあり、件の山盛りお皿画像がバズった後は、鬼殺隊へ贈られるプレゼントに菓子折りやお取り寄せグルメ、米俵などが増えたらしい。事務所の廊下に並べ置かれた美味しい山々の写真は蛇柱のSNSに投稿され「年貢か。」と簡素なコメントも付いていた。
     ファンからのプレゼントのガイドラインが曖昧だったこともあり、こうして食品が届けられていたのだが、程なくして贈り物の規定が更新された。積極的なSNSへの露出がなかった炎柱が、事務所公式アカウントに動画を公開し話題になった。我が子のように米袋を抱いたまま、ファンから届けられる贈り物への感謝の言葉と、ルールが変わること、それは応援をしてくれるファンを守る事にもなるという事をステージで見せる、あの真っ直ぐな眼差しで伝えてくれた。2分13秒の動画を締めくくったのが、腹式呼吸ばっちりのアリーナへ響かせるような「いつも応援ありがとうございます!」という言葉だったが、残念ながらスマートフォンのスピーカーでは音が割れてしまっていた。

    「こちらのお客様まで中へお進みください。」
     前に立つ男性の前でロープパーテーションが区切られる。ついに、もう一度呼ばれたら推し、炎柱、煉獄杏寿郎の待つ仕切りの内側に招かれる。近付いて来た握手スペースの内側から歓喜の声が漏れ聞こえてくる。黄色い声とはまさしくこの体の中から湧き立つ感嘆の声のことだと思った。彼と対面したら、何を話そう。たった十数秒の間に、銀幕デビューをお祝いしたいし、新曲が素晴らしかったことも伝えたい、この日の為に健康で生きてきたこと、これからもずっと応援し続けることも伝えたいけれど、想像しただけで時間が足りない。そんな事よりも、生身の煉獄杏寿郎に自分が視認され、触れ合って、言葉を交わすだなんて、徐々に緊張と興奮が押し寄せてきて足が竦む。
     一枚板のパーテーションの向こう側から、溌剌とした声が聞こえてくる。握手をしているだろうファンの声は、小声なのか、それとも待機列までの距離のせいか、男性か女性かが判断できるくらいは届くものの内容までは聞こえてこない。それなのに、炎柱の声はまるで隣で聞いているかのように筒抜けだった。「こんにちは!」「それはよかった!」「気を付けて帰るように!」スピーカーを通さない推しの声が鼓膜を震わせる。鼓動が早まって、燃えるように体が熱くなっていくのを感じる。

    「こちらのお客様まで中へお進みください。」
     少し前に聞いた文言と同じ言葉が繰り返された。自分の横を通り過ぎたスタッフが、前の男性、私、その後ろ三人までをパーテーションの向こう側へと招き入れる。先日リリースされたばかりの新曲のポスターが貼りだされたパーテーションを越えると、テーブルの向こう側に煉獄杏寿郎が立っていた。
     会場フロアはステージのような華やかなものではない、当然スポットライトなんてないので天井のLED蛍光灯のみだ。それなのに、美しい金髪はエフェクトかかったようにきらきらと煌めいていた。傍に立つスタッフへ何か声を掛けて、目の前で待機するこちらへ向かって軽い会釈をしてからテーブルの上に置かれたミネラルウォーターへ口を付けた。煽るように少し顎を上げて、反った喉元に尖るように浮き出た喉仏が上下する。煉獄杏寿郎が、目の前に生きていて、水を飲んでいる。情報量の多さに眩暈がした。

    「杏寿郎!」
     息も忘れて目の前で生きている炎柱の姿を見詰めていたが、突如響く青年の声に目を覚ます。もう少し遅かったら、本当に酸欠で卒倒しても可笑しくなかったので助かった。声の主は、自分の前に並んでいる男性のようだった。深く被っていたキャップを取って、テーブルの向こうに待つ炎柱へ振っている。炎柱の事を下の名前で呼ぶファンは珍しい、その上呼び捨てにするなんて。一瞬嫌な想像が頭を掠めるものの、こうして握手会まで足を運ぶ熱心なファンを疑う必要はないと思い留める。ペットボトルから口を離し、きつくキャップを締めた炎柱がその呼び声に反応したのか待機列へ視線を向ける、花が綻ぶように柔和な笑みが整った顔を彩って、片手を上げてまるで風を混ぜるようにひらひらとその美しい左手を振って見せた。ブースの室温が上がった気がする、逆上せたように熱くなる。
    「順番にどうぞ。」
     待機列の傍に立つスタッフが合図を出すと、目の前の男性が迷いなく、一直線に炎柱の前まで歩を進めた。荷物になるキャップを再び深く被り直しながら、踵が跳ねるような、このたった数メートルの距離を詰めるのももどかしいといったような足取りだ。
    「杏寿郎。」
    「君も来ていたのか。」
     キャップを被った男性が再び炎柱の名前を呼ぶ。男性の右手を受け入れるように、両手を差し出す炎柱から目が離せなかった。次は、ああやって私が手を差し伸べられる番なのだ。炎柱の両手がテーブルの上で宙ぶらりんになっている、キャップの男性は緊張しているのだろうか、伸ばされた手を取らずにジーンズに手を入れている。不思議そうにその所作を見守る炎柱が首を傾けるのと殆ど同時に、男性が炎柱の左手を取る。指先に触れて手の平で支えるように、控えめな握手をしているのだと思った。
    「杏寿郎、……なれ。」
    「ならない!」
     恭しく左手に触れた後は、男性と炎柱の姿が重なってよく見えなかった。相変わらず溌剌とした声はブースに響くが、炎柱にだけ届くように発せられた男性の声は聞こえてこない。自分の番になったときも、余程興奮して大きな声を出さない限りは、待機している他のファンに何を話しているか聞こえないかと思うと、すこしだけ気が楽になった。
    「なると言え!」
    「ならないと言っている!」
     先ほどまでは聞こえていなかった男性の声もブース内に響く。揉め事だろうか、推しを目の前に興奮する気持ちは分からないでもないが、問答のような応酬に少しだけ場の空気が張り詰めるのを感じた。しかし、渦中の炎柱の表情はけっして剣呑なものではなく、むしろ子供の悪戯を見守るような朗らかさすらあった。二人の間でお決まりのやり取りなんだろうか。炎柱はファンを認知するのが得意だとも、以前のインタビューで答えているのを知っている。
    「それじゃあ、また後で!」
     お時間です、と肩に触れられた男性がスタッフに向かって隠す事もなく舌打ちを返していた。はがしによって退室を余儀なくされた男性が「待ってる。」というような事を言い残してパーテーションの向こう側へ消えていく。そんな粗暴な態度の男性にも、変わらずに快活な笑顔を見せて見送る炎柱が左手を上げて大きく振っていた。掲げられた左手に、今までは見えなかった装飾が蛍光灯の明かりを反射させて煌めいた。
    「お次の方どうぞ。」
     というスタッフの声が随分と遠くに聞こえる。炎柱がきらきらと煌めく左手を撫でている、その指先から目が離せない。明かりに吸い寄せられるようにふらふらと炎柱へ歩を進める。骨節の立つ男性らしい手指、その左手の薬指から銀細工の指輪が引き抜かれて、テーブルの上に置かれた。さっき飲んでいたミネラルウォーターのボトルの隣に、繊細なデザインの指輪が並べ置かれている。
    「待たせてしまってすまない。」
     お待たせ、と先の男性を招いた時と同じように炎柱が両手を差し出している。指輪が抜き取られ、再び裸になった左手だ。銀幕デビューおめでとうとか、会いたかったとか、これからも応援してますとか、想定していた文言は全て飛んで行ってしまって、目の前に差し出された右手を強く、強く、両手で握った。炎柱は、裸のままの十本の指で、しっかりと右手を握り返してくれた。
    「お幸せに!」
     思いの外に大きな声が出てしまって、ブースの中に自分の声が響く。炎柱はそれに驚いたのか、少しだけ強張ったように握手の手を強めて、それから直ぐにステージで見せてくれるきらきらとした満開の笑顔になった。
    「ありがとう!」
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