ワールドワイドラブ【オル相】 明かりを消した真っ暗な部屋の中、ベッドに寝転んで当てもなくスマホのニュース画面をスクロールしていた。光量を最大限落としても光が目に痛い。目薬を差した方がいいのはわかっていたけれど、愛用の目薬は脱ぎ捨てたヒーロースーツのポケットに入れっぱなしで拾いに行く気力もなかった。
ホーム画面を確認した。着信もメッセージも何もない。
そうだろうな、という気持ちと落胆した自分が同時に存在する。
ニュースアプリのヒーローのタブはオールマイトの熱愛報道で埋め尽くされていた。引退したとはいえ目立つ男だ。今はアメリカに長期滞在しており、そこで出逢った女性と蜜月を過ごしている、というゴシップ記事だった。目を細めてしまうのは、それが複数の報道社から、異なるシチュエーションで撮られた複数の写真を使用して記事になっているという点だ。私服ではないのを見る限り研究所の誰かだろうと推測は付く。
(言い訳がねえ、ってのは、良い便りと取るべきか)
今朝リリースされたこのニュースのせいで俺とオールマイトの交際を知っている職員室は出勤途端お通夜みたいな空気になって、皆がこんなの嘘に決まってますよと俺を励ました。残念ながらオールマイトからは何の連絡なかったが、それを言ったところで誰もがリアクションに困るだけだ。俺が気にしている様子を見せないことが一番効果があると信じて通常業務を行う。
(正直、ゴシップは初めてじゃない、が)
これまでのほとんどは、オールマイトが日本にいる時だったし、記事が出る前から或いは出てすぐにオールマイトから鬼電やら止まらないメッセージの通知があり、誤解だ違う信じて欲しいと疑ってもいないのに必死で捲し立てて来たから不安になる暇もなかった。
(……不安?)
なんとなく、すれ違う同僚達に何とも言えない視線を向けられるのが嫌で、寮を出てオールマイトのマンションに来てしまっている。オールマイトが渡米して半年、もうこの部屋に本人の残り香なんて残っていない。
大きなベッドの上、右側を広く開けて。
オールマイトが俺に愛を囁き続けたベッドの上で、他の女と微笑んで体を寄せて秘密の会話をしているような楽しげな写真を眺めている。
(…………そんなに器用な人じゃねえ)
俺はさっさと目覚ましをセットして背面を上にしてスマホを枕の横に放り投げた。
違うからね、と一言あればこんなにもやつくこともなかったろう。
「寝るに限る」
はあ、と溜息が出た。
気にしていないつもりなのに思った以上に腹の底に重石がずんと居座っているような居心地の悪さがある。
目を閉じて眠ろうとする。入眠時間が短いのが取り柄なのに今夜は手こずる気がして更に気が滅入った。
ごとん。と。
遠くで物音が聞こえた。
(なんだ?)
高いところから落ちる何かがあったろうか、と目を閉じたまま意識を向けようとして、それが何かが落ちた音では無いことに気付いた時には押し寄せる音の波と共に寝室のドアが開いた。
はあはあと肩を上下させ荒い息を繰り返すだけで言葉はない。背中に光を背負って表情も捉え切れない、しかしシルエットだけで間違えようもないこの部屋の主は、何故今ここにいる?
「……オール」
マイト、と呼びかけた声は飛びかかるように抱き付いてきた男の勢いに掻き消された。
「ごめん!」
痛い程に抱き締める腕の強さに、もやついていた気持ちがさっと散った。言葉を尽くされるよりこんな抱擁だけで体が目の前の男を信じた。
信じたかった。
「……何故謝るんです?」
オールマイトは身を剥がし俺の両肩を指が食い込むまで強く掴んで顔を突き合わせる。
傷付いているのはあなたの方じゃないですか。
痛々しいまでに顰めた顔に、彼が此処にいる理由と、彼が俺に見出している価値の釣り合いが俺の中で取れずにいる。
「私が愛しているのは君ひとりだ」
俺は目を閉じて逡巡を押し潰し軽く笑った。
「……知ってます。知ってますよ。あなた、浮気なんかできるタイプじゃないって。もし本当に俺以外に好きな人ができたなら、きちんと筋を通すでしょう。だから、あなたから何も言わないなら俺が心配するようなことは何もないんですよ」
オールマイトの心の傷を癒したくて発した言葉なのにオールマイトの表情は少しも解れることがない。
「君が私を信じてくれている。だからって私がそれに胡座を掻いてなおざりにして良いわけじゃない。私は君の信頼に報いたいんだ」
「……だからって別に、わざわざ来なくとも」
近くにいたあの頃とは違う。同じ空の下だけれど、昼と夜の差があって、気まぐれに尋ねられる距離でもない。
電話ひとつ、メッセージひとつ、それで済んだろうと俺が呆れたように呟けばオールマイトは首を横に振った。
「そう言うと思った。私が此処に来たことを、やるべきことを放棄して来たのかと怒りすらするだろう。私ね、ここに来る前に寮に行ったんだ」
「……何故?」
「君が、今夜他の誰かと過ごしていたら。少なくとも一人で考え込まずに誰かそばにいたのならそれで良かった。でも。もし、君がこの報道で傷付いて誰にもその傷を打ち明けられずにひとりでこの部屋で過ごさなきゃいけなくなっていたなら私は私を許せない」
「だから、それはあなたがさっさと連絡のひとつでも寄越せばそれで済んだ話でしょう」
「だとしても」
オールマイトは俺の体に腕を巻きつけて今度は大切に抱え込んだ。鼻から入り込む匂いが懐かしくて、懐かしいと感じるほどに離れていたのだと思い知らされて、温もりに包まれるのがこんなにも安心できるのかと驚いて。
「君がひとりで泣いていたらと思うと」
「俺はドライアイですよ。泣くわけないでしょう」
「……相澤くん」
「強がっちゃいませんよ。来たのかよと呆れる気持ちもゼロではありませんが、恋人に愛想を尽かされるのが怖くて海を越えてくる元ナンバーワンなんて面白いものをこんな特等席で拝めるなんてね」
オールマイトの目は疑っている。
俺が傷付いて悲しくて泣いて溶けてしまわないか本気で不安に思っているとしたら随分とメルヘンな頭だと思うけれど、心配されるのは正直嬉しい。
そう、これは嬉しいって感情だ。
「写真を撮られた彼女には、君の話をしてたんだ」
「は?」
「いいじゃないか。君を知らない人に私の素敵な恋人の自慢をしたって」
写真、随分と良い笑顔してんなと思ったんだ。
俺といる時みたいに笑ってたから。だから、ちょっとだけ、本気でこの女のことを好きになったのかもしれないって思って、怖くなったのに。
勝手に人の話してんじゃねえよ。
「……ねえ相澤くん」
「……なんです」
「目、うるうるしてるよ」
「するわけないでしょう」
「でも」
「してません。万が一乾いた目に潤いが戻っているのならそれはあなたが此処にいるからであって恋人が浮気してるかもって悲しくなったせいじゃないです」
都合の悪さを早口で誤魔化す。
「どっちにしても私のせいだ」
「どうせ泣かせるなら……わかるでしょ」
全てを言わすなと肩で肩をどつく。
「明日休み?日曜日で合ってる?」
「合ってます」
だから今夜が夢じゃないと、明日の朝までかけて証明してくれよ。シャワーなんか、後でいいから。