藍平藍平さんには「似合わない色の服を着てみた」で始まって、「大切なものをなくしました」で終わる物語を書いて欲しいです。青春っぽい話だと嬉しいです。
#書き出しと終わり
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大学生藍と社会人平
「……礼服、ですか」
おん。明日な、部下の結婚式出たらなあかんねん。去年の暮れに衝動買いした安物の姿見の前で、平子さんは下ろし立てのスーツを前身に当てがっていた。
土曜日の夜。私はA4用紙の束をホッチキスで留めるだけの内職に勤しんでいる。週明けのゼミで配布するための資料作成だった。金曜の昼間、メールでデータを一斉送信しておいたのだが、アナログ脳を捨てられない老教授が「人数分の資料を用意せよ」と再び一斉送信で私宛の指令を寄越したのが悪夢の始まりだ。TOとCCの違いすらわからないような――メールすらまともに返信出来ない人間に言われてしまっては、無下に断ることも出来ない。ここで頭の古い人間相手に「データを見ろ」と一蹴することは、物言わぬ赤子を橋の下に棄てることと同義だと思ったからだ。
「えらい忙しそうやな」
鼠色のネクタイと臙脂色の蝶ネクタイを交互に首元へ寄せながら、平子さんは鏡越しに私を眺めていた。カシャカシャ。掌の中の小さな鰐が、乾いた音を立てて自らの空腹を知らせる。どうやらホッチキスの芯が切れたらしい。文房具類が無造作に詰め込まれた引き出しの中から、小さな箱を見つけて拾い上げる。コの字型をした銀色のそれは、鰐の上顎にすっぽり二束、収まった。
「別に、忙しくはないですよ。あと、蝶ネクタイがお似合いだと思います」
やや遅くなった私の返答には、いくら待っても反応などなかった。
平子さんは週末になると、私の下宿先へ泊まりに来る。二年前――私が大学二年生で、平子さんが大学四年生だったころ――から始まったその習慣は、彼が大学を卒業してからも継続されていた。
曰く、「効率がいいから」だそうだ。確かに、私の借りているこの学生マンションは、大学までならば歩いて数十分で到着するし、バスを使えばほんの数分という距離にある。そしてその大学は都営地下鉄の駅前に存在している。つまり、私の住んでいる部屋は学生だけが契約可能な格安の駅近物件というわけだった。
それに比べて、平子さんの実家は県外にあった。いくら通学・通勤圏内とはいえ、大学の最寄り駅までは最低でも電車で一時間ほど揺られなければならない。平子さんが私の家に入り浸るのはむしろ、自然の摂理のように思えた。
二年前。ゼミの打ち上げ帰りだった。繁華街のネオンにも劣らない照度で、月が夜道を導いている。深夜零時前の静謐は、突如として濁った水音に掻き消された。
「っ……ぅ、えぇ……」
びたびたびた。叩きつけるような音は、固形物と液体とがぶつかり合って落下した衝撃により生じている。吐瀉物は子供のころよく遊んだ粘土のような色をしていた。数歩先にある側溝まで我慢出来なかったのか、その人は歩道の端にロールシャッハを描いたまま立ち尽くしている。まっすぐ伸びた金髪を器用に持ち上げ、汚れないように気遣っているのがむしろ、残留した理性を感じさせて滑稽だった。
深夜とはいえ、大学近くの往来に吐瀉物で芸術を披露したことがよっぽど堪えたのだろう。彼の絶望に満ちた表情はなんというか、愉快だった。私がそんな状態の平子さんに声を掛けたのは、単純に知りたかったからだ。そんな状況に置かれた人が誰かに助けられたとき、どんな表情へ変化するのか。私は彼と一度も話したことがなかったが、なぜか全くの他人という風には思えなかった。むしろ、よく知っている人――よく知らねばならない人、というような印象を抱いた。
「あの、すみません」
話し掛けた私を見る、その目。飢えた野良犬のような。子熊を引き連れ歩く、冬眠前の牝熊のような。血走った白目が、下眼瞼から零れ落ちそうだった。
「もうこの時間だと、終電ありませんよ」
腐臭混じりの溜め息が、私の手首を舐める。ごしごしと袖口で唇を拭いながら、彼はようやく私を支えにして面を上げた。やはり、どこかで見たような顔立ちをしている。
「とりあえず、水でも飲みましょう」
ね。古いビルへ寄り添うようにして佇んでいる青い自販機に銀貨を投入し、産地不明のミネラルウォーターを購入する。自販機から吐き出されたばかりの天然水は、彼の口から吐き出されたそれよりもずっと清潔で冷えていた。
「最初は、直接口を付けずに濯いで。そう、上手です。それから、少しずつ飲んでください」
くぴくぴと言われるがままに水を飲むあの人は、まるで子供のようだった。生え際に薄ら滲む脂汗さえ愛おしく、今すぐにでも滅茶苦茶にしてやりたいという衝動をなんとか堪えなければならなかった。長い髪が邪魔にならぬよう、空いた手で彼の髪を束ねて持っておいてやる。脱色に脱色を重ねたのであろう彼の髪は歳のわりに細く、白人の少女のような毛質をしていた。皇室へ献上するために伸ばしているのだ、と嘯かれても、私は信じたかも知れない。
「僕の家。すぐ近くなんですが、寄っていかれますか」
頷くあの人の金糸が、さらさらと肩を流れた。五百ミリリットルの水は、こうも容易く彼を溺れさせる。きれいに飲み干したあとの空の容器は、片手で簡単に握り潰すことが出来るのだった。
「部屋を汚されたくないので、先にシャワーを浴びてください。脱いだ服は洗濯しておきます」
千鳥足のまま入室する彼に続いて、脱ぎ散らかされた靴を揃えてから部屋に入る。勝手もわからずトイレのドアを開いたりしていたので、「ああ、バスルームは左です」と誘導しておいた。
「なんや、至れり尽くせりやなァ」
初めて擬音以外の言葉を口にした彼は強い訛りで自らの境遇を揶揄しながら、寒々しい廊下で着ていたものを脱ぎ始める。うちの間取りに脱衣所はない。元来、三点ユニットバスであった物件を、無理矢理バス・トイレ別にリフォームした名残だった。
「オマエ、学生やろ? 生活感なさすぎて引くわ」
ぱさ。空気の抜けるような音がして、プラスチックの折れ戸が閉じる。嫌味なのか、賞賛なのか、判別の難しい捨て台詞だった。彼の言う「生活感」が何なのかはわからないが、シャンプーやリンスなどのボトルのラベルがそのままになっていることを「生活感」と呼ぶならば、確かに彼の言う通り、家じゅうをぐるりと見渡してもそんなものは存在しないだろう。基本的にラベルの類は全て捨てるか、剥がすか、無地の容器へ詰め替えるようにしていた。むしろ、それが普通だと思っていたし、それが私にとっての「生活」だった。どうやら私と彼の常識は相容れないものらしい。
磨りガラスを模した樹脂パネルの向こうより、鼻歌が聞こえてくる。音源の抜け殻を一つ一つ拾い集めながら、そういえばこの曲は十年前にレコード大賞で優秀作品賞を受賞した、失恋がテーマの曲だということに気がついた。歌手の風貌が少し特徴的だった、ような気がする。しかしさして興味がないために、名前を失念してしまった。天は二物を与えず――そのアーティストを見かけるたび、そんな言葉を思い出す――あまりにどうでもいいことを考えながら、胸に抱えたまだ温かいそれらを、安っぽい部屋にはおおよそ似合わないドラム型の洗濯乾燥機の中へ放り込んでおく。予めタンクの中に貯留してあった洗剤と柔軟剤の残量を確認し、スイッチを押した。
「今からでも張りましょうか。湯船」
折れ戸越しのぼやけた背中は生白く、まだ誰にも汚されていない生娘のような清らかさすら感じさせた。我ながら、見境のなさに苦笑する。いや、見知らぬ男の家にずかずかと上り込んでくるほうが悪いのだ。幼い頃、教師から「知らない人についていってはいけません」とは言われたが、「知らない人を連れ去ってはいけません」と言われた覚えはない。この男はもしかすると、私の知る教育とは正反対の教育を受けた可能性がある、と思った。そうでなければ、こんな奇天烈な髪型を素面でしているわけがない。
「いや……ええわ。あったかいシャワーだけで、だいぶ……ええ気持ちや。酔いも醒めた」
「そうですか。せっかくですから、背中でも流しますよ」
このあとめちゃくちゃ風呂場でセックスする予定だったの・・・・
あと回想シーン終わったら礼服脱がしながらまたセックスする予定だったんだけどちょっと没にします・・・・続き書かなさそうな気がする!!オギャ