瘡蓋【オル相】「では、それでお願いします」
相澤は目を伏せオールマイトに背を向けた。何か言いたげな気配と引き止めるために反射的に持ち上げられた手が視界に入ったけれど、特に具体的に声をかけられたわけでもないのでそのままスルーする。職員室を出て仮眠室に向かう道すがら、とてとてと後ろから追ってくる足音が聞こえた。
「……」
そのくせ、名を呼ぶことはない。
オールマイトが何を話したいのか薄々察してはいたけれど、それは触れられたくない部分だったから意図的に避けていたのに気が付けば自らこうして袋小路に飛び込んでいる。
からりとドアを開け、開け放した扉に手を掛けて通せんぼをするように相澤は上半身だけ振り返った。
「仮眠したいんですが、何かありましたか。オールマイトさん」
名前を誇張して呼び掛ける。
後を付けていることに疚しさがあるのか、オールマイトは目に見えてびくりと一度戦慄いてから、少しだけいいかい、と食い下がった。
「業務に関係のあることですか」
相澤が打ったジャブにオールマイトはぐっと息を呑む。目的がそうじゃないのは目に見えていて、となるとオールマイトが議題にしたいのはやはり相澤が触れられたくないあの夜にまつわる何かしらであることに間違いがない。
しかし、引き結んだオールマイトの唇に決意の固さを思う。今拒んだところでオールマイトは意固地になって追いかけてくるだろう。いつまでもずるずると引き延ばすわけにもいかないのも事実で、相澤は溜息を吐き、潮時かと仮眠を諦めた。
何も言わず部屋に入る相澤の背を追ってオールマイトもその長身を仮眠室の中に納める。
閉じた扉の鍵を真上にスライドする中指の仕草を盗み見て、妄想の資料を得た。
「……で、なんです」
「その。この前の、こと、なんだけど」
オールマイトに向き直り腕を組む。左足に体重をかけ、右足を軽く前に投げ出す。過剰だと思われても不機嫌を演出して、この話題に触れたくないという雰囲気を全開にした。
「アクシデントに対応しただけですがそれが何か」
「怒ってるよね」
「怒ってはいません」
「でもずっと不機嫌だし私を睨んでる」
「不機嫌なのは寝不足のせいですね、あなたを睨んでるつもりもありませんがそのように見えたのであれば謝罪します。気をつけます。話はそれだけですか」
早口で便宜的に回答し、会話を終わらそうとする相澤に対してオールマイトは食い下がる。
「……私、君に無理させちゃった、かな」
「無理?最初から無理でしたよあんなもん」
「う」
「事務的に済ませろって言ってるのに人の話聞きゃしねえし。嫌がること平気でするし」
「それはせめて君に気持ち良くなって欲しくて」
「俺は気持ち良くなんかなりたくなかったんですよ」
「どうして?」
「どうして、って」
オールマイトのセックスなんか知りたくなかった。
触れ方も囁きも雄々しさも、唇の柔らかさも舌使いの巧みさも意地悪な指遣いも本能じみた腰の振り方も。
あんな一晩のほんの数時間の出来事は何もかもが相澤の身体中に刻み込まれてしまってもう二度と消えない。そして、消えないようにひたすらに傷痕を掻き毟っている。
「私、そんなに、下手だった?」
「上手いとか下手の話はしてません。俺は嫌いです」
「き、きらい」
オールマイトが明らかにショックを受けた顔つきに変わったが、そんなの相澤の知ったことではない。
「……嫌い、かあ」
元々垂れ下がっていた前髪が更に萎びる。見上げるほどの長身なのにガックリと肩を落とし背が縮んだように見え、細身の姿は更に痩せ細ってしまったようだ。
「別にテクニックが悪いとは言ってませんよ。俺とあんたの相性が最悪なだけであんたに合う人は他に」
相澤の知らない女を、或いは男を、あの優しさで抱くのだろう。
妄想で痛んだ胸を無意識に服の上から握る。
「それじゃ意味がないんだ」
オールマイトの応えは相澤を内面世界の痛みから引き戻す。
「何がです?」
「……本当に、嫌、だったのかい」
敢えて言葉を区切り、一言一句そのままの意味で問い掛けてくるオールマイトの眼差しには針の筵に座りながらも信念を譲らない強さが覗く。
相澤はその強さから反射的に視線を逸らしてしまった。直視して睨み返すだけの余裕も、嘘を吐き続けるための気概も失っていたから。
「だから、あれは義務的な」
「義務だとしても。消極的な同意だとしても。君は、私とセックスしたことを後悔しているのかい」
「……それは」
掻き毟った傷が、じくりと、膿んだ。
この体にオールマイトの痕跡を刻み付けるためのすべての行為を自慰と呼ぶなら、あの夜が後悔であるはずがない。
「何が、聞きたいんです。そんな質問で」
オールマイトの本当の目的は何処にある?
あの夜のことを蒸し返し、この会話でオールマイトが確信を得たい部分と相澤がひた隠しにしたいところは、多分同じだ。
「……たった一度寝たくらいで彼氏ヅラですか?」
辛うじて取り繕った仮面で挑むように見上げる。
「じゃあ、二度と言わず三度でもしていいの?」
「なんですかその冗談……ッ」
怯んだ隙に距離を詰められる。
空気が動いてオールマイトの匂いが相澤の鼻から入り込んだ。意識より先に体が反応する。
自分を散々に抱いた男の匂いは細胞のひとつひとつから悦びが滲み出るようで。
不意打ちに驚き跳ね上がった顔がオールマイトと向き合う。
「私は本気だよ」
視線を逸らすことを許さない元ナンバーワンの圧。
否、相澤を翻弄してやまない男にただ目を奪われて逃れられないだけだ。
本当はずっと盗み見ていたい。
「何度君を抱いたら、恋人になれる?」
言葉を失う相澤の手を取り、オールマイトは恭しくその指先にキスをした。
傷が疼いて仕方なかった。